3日間の関西遠征から帰岡した。ガードマンとの戦い、街中に溢れる大音響のクリスマスソング、どしゃ降りからの回避…じっくりパフォーマンスらしいパフォーマンスができなかったので、かなり残念であったが、3日間で数十人の知り合いを作ることができたのが最大の収穫かもしれない。

 12日の夜、宿に帰り就寝直前にニュースを見ると、清水寺の「今年の漢字」の発表が放送されていた。その映像を見るや、直感的に「清水の舞台で演奏しよう」と思った。人生の再出発をパンフルートと共に進んでいく決意を下した時の気持ちは、まさに「清水の舞台から飛び降りる」覚悟であった。今、このニュースを見たのも縁かもしれないと思い、明日の清水行きを決定した。

 13日は、朝から雨であった。JRで京都に入り、京都駅からは私営バス。清水寺に到着したときはどしゃ降りに近い雨であった。雨の平日だというのに、参道は多くの人で、いっぱいであった。半数以上が修学旅行生で、いろんな地方の方言が楽しげに飛び交っていた。

そして、本堂に到着。雨の清水の舞台からは、霞のかかった紅葉の山並みが眺められた。

清水寺

 本堂に上がると、昨日テレビで見た「命」の文字が。若い観光客はその文字の横に立って万面の笑みにピースサインできゃっきゃと記念撮影をしている。なんだろう、とても複雑な気持になった。

命

15分ほど本尊の前に座り、心を静めた。そこに寺の関係者が通りかかったので、素生と事情を説明して、本堂での奉納演奏の許可をいただいた。畳2畳分以上もあろう大きさに書かれた「命」の筆文字が横にある、本尊の前に正座すると、吹き始めたのは「七つの子」であった。直前まで何を奉納演奏しようか決めかねていたが、思いが込められた迫力のある「命」の文字が曲目を決めたのである。演奏をはじめて、10秒ほどすると突然背中に激痛が走り出した。その痛みは脈打つ様に続き、演奏終えるまでその痛みをこらえていた。不思議なことに演奏を終えると、背中の痛みは嘘のように消えていた。急激な緊張が原因なのか…アンビリーバボーな体験であった。 京都駅に戻った時には、クツの中は雨水でぐちゅぐちゅであった。

 その日の晩、たくさんの新たな出会いが私を待ち受けていることを、私はそのときまだ知らなかったのである。この続きは明日。