2月6日の練馬区ゆめりあホールでのジョイントコンサートに向けて、前乗りで4日に東京入りした。今回の共演者、中国揚琴奏者の金亜軍(きんあぐん)さんとの直前リハーサルに臨むためである。金さんの演奏は、まさに変幻自在である。その音楽性の深さ、テクニック…あらゆる要素において金さんのミュージシャンとしてのすごさに、圧倒させられたのが正直な気持ちである。でもそんな私の気持が、このリハーサルで音楽に集中できたのも、金さんのゆったりした雰囲気が私の心を落ち着かせてくれたからかもしれない。年齢も近いし、乗りも合う、ジョークもバンバン、そんな感じである。
 翌5日は芝大門にある日本赤十字社本部の「組織推進部」にごあいさつに伺った。二年前に岡山で行われた赤十字の大きな行事で演奏させていただき、このたびコンサートのため上京するので、ぜひごあいさつさせて欲しいと岡山支部の方にお願いして実現した面談であった。今回のコンサートを始まりに、今年は東京での演奏の機会をできるだけ多くしていこうと考えている。それはギャラの発生するものだけに限らず、可能な限り施設や病院などの演奏をうまくスケジュール調整して行っていきたいのである。岡山でやって来た活動を、東京で新たにやっていこうということである。そんな思いも赤十字の本部でお話させていただいた。
 品川に宿を取っているのであるが、ウォーキングかたがた芝大門まで歩いてみた。品川駅近辺は、今では高層ビルが群立していて、新幹線も停まるようになり、すっかりビジネスとおしゃれの街に様変わりしてしまったが、第一京浜を歩いてみれば行き交う人は、ごく普通の人たちなのである。なんだか妙に安心してしまった。そのせいか、もっと歩きたくなってしまい…日赤本部を後にしてからもしばらく歩いて、とうとう東京タワーの真下に来ていたのであった。タワーの敷地から一段南に下がったところに、こんもりとした「都会のぷち森林公園」みたいな場所を見つけたので、そこで明日の本番に向けてパンフルートの練習を1時間ほど行った。公園を行き交う人達も、特に足を止めるでもなく…、気がつけば近くの木々にモズやスズメやカラスや、はては足元にハトが数羽いたりもした。ウ〜ン、都会の動物たちも癒しを求めているのであろうか…。 さて、日陰の公園での練習を終え、1時間じっとしていたため冷えた身体を温めようと、東京タワーの真横を通って、ロシア大使館横、六本木、乃木坂を通り、気がつけば「青山一丁目」まで歩いてしまっていた。その夜、蒲田のうなぎ屋さんでJALTの仲間と再会。14年振りの再会もあった。私が30歳になったばかりで、人生の岐路を迎えたころにOBS(アウトワード・バウンド・スクール)日本校で出会った仲間たちである。年齢も性別もばらばらだが、腹を割って話し合える、私にとっては大切な仲間である。
 いよいよコンサート当日。開演は18:30からであったがリハーサルのため14:00に会場入りした。会場は、練馬区の西武池袋線「大泉学園」駅前のゆめりあホール。パンフルートと中国揚琴のセッションリハーサル。パンフルートと木村まさ子さんの朗読とのセッション、揚琴と村上信夫さんの朗読とのセッション、そして今井、金氏、木村氏、村上氏の四人が共演するパートのリハーサルと進めていった。刻一刻と開演の時間が近づいてくる。今回の公演の最初のパートはパンフルートのソロ演奏20分間である。東京のみなさんにパンフルート『備前の風』の生の音色から聴いてもらえる嬉しさと緊張感。うーんたまらん!!
 そんなこんなしている間に、開演。あれよあれよという間にフィナーレとなってしまった。実に中身の濃い約二時間を過ごさせてもらった。本当はここで公演内容を書きたいところなのであるが… 実は、「再演を…」という声も聞こえたりするので、ここでは内容は内緒にしておこうと思う。
 何を演奏したかについて答えらるるとしたら… コンサート前日に蒲田のうなぎ屋さんで再会したJALTの仲間が連れてきていた1歳になる赤ちゃんに演奏した「犬のおまわりさん(イントロからエンディングまでのフルバージョン)」。にこにこしながら、ひざでリズムをとりながら、手拍子をとって踊ってくれているようであった。それからうなぎ屋のおかみさん(実はJALTの仲間のひとりの実家の稼業である)のために「川の流れのように」をパンフルートソロで演奏してさし上げた。演奏後、心なしかおかみさんの目が赤く潤んでいたような気がした。
 何はともあれ「備前の風が東京の町に初めて吹いた」記念すべき3泊4日であった。こらからまた金さんのようなプロ中のプロのミュージシャンとも共演したい… 東京武者修業の始まり始まりである。