12月13日の続きを書こうと思う。清水寺での演奏後、大阪に戻り、夜から梅田での集まりに参加した。12年前私はOBSという野外教育機関のJALTというコースを修了している。OBSの本校はイギリスで、世界中に学校を配する組織である。関心のある人は、是非HPを覗いて欲しい。そもそも、JALTでカヌー研修を受けていなければ、アオキカヌーワークスに就職することもなかったし、川面から竹の存在を知ることもなかっただろう。ということは、『備前の風』もこの世に生れなかったであろう。少々大袈裟ではあるが、確かに事実である。
実はその夜「JALT修了者のOB会in大阪」が梅田の居酒屋で行われたのである。出席者は約20人だが私のような古株はほとんどいなく、比較的最近の年度に卒業した人達がほとんどであったのは、ちょっと寂しかった。だから私にとって全員が初対面であったが、
同じJALTという数ヶ月に渡る合宿野外研修を経験した人達ばかりだから、不思議とその場にいても違和感は全く感じなかった。というよりむしろ若い修了者の人達が、私を快く迎えてくれたのが良かったのかもしれない。乾杯の後、自己紹介と近況報告を全員やり、私の番は一番最後。パンフルート人生の始まりを近況報告としてさせてもらった。
出席者の中には、学校の先生が何人かおり、この楽器を学校の活動にとり入れることにとても興味を持っている人もおり、何だか新たな展開の予感も感じさせられた。デモ演奏を何曲か披露。お客で満員の大きな居酒屋で演奏したのは、はじめてであった。何人もの人が、この楽器の特徴に興味を示してくれたことも嬉しかった。
この日は、OBS長野校の校長も出席されており、校長より来年6月のJALTのカヌー研修のインストラクターを引き受けて欲しいとの、ラブコールまでいただいてしまった。パンフルート活動だけでは、正直収入が苦しい折に、昔とった杵柄、カヌーインストラクターの経験が収入につながることは、嬉しい限りである。何より、母校からの要請というのが嬉しく感じるのである。
宿泊先のホテルに門限があったため、中座しなくてはならなかったのがとても残念であったが、都会暮らしのリズム感を取り戻せず、たった2日間でホームシック的な落ち込みを少々感じていた私にとって、はじめて会ったJALTの仲間たちのから、元気をいっぱいもらった感覚である。OBSに感謝、JALTよ永遠に不滅であれ、と言う気持ちでいっぱいである。
明日は、直島の子供たちによる、本格的な音楽祭(的な)に出席させてもらうことになっている。これもまた、新しい出会いがたくさん私を待っている予感がするのである。