「皆の者、過去の過ちは二度と繰り返さない。信ぜよこの穢れなき心を。」11日、岡山市民会館で行われたユニヴァーサルデザインオペラ「フィガロの結婚」、無事に歓声の中、終了しました。関係者の皆さん、そしてお越しくださった皆さん。本当にありがとうございました。打ち上げの席では言ったのですが、今回は、前々回の偉大なお殿様(役名)よりも、さらにいやらしく、権力をかさにきた、「私の最も嫌いなタイプの男」を、怒るシーンでは激情的に、悔い改めるときは、聖母の前にいるような気分で歌い演じてみました。そうすると自分の歌の世界の中に、今まで見えていなかった、1枚の扉がぼんやりと見えてきた感じがあります。なんとかそれに近づいて、その扉を開けられるようになりたいと思います。まだまだ精進じゃー!!

しかし、いったんパンフルーティストの顔に戻ろうと思います。

来る5月12日(土)14:00から1時間。岡山市北区二日市町の岡山市立中央図書館の東隣にある「八角園舎」で入場無料のチャリティコンサートを行います。ピアノは西村一穂さん(ヴォイパ仲間)、パンフルート・歌・MCは今井勉でお送りします。どうぞご都合のよろしい方は、お越しになってください。パンフルート吹いてみたい、という方にはコンサート終了後、体験の時間も取れたらいいなと思います。

昨年10月23日、総社市の「きよね夢てらす」での演奏の様子を、動画でインターネット上に公開していただきました。トップページから観られるようにしておきます。最近の私の演奏をどうぞご覧ください。

さきほど、こんな内容のメッセージをNHKのラジオビタミン(08年5月に「ときめきインタビュー」のコーナーに出演させていただきました。)にメールを送りました。 

2008年5月にときめきインタビューに出演させていただきました。岡山のパンフルート製作・演奏家の今井勉です。ご無沙汰いたしております。村上さん、仙台からの放送では大変お世話になりました。さて、実は今日、とてもうれしいことがあったので、メールさせていただきました。気仙沼市の渡辺さんという方(名前出すことは本人より了解いただいております)から、私のCDを送ってほしいとの電話をいただきました。実はこの方は、08年の8月に放送された、私のときめきインタビューのアンコール放送をお聴きになって、私のCDを購入してくださった方です。3.11の津波で財産すべて(家族や知り合いはみなさん無事だったそうです)を失ってしまったが、地域(鹿折地区)の...復興に尽力されていらして、コミュニティー施設など集いの場所を作ったりで、頑張っていらっしゃるそうです。3月3日から18日まで夜はライトアップの行事をされるとのことで、その時にふさわしい音楽は何かないかと考えていたら、私のパンフルートを思い出されたそうです。以前買ってくださった私のCDも津波にさらわれてしまっています。最近やっと使える環境になったインターネットで私のブログを見つけ、電話くださったとのことです。まさにラジビタがつなぐ縁だと思います。
私は、昨年は岩手や福島の避難所で演奏を多数させていただいたことを伝え、必ず気仙沼でパンフルートの演奏ができること、渡辺さんとお会いできることを約束させていただきました。あれから1年になる、気仙沼の夜に灯りと私のパンフルートの音色で、どうぞ皆さんの心が少しでも和み、癒されることを願わずにはいられません。
PS ゆう子お姉さんともいつかきっと音楽でご一緒できますように、願っております。」

メッセージが番組で読まれるかどうかは、さておいて、とにかく今、私はうれしいのである。

今日、「FMくらしき」で、インタビューを受けてきた。オンエアーは2月16日の18:35から15分間ほど。「倉敷ほっとイブニング」という番組の中の「これが私の生きる道!」というコーナーとして放送される。ちなみに私は、ユニヴァーサル・デザイン・オペラ「フィガロの結婚」(3月11日岡山市民会館)でお世話になっている、指揮者の萩原先生からの紹介で、この番組に登場することになり、私は今度は、ヴォイスパフォーマンス(4月7日岡山市西川アイプラザ)でお世話になっている、小松原先生を番組に紹介させてもらった。(テレホンショッキングみたいである?)ちなみに、萩原先生のオンエアーは明日の同時刻のようである。

