25日に岩手に向けて出発。東北新幹線で移動中、停電事故に見舞われ1時間ほど停車待機、復旧再出発するも、またも停電。 私の乗った新幹線は、停車予定ではない郡山駅に停車、「お急ぎの方は在来線にお乗換えください」という、無常なるインフォメーション。いやいやこの列車の車掌さんが悪いんじゃない。いそいで在来線に乗り換えるが、在来線も大幅にダイヤが乱れている様子。「このままでは、今日中に盛岡に到着することはできないかもしれない。」その覚悟もしていた。結果的には郡山から一関まで、一度乗換えをしてすすもことが出来た。そして一関から新青森までの新幹線は動いており、深夜12時前には盛岡駅に到着することが出来た。一日がかりの移動となった。 

岡山大学病院の木股教授が私の演奏を聴いてくださったのがきっかけで、岩手医科大学病院の小林院長や諸先生方のおかげで、今回岩手県の震災避難所にてパンフルートの演奏をさせていただく機会を頂戴した。

現地での詳しい様子は、追々記していこうと思う。今回は「エコノミー症候群予防」という観点も含めて「こころからダンス」という岩手生まれのダンスをレクチャーするチームといっしょに被災地をまわらせていただいた。そのチームとは南流石(みなみさすが)さん率いる、「流石組」のみなさんである。南さんは振付師の先生で、子供たちも知っている「おしりかじりむし」の振り付けもされた方である。

 今回、伺った地域は、宮古市・山田町・大船渡市・陸前高田市の小学校や中学校の避難所(授業も行われている)や公民館的な地域のコミュニティや漁村センターの避難所である。

たくさんの方にパンフルートの音色を聴いていただいた。

そして感じることが出来た「音楽の力」

「川の流れのように」を切々と演奏すると、一歳にもならないであろう赤ちゃんが、両脇をお母さんの手で支えられてであるが、ひざでリズムを取りながら、嬉々とした顔で音楽を楽しんでいるのである。大船渡での出来事だったと思う。 さあ、その赤ちゃんの様子を見て周りの大人たちも癒され元気をもらっているのである。私も元気をもらった。

まだまだたくさんあるエピソードを後日紹介できればと思う。

しかし、今一番伝えたいのは・・・

被災地の被害状況は、本当に深刻なものである。メディアで見る以上に衝撃的で、鋭くその現実が、私の胸に突き刺さったままである。でも被災者の皆さんは、本当に温かく私たちを迎えてくれた。気がついたら私の方が元気をもらっていると思うような瞬間がたくさんあった。でも被災者の皆さんの周りには厳しい現実があるのである。そのことを思うと、一「笛吹き」の限界を感じずにはいられないのである。

今後も、東北に行く機会を作って、避難所での演奏を継続していきたいと強く思っている。偽りない本当の気持ちである。 それと同時に、チャリティコンサートや避難所での演奏以外に私にできることはないのか、音楽家として、もしくは音楽以外の方法で・・・ 岩手から帰って、ずっとそんなことを考えている。

今日は新倉敷でコンサートを行った。明日は埼玉からお客様が工房にいらっしゃる。4日は鳥取の氷ノ山。5日は兵庫県三木市での三木山フォルクローレ音楽祭に出演・・・とたくさんの演奏機会をいただいている。これは私にとってうれしい現実である。でもずっと頭の中では、「何が出来るか」ずっと考えることだろう。 誰かと手を結ぶことも視野に入れながら考えていきたい。

ひとまず今日はここまで。