12月にはステージが、ギャラが発生するもの、ボランティアのもの、合わせて6回予定されている。中でもクリスマス時期に予定されている、某デイサービスの演奏では、本格的(?)クラシックに挑戦する予定である。スタッフでもあり、ピアニストでもあるYさんと先月リハーサル練習をしていく中で、彼女の思う「パンフルートの音色が合う曲」を何曲かピックアップしてもらった。「ジュピター」「家路」「威風堂々」、そして私からは「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」「星に願いを」。その他「きよしこの夜」等のクリスマスソングと「雪の降る町を」などなど。デイサービスのステージとしては、異色の選曲になりそうである。
 彼女がもう1曲クラシックから選曲してくれたのが、スメタナの「モルダウ」と言う曲であった。タイトルからどんな曲かがわからず、今日図書館に行ったので、CDを借りてきた。工房でCDを再生したところ…「あっ、この曲知ってる。」重厚感のある管弦の演奏に、切なささえ感じる旋律が、歌う様にメロディーラインが流れていく。まさに「モルダウ川の流れ」のごとくである。「この曲をやりたい!!」そう思うや否や、愛器を手に取り、主旋律を身体に叩き込もうと、何回もCDに合わせて演奏してみた。随所に半音が登場してくるが、集中力を高め、全音と遜色なく出せるように何とかなってきている。いかにこの曲の持つ雰囲気を、私の感情をとおして『備前の風』で表現できるか、演奏の真価はそこに問われるだろう。30分ほどで、この曲を練習し終えると、結構「精魂つきはてる」的にぐったりしてしまった。矢吹ジョーのように「燃えたぜ、燃え尽きたぜ」と口走りたくなる心境であった。ここ1年で私の白髪が、急速に増えているのは、パンフルートの演奏に
多大なまでに神経を使っているからではないかと、最近思う。
 パンフルートの音色は素朴で温かい、独特な響きを持っているが、そこに情感を含ませるには様々なテクニックを同時進行させながら演奏しなくてはならない。楽譜がろくに読めない私は、演奏中自分が吹いている音の音階はほとんど全くわかっていない。ただ「今のこの音の、次ぎの音はこの管からどれくらい離れた管の全音・半音」と言うのを無意識にイメージしながらその連続でメロディを奏でているようなものである。だから演奏中はほとんど目をつむっているのである。はっきり言って、練習で身につけた「かん」で演奏しているのである。まるで「けんだま」のようにである。我ながら、「こんな手法でよくやるよ。」と思いつつ、こんな手法だからこそ、いろんな楽器に挑戦して途中で挫折した私でも続けられたのかもしれないと、最近つくづく思うのである。
 ピアニストのYさんのおかげで、自分の音楽性の幅がぐんと広くなっていく様である。私のささやかな夢は「彼女のピアノにのって『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』をアンドレア・ボチェッリのところを自分で歌い、サラ・ブライトマンのところを『備前の風』で演奏する」ことである。カーネギー・ホールで…  こりゃまたでっかい夢ですこと!!!