5月16日の赤十字フェスタも無事終了。そして23日の「三木山フォルクローレ音楽祭」も強い雨の中ではあったが、熱い演奏が繰り広げられた。私は今回は、パンフルートのデモンストレーターとしてお手伝い参加させていただいた。

それら諸々の行事と人間関係のおかげで、この夏は一