今回の上京のもともとの目的は、18年前OBS(アウト

ワードバウンドスクール)のJALT(平たく言えば、冒険教育のインストラクター養成コース)に、同期参加した仲間の結婚式に参加&パンフルート演奏である。結婚式当日は荒天であったが、本当にあったかい、「めでたい!!」と心から叫びたくなる最高の式&披露宴であった。さて、そんな結婚した二人は、実は東京の蒲田にある「寿々き(きの字は本当は漢数字の七をピラミッド状に重ねた字である、これですずきと読む)蒲焼店」つまりはうなぎやさんの、3代目夫婦なのである。世田谷てづくり市の会場の世田谷観音視察を終え、「寿々き」で上の写真の蒲焼を食べたのである。上京するたびに、ここのうなぎを食べているのであるが・・・。このふわふわの焼き上がりと、たれとうなぎの絶妙のコンビネーションがいつ食べても、最高においしいのである。昨日結婚式の後、2次会まで参加してくれた新婦、3次会まで参加してくれた新郎、二人とも早速にバリバリ働いているのである。うーん、蒲田でコンサートをやりたくなったのである。お近くの方、そして上京の予定のある方は、「寿々き」の蒲焼を体験していただきたい。  「寿々き蒲焼店」 大田区西蒲田7−63−2 ℡03−3731−5239 (定休日は毎週火曜日)

この週末、東京に行きます。22日は、「世田谷てづくり市」を視察してこようと思います。私のパンフルートのような手作り楽器を出店してもよいのか、それと来場者や市の雰囲気を見て、可能性を感じるならば、今後の出店も考えてみたいです。お昼ごろに訪問しようと思います。頼まれれば、ストリートパフォーマンスみたいに演奏するかもしれません。東京近辺在住で、私のパンフルートに興味がある方は、どうぞお越しください。といっても入れ違いになっても困るので、私の携帯番号を公開致します。090−7139−3666です。1月20日から22日いっぱいまで、パソコンをのぞけないので、ご連絡のある方は、どうぞお電話くださいね。

昨日は、吉備高原にある「吉備の里身体障害者授産所」の忘年会で演奏させてもらった。総勢50名ほどの会で、みんな豪華な昼食(各自に鍋料理つき)を食べながら、私の演奏を楽しんでくれていた。演奏終了後、授産所で製作しているものをプレゼントでもらった。これに私はびっくりしたのである。この授産所は「レーザー加工」を得意技としており、かなりのクオリティの製品が作れるところなのである。是非とも写真を拡大して見て欲しい。ちなみに製品の後ろにあるのは、パンフルート「備前の風〜虹〜 22管」である。大きさの参考までに。

本日18時〜20時 RSKラジオのリクエスト特番のどこかに生出演、パンフルート演奏します

2011年ももうじき終わろうとしている。数えてみると、今年は90回ほどの演奏を県内外でさせていただいている。ありがたい話しである。毎年この時期に翌年のスケジュール帳を見ると、その白さのほどに(つまりはスケジュールがほとんど入っていないということである)愕然とする、というか不安でいっぱいになるのである。だが、今年を振り返ってみると、結局のところ、90回もの演奏の機会をいただけているのである。きっと来年も、多くの方からお声がかかりますように。

 来年は、1オクターブパンフルートの手作り教室を県内外各地で行いたいと思っている。小学校5年生以上の人なら、一人で作れるのであるが、それより小さい子どもが家族といっしょにパンフルートを作る姿は本当にほほえましいのである。

 それから、パンフルート「備前の風」もどんどん作っていきたい。といいながら、実は今、注文がたまっている状態である。順次製作に取り掛かっているが・・・演奏会やヴォイスパフォーマンスの発表、それにユニヴァーサルデザインオペラ「フィガロの結婚」での(偉大なお殿様)役の練習やら、それから手作り教室が春までに2回行われる予定も入っていて、その下準備(1セットに1時間以上)にも時間がかかるのである。その上この時期は、女竹などの材料確保にも奔走しなくてはならないのである。18mm〜24mmの女竹や矢竹の情報があれば、是非とも教えていただきたいのである。

そして、来年早々にパンフルート「備前の風」の値上げをしようと思っている。私のパンフルートは比較的安価であることも魅力の一つなのであるが、正直なところこの価格での限界を感じている。R20管(15,750円)一つ作るのに、一人の作業だとどうしても二日ほどかかってしまうのである。3000円から5000円の範囲で値上げしたいと思っている。年内の注文までは、現行の値段で製作しようと思っている。

さて、来年2月12日(日)に和歌山県海南市の教会でコンサートをさせていただく予定である。記念すべき和歌山デビューコンサートである。詳しくはトップページに。

世は、忘年会シーズンである。でも今年は忘れてはいけないのである。今日の岡山はとても寒い。私が伺った岩手や福島の被災地で今、仮設住宅で生活されているみなさんは、この寒さの中、無事に生活しているっしゃるだろうか。 福島県の川内村のみなさんも無事に暮らしていらっしゃるだろうか。この思いは忘れることなく、来年にも持っていくのである。そして、またいつか被災地の皆さんと「あたたかい音楽」をいっしょに楽しみたいのである。

この一ヶ月間は本当に忙しかった。高知市でのコンサートデビュー。岡山市でのルネスホールでのコンサート出演。「闘牛士の歌」(カルメンより)をバリトンで初披露。京都の高級ホテルでのレセプション演奏。岡山駅前でのストリートパフォーマンス(岡山芸術回廊の行事)。タップダンスとのぶっつけ本番コラボ。尺八&ギターとのジョイント古民家コンサート。難病患者と家族の集い(玉野市)での温かいコンサート。某葬祭場でのクリスマスコンサート。この他にもたくさんの思い出のコンサートを開くことができた。そして、コンサートのない日は、パンフルート手作り教室用の竹キットの製作である。そんなこんなで、パンフルート「備前の風」の注文がかなりたまってきている。(少々まずいぞ〜)

それから、来年3月に出演するユニヴァーサルデザインオペラ「フィガロの結婚」のチラシが出来上がった。写真はそのチラシの裏表であるが、中央やや下のスナップ写真は今年出演した「魔笛」の公演後の写真である。後ろの赤いアフロが私である。今回で3回目の出演になるが、このオペラに関わるようになって、自分のバリトン力がどんどんついてきているように思う。それは私の普段のパンフルートコンサートの中でもたくさん歌っているので、自分の歌が変わってきているのを実感している。来年は年男であるが、自分の中にはまだまだ伸びしろがあるかと思うと、意欲がどんどんわいてくるのである。

今度の「フィガロの結婚」は前回以上に磨きをかけて、「偉大なお殿様」を演じ、歌い上げたい。私を通してパンフルートを知った皆さんには、今度はユニヴァーサルデザインオペラの楽しさを知って欲しいものである。

これは10月9日に行われた、倉敷市真備町での「竹林音楽祭」での衣装である。竹林で平安貴族風の衣装で演奏したのは初めてである。パンフルートは「排笙(はいしょう)」という名で、正倉院に保存されていたことがわかり、天平のころ、間違いなく日本に存在してた楽器であった。大陸から入ってきたのであるが、日本の古典音楽「雅楽」の中には、その奏者はいないのである。しかし奈良時代や平安時代にはもしかすると、排笙の演奏家いたのかもしれない。そう思うと、平成の世にパンフルートを吹くこの私に、平安の排笙演奏家の魂が乗り移るというストーリーも考えられる。少々オカルト的か? しかし演奏中の私の「えせ麻呂言葉」は会場の皆さんをさぞかし、沸かしたものである。またこの身なりで、夜の竹林で、高台から会場を見下ろすようなロケーションから、アカペラで朗々と歌い、パンフルートを吹いた「千の風」はいままでにない雰囲気をかもし出していた。うん、これは新境地開拓である!!

さて、11月3日、23日は高知と岡山でジョイントコンサートである。今回は「誰も寝てはならぬ」(テノール声域のオペラのアリア)を歌うことになっている。最近、少々のどの調子?というか肺の調子が今ひとつのところがあり・・・、不安要素があるのであるが・・・ もしかすると人前でこれを歌うのは、今回が最後になるかもしれない。 実は今回のコンサートは私の演奏家人生の中で、レアなものになるかもしれないのである。一人でも多くの方にその目撃者、証人になってもらいたい。強く強くそう思っている。

いやいや、またまた「風の音日記」の書き込みが、ご無沙汰になってしまった。書ききれないほどの演奏トピックがあるのだが・・・京都・嵐山の夜の保津川ヘリでの演奏2日間、大人から子どもまでわいわいと行った1オクターブのパンフルートの手作り体験、今治での演奏、そして先日は大阪キリスト教短期大学で学生約500名(ほとんど女子)の前での演奏、どれをとっても中身のつまった良い会になったと思う。皆さんに感謝である。さて、11月には、恩師・小松原先生とのジョイントコンサート(高知&岡山)を予定している。私のパンフルートのステージングの基礎は、「ヴォイスパフォーマンス」という会の活動で培われたといっても過言ではない。その会の代表の先生とのコンサートである。楽しくも心温まる会になるように、いろいろと趣向を凝らそうと思っている。 そして、来年3月には岡山市民会館で行われるユニバーサルデザインオペラ「フィガロの結婚」で伯爵(役名:偉大なお殿様)役を再演させていただくことが、このたび決まったのである。このオペラのおかげで、肋骨を共鳴させて歌うバリトンの楽しさを知ることが出来た。何より、声が以前よりも遠くに広がるようになって、私のパンフルートコンサート、特にマイクのない広い会場で歌うときなどには、助かっているという直接的な利点もある。どちらの会も御用とお急ぎでない方は、是非是非お越しいただきたいのである。

などといいながら、今日はSの20管を一つ完成させた。 大阪や神戸や、もちろん岡山もであるが、パンフルートを吹けるようになりたいと思う仲間の「研究会」を発足したいなとも思っているのである。このパンフルートにまつわる諸々の活動の同時進行で、7年目に入る私の活動は続いていくのである。

今回の台風は岡山直撃であった。私の工房の部屋(岡山市中区雄町)も、もう少しで床下浸水になるところであった。紀伊半島では、とてつもない状況になっている。本当に胸が苦しい思いである。以前、カヌーのリバーガイドを職業としていたとき、和歌山方面の清流を何度かダウンリバーしたことがあり、大阪から現地まで、紀伊半島を縦断したものである。五條や十津川村や天川村・・・車からの眺めは、ダイナミックな野趣溢れる自然の中で、人々がその自然と共存しているといった感じの、のどかな山里&渓谷美・・・、本当に日本の原風景を目の当たりにするようなところである。  今回の記録的大雨はこの台風のスピードの遅さから、予測できなかったのであろうか?気象庁と自治体の連絡体制は問題なかったのか? いろんなことを考えさせられてしまう、今回の台風である。亡くなられた方のご冥福と、行方不明の方の一日も早い発見を心から祈るばかりである。

この日記を読んだ方は、トップページも見て欲しい。というのも今回、たくさんのスケジュールをアップしておいた。いつもは載せないようなスケジュール、例えば「コンサートはクローズの会場で一般の方対象ではないが、今治に行きますよ。」といった、いわば「出張予定」とでも言えるものである。なぜそのようなスケジュールを載せるかというと、「パンフルートを体験してみたいが、なかなか岡山まで出向くことができない」という人に、私が最寄まで伺った際には、連絡いただいて、スケジュールを合わせて、ミニレッスンを行ってあげたいからである。気軽にお問合せいただきたい。

今年のお盆は、東北で過ごした。縁あって8月14日、川内村の成人式(避難先の郡山市にて)で演奏させていただいた。新成人があんなに凛とした、そして会場全体がほんとうに一つにまとまった会は、なかなか目にすることはない。村が復興したら、是非川内村でコンサートしたいなと、心から思った。

13日は避難所になっている「ビッグパレットふくしま」で演奏させてもらった。15日は仙台に移動し、夜の約2時間、仙台から全国へ生放送されたNHKラジオの番組「鎌田實といのちを語ろう」という番組に参加、演奏もさせていただいた。諏訪中央病院 名誉院長の鎌田實先生、JAPAN元気塾 代表の加藤秀視さん、女優のサヘル・ローズさん、そして「ラジオビタミン」出演以来、お世話になっている村上信夫アナウンサーとごいっしょさせていただいた。

往復2300kmの車での一人旅になって、少々しんどかったが、「また演奏に行こう」と率直に思った。

さて、昨日一昨日の行事演奏で、パンフルートを抱きかかえたり、片手での演奏などを披露し始めている。曲芸と思われないように、注意を払いながら、この楽器の「ユニバーサル・デザイン性」をわかってもらえる活動も少しずつ、演奏活動の中に入れていこうと思う。ヨーロッパには、障害を乗り越えて、自分の演奏スタイルで、パンフルートを吹く方が多くいらっしゃる。そんな方たちの演奏は一音一音がとても丁寧に吹かれていることに気がつく。一音一音、一日一日を丁寧に生きていきたいものである。

今年のお盆は、東北で過ごした。縁あって8月14日、川内村の成人式(避難先の郡山市にて)で演奏させていただいた。新成人があんなに凛とした、そして会場全体がほんとうに一つにまとまった会は、なかなか目にすることはない。村が復興したら、是非川内村でコンサートしたいなと、心から思った。

13日は避難所になっている「ビッグパレットふくしま」で演奏させてもらった。15日は仙台に移動し、夜の約2時間、仙台から全国へ生放送されたNHKラジオの番組「鎌田實といのちを語ろう」という番組に参加、演奏もさせていただいた。諏訪中央病院 名誉院長の鎌田實先生、JAPAN元気塾 代表の加藤秀視さん、女優のサヘル・ローズさん、そして「ラジオビタミン」出演以来、お世話になっている村上信夫アナウンサーとごいっしょさせていただいた。

往復2300kmの車での一人旅になって、少々しんどかったが、「また演奏に行こう」と率直に思った。

さて、昨日一昨日の行事演奏で、パンフルートを抱きかかえたり、片手での演奏などを披露し始めている。曲芸と思われないように、注意を払いながら、この楽器の「ユニバーサル・デザイン性」をわかってもらえる活動も少しずつ、演奏活動の中に入れていこうと思う。ヨーロッパには、障害を乗り越えて、自分の演奏スタイルで、パンフルートを吹く方が多くいらっしゃる。そんな方たちの演奏は一音一音がとても丁寧に吹かれていることに気がつく。一音一音、一日一日を丁寧に生きていきたいものである。

奈良県でのコンサートから、さっき帰ってきました。今度の週末は、東北です。11日夜の演奏を岡山県で終えて、その足で、奈良、滋賀(甲賀市)に立ち寄り、北陸道周りで郡山入りします。13日、14日と避難されている方に演奏を聴いていただきます。それから15日は、急遽仙台入りすることにしました。NHKの全国放送ラジオ(ラジオ第1)「鎌田實といのちを語ろう」15日20:05〜21:55の放送が仙台から全国に放送されるとのこと。司会はラジオビタミンの村上信夫アナウンサーです。3年前にラジビタに出演させてもらって以来、放送や舞台などでいろいろとお世話になっている方です。  そしてすぐ岡山に帰らなければなりません。約2000kmの車の旅になります。くれぐれも交通事故注意なのである。

この文章を書いているのは、17日の午後4時過ぎである。先ほど、香川県高松市の「栗林公園」での演奏を終えて帰ってきた。昨日は、岡山県の西寄り、矢掛(やかげ)で「矢掛混声合唱団」の発表会にゲスト出演させていただいた。昼からゲネプロなど準備を重ねて、夜本番。この合唱団の指揮・指導をされているH氏(イニシャルトークにすることもないのだが)には、ユニバーサルデザインオペラの「フィガロの結婚」と「魔笛」でお世話になっており、そんなつながりから、今回ゲスト出演をさせていただいたのである。細かく書くときりがないので、ざっくりいくが・・・合唱団とパンフルートの共演の夏のメドレーなどもあったのだが・・・今日始めてあった人たちとは思えないくらい、あっという間に打ち解けてしまった。これはこれは楽しい雰囲気で共演させていただけた。それから今回、H氏の八面六臂の活躍というか、才能の発揮というか、それには、この私も舌を巻いたのであった。氏の合唱指導・アリアやオケなどの指導には、私はお会いしたときから、一目も二目もおいているのであるが・・・今日見た氏と合唱団のみなさんの多彩ぶりは驚いた。以前からH氏には「同じ匂い」(体臭ではない)を感じていたのではあるが、昨夜はどんぴしゃというか・・・驚きの連続であった。昨夜の発表会を見ていないひとにとっては「なんのこっちゃ?」と少々漠然としすぎた記述になったが・・・この「どんぴしゃの感動」を記録しておきたいので、あえて書かせていただいた。それから帰宅して、最終的に床にはいったのは、午前1時であったが、興奮覚めやらずか、2時ごろまで寝付けなかった。

そして起床は午前4時30分、眠い体をたたき起こして、高松に出発である。ETC休日割引がなくなったので、フェリーで高松に向かった。午前9時前に公園入り、しかしもうこの時間で、太陽はじりじりと照りつけているのである。「あぢーーー!!」と心の中では絶叫である。よりによって今日は野外演奏である。「こんなコンディションじゃ、人は集まらないだろーなー」と勝手に思っていたが・・・、いざ本番でびっくりである。お客様は大樹の日陰ではあるが、照り返しで暑いコンディションの中、立ち見も出るほどの、大盛況ぶりで、超びっくり!したのであった。しかし不幸にも私の演奏する舞台だけに、灼熱の太陽がふりそそぐ結果となり、1曲目から汗が体中から吹き出るような状態であった。象徴的な出来事として書くが、私は演奏中、体が結構左右に動くのであるが、右足を軸足にしているようである。何でそんなことがわかるかというと、演奏時間は結局45分(30分のところが、盛り上がってアンコールもあって伸びているのである)ほどだったのだが、20分を経過したあたりで、私の黒の革靴の甲のあたりが、恐ろしく熱くなっているのである。午前10時台の太陽光線が私の靴を焼こうとしているのである。その結果、軸足のため動くことの少なかった右足の靴の甲が、なんと熱で変形してしまったのである。いやーこれには驚いた。今回の演奏のご依頼をいただいたときには、「梅雨明けになってればいいがなー」と考えたりしていたが、なんと空から降ってきたのは異常に熱い太陽光線だった。しかしこんな厳しい条件の中でも、ステージは大変盛り上がった。会場の皆さんといっしょに音楽を作ったような、そんな体験が出来た。それは昨夜の矢掛文化センターの音楽ホールでも同じだった。

 さあそろそろ、この文章も終わりにしようと思うのだが、書き終えたら、おそらくバタンキューで寝てしまうと思う。今、強烈な虚脱感に襲われつつあるが、そんな意識の中でも・・・「あの矢掛と栗林公園で、また演奏したいなー」と、遠い思い出を振り返るように、きのう今日の出来事なのに、何だか懐かしく感じてしまっている私なのである。

突然であるが、珍しい写真を掲載する。(写真をクリックすると拡大します)

CDジャケットといっしょに写っている、小さなパンフルート。これは特注でオーダーが入った、「パパゲーノの笛」である。オペラ「魔笛」の中で、パパゲーノが吹く笛である。通常、舞台では、リコーダーのように音を出しやすい仕組みの「見た目はパンフルート」といった笛を使うことが多いようであるが、「パンフルートでパパゲーノの笛を作って欲しい」というオーダーが入ったので、製作してみると、とても高い音域のため、こんなにコンパクトな笛になってしまったのである。見た目はとてもかわいくて、鳥のさえずりのような音色なのだが、初心者がきれいな音を出すには、かなりの練習が必要になると思う。

 そしてもう一枚の写真は、「ダブルレインボー」なのである。「備前の風」シリーズの「虹22管」が二つ写真に納まっているが、上側のパンフルートが、今日完成した「虹22管(右低音モデル)」なのである。右低音のルーマニアスタイルのパンフルートを吹かれる方からの、注文で作ったのだが、なかなかいいのが出来上がった。おっと、そういえば詰め物をまだ入れていないので、完成ではなかったか。そして、下側のパンフルートが最近のコンサートでよく使っている「虹22管(左低音)」なのである。実はこれは「虹」の製作第1号で、試作品に近いともいえるものである。湾曲させた竹板をどの程度まで削ればいいのか、そもそもどの程度までそり方の逆の2枚の板をそらせばいいのか・・・、試行錯誤の末、出来上がったものなので、今日の「虹」に比べて、「重くて、そりが甘い」のである。今日の「虹」は完成後、しばらく寝かせたり、最終調整したりしてから、三重県に送られるのである。そして実は、先日また「虹」の注文が入ったのである。今度は私と同じ(右低音)なのだが、20管サイズである。ここのところ、途切れることなくパンフルートの注文が入ってくるようになってきた。不思議なような、うれしいような、忙しいような・・・である。

 そして、演奏の依頼も県内外から、途切れることなく寄せられてきているのである。不思議なような、うれしいような・・・やっぱりうれしいのである。中でも、うれしさひとしおなのは、9月17日、18日の夜、京都の嵐山の保津川(桂川)ヘリで、また演奏をする機会をいただいたことである。2年前の嵐山のお月見の会(夜、川船に乗って川の上から名月を楽しむというもの)で数時間ノンストップでソロ演奏させてもらった。ちなみにそのときの格好は平安貴族のような装いであった。今回はお月見ではないが、夜の舟遊び(具体的にはまだ良く知らないのだが)的な行事を行うに当たって、またパンフルートの音で演出して欲しいとの、リピート・オーダーなのである。詳しいことが決まったら、お知らせしたい。

 今週末は、土曜の夜が矢掛町で、そして日曜の午前10時からは高松市の栗林公園での演奏である。ETC休日割引がなくなったのは、けっこう財布に響くのであるが・・・。復興が最優先なのである。なんだかまた被災地に行くような気がする・・・。これも詳しく決まれば、またお知らせしようと思う。

気がつけば、随分と日記に空白をまた作ってしまった。というのもフェイスブックに登録しているのであるが、ここへ来て急に人脈が復活してきたのも、実は要因のひとつである。私は大学時代、軽音楽のサークルに所属していたのであるが、そことのつながりが、むくむくむくと復活してきたのである。実は中学時代の仲間とのつながりもむくむくと復活してきているのである。うーむ、フェイスブック恐るべしー。でもおかげで、全国にちらばった旧友たちにパンフルートのことを知ってもらうことができているので、なんだかとてもうれしいのである。

さてさて、この日記空白期間に、FB(フェイスブック)以外でもたくさんのつながりが生まれた。しかも中身の濃いつながりとなりそうなものばかりである。そのつながりから、また花が咲いたら、紹介したいと思う。

その上、演奏の問合せが、以前にも増して、なんだか急に増えてきた観がある。しかも関西方面や東北方面といった、様々な地からである。まだ、どれもこれも最終決定していないので、詳しくは書けないが、6年近く踏ん張っていると、たった一人での活動であっても、多くの、本当に多くの人に支えられて、活動が膨らんでいくのである。ありがたい限りである。しかし膨らし粉で膨らませたような、中身が空洞の活動だと、いつかはぺちゃんとつぶれてしまう。しっかりと具の詰まった活動にしなくてはならない。演奏やパフォーマンスに関しても、もっともっとチャレンジしていきたいのである。数年前から、実は温めている、自分の新たな展開があるのだが・・・。そろそろそのタイミングが来たのか?

なんだかもったいぶった言い回しになってしまったが、とにかくまだまだチャレンジなのである。

今日、新聞に「ホワイト・スネークが岡山市民会館でライブをやる」といった広告が掲載されていた。学生時代に大好きだったロックバンドの一つである。あれからもう何十年も経つのに、アグレッシブなのである。ユーチューブででも検索して見てもらうと、私が学生時代どんな音楽が好きで、どんなバンドをやっていたか、大体わかっていただけるのではないかと思う。パンフルーティストの私しか知らないひとにとっては、ちょっとびっくりかもしれないが・・・。

中国地方、梅雨明けである。暑い夏の始まりである・・・。

またまた随分と「風の音日記」ブランクを作ってしまった。

鳥取の氷ノ山にある「響の森」で行ったコンサート&手作り教室、いやーとても楽しかった!

兵庫県の三木山フォルクローレ音楽祭、ステージ演奏はたった10分だったが、ホール内は感動の嵐となったのである(自分でよく言うわ・・・)その感動が、6月5日の演奏につながるのである。

倉敷で行われたフィールドオブクラフトのワークショップ・・・。毎年だんだんパワーアップ&バラエティに富んでいく行事なのである。数年ぶりのワークショップ。しかし今年も・・・お客さんが集中してあっという間に材料が足らなくなってしまった。追加の材料の下ごしらえと、演奏指導と、ストリートパフォーマンスと・・・てんてこ舞いの2日間、今年もそうなってしまった。ふらふらである・・・でもとてもとても楽しい行事なのである。

6月5日 ハチドリまつり
in
日吉神社 〜市民が作る震災復興支援イベント〜 (兵庫県加西市池上町 日吉神社) 主催
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地球家族 に出演させてもらった。この行事に出演となるきっかけが、三木山での感動の演奏なのである。ここでも新しい出会いがたくさん待っていた。加西にはまた来て演奏するに違いない・・・強烈にそんな予感がする。北条鉄道にも乗ってみたいし・・・。がいな(がない?)うどんも食べてみたかったし・・・。
シンガーソングライターの石田裕之さん、そしてアフリカンビートの太鼓&ダンスチーム「ドゥニドゥニ」はみなさん要チェックですぞ!!!
7日は鳥取県智頭町の興雲寺にあるホールでコンサート。パンフルートの演奏と朗読とコーラスと・・・まるで三色丼のように、お腹いっぱいに心がなる素敵な行事となった。宿場町であったろう智頭町の趣きある町並みを通ってみると、本当に旅心をくすぐられるのである。鳥取県外のひとは案外知らないのではないだろうか。智頭への観光、おすすめです!
そして昨日11日、東日本大震災からちょうど3ヶ月。岡山市民会館横の石山公園で行われた「ふくしまに想いをよせて」という行事で演奏した。これは「6.11脱原発100万人アクション」の一環として行われ、福島から避難してきた大塚尚幹・愛ご夫妻が代表をつとめる「子ども未来・愛ネットワーク」と、エネパレ岡山6.11が主催した行事である。私が会場に到着したときには、福島から避難して来られている方々の被災体験談と会場との交流が行われていた。びっくりしたのであるが、その会場で10人ほどの方と久々の(ひとによっては5年ぶり)再会をあちこちで体験することになったのである。私は岩手の避難所での演奏の体験と演奏を20分ほどであるが、皆さんの前でさせていただいた。
夜の演奏となり、ステージの周りは無数のキャンドルの灯りがともり、やさしい雰囲気に包まれているのである。この光のようなやさしさ穏やかさが被災された皆さんの心に戻りますように。
明日からも私はパンフルートを吹き続けるのである。

25日に岩手に向けて出発。東北新幹線で移動中、停電事故に見舞われ1時間ほど停車待機、復旧再出発するも、またも停電。 私の乗った新幹線は、停車予定ではない郡山駅に停車、「お急ぎの方は在来線にお乗換えください」という、無常なるインフォメーション。いやいやこの列車の車掌さんが悪いんじゃない。いそいで在来線に乗り換えるが、在来線も大幅にダイヤが乱れている様子。「このままでは、今日中に盛岡に到着することはできないかもしれない。」その覚悟もしていた。結果的には郡山から一関まで、一度乗換えをしてすすもことが出来た。そして一関から新青森までの新幹線は動いており、深夜12時前には盛岡駅に到着することが出来た。一日がかりの移動となった。 

岡山大学病院の木股教授が私の演奏を聴いてくださったのがきっかけで、岩手医科大学病院の小林院長や諸先生方のおかげで、今回岩手県の震災避難所にてパンフルートの演奏をさせていただく機会を頂戴した。

現地での詳しい様子は、追々記していこうと思う。今回は「エコノミー症候群予防」という観点も含めて「こころからダンス」という岩手生まれのダンスをレクチャーするチームといっしょに被災地をまわらせていただいた。そのチームとは南流石(みなみさすが)さん率いる、「流石組」のみなさんである。南さんは振付師の先生で、子供たちも知っている「おしりかじりむし」の振り付けもされた方である。

 今回、伺った地域は、宮古市・山田町・大船渡市・陸前高田市の小学校や中学校の避難所(授業も行われている)や公民館的な地域のコミュニティや漁村センターの避難所である。

たくさんの方にパンフルートの音色を聴いていただいた。

そして感じることが出来た「音楽の力」

「川の流れのように」を切々と演奏すると、一歳にもならないであろう赤ちゃんが、両脇をお母さんの手で支えられてであるが、ひざでリズムを取りながら、嬉々とした顔で音楽を楽しんでいるのである。大船渡での出来事だったと思う。 さあ、その赤ちゃんの様子を見て周りの大人たちも癒され元気をもらっているのである。私も元気をもらった。

まだまだたくさんあるエピソードを後日紹介できればと思う。

しかし、今一番伝えたいのは・・・

被災地の被害状況は、本当に深刻なものである。メディアで見る以上に衝撃的で、鋭くその現実が、私の胸に突き刺さったままである。でも被災者の皆さんは、本当に温かく私たちを迎えてくれた。気がついたら私の方が元気をもらっていると思うような瞬間がたくさんあった。でも被災者の皆さんの周りには厳しい現実があるのである。そのことを思うと、一「笛吹き」の限界を感じずにはいられないのである。

今後も、東北に行く機会を作って、避難所での演奏を継続していきたいと強く思っている。偽りない本当の気持ちである。 それと同時に、チャリティコンサートや避難所での演奏以外に私にできることはないのか、音楽家として、もしくは音楽以外の方法で・・・ 岩手から帰って、ずっとそんなことを考えている。

今日は新倉敷でコンサートを行った。明日は埼玉からお客様が工房にいらっしゃる。4日は鳥取の氷ノ山。5日は兵庫県三木市での三木山フォルクローレ音楽祭に出演・・・とたくさんの演奏機会をいただいている。これは私にとってうれしい現実である。でもずっと頭の中では、「何が出来るか」ずっと考えることだろう。 誰かと手を結ぶことも視野に入れながら考えていきたい。

ひとまず今日はここまで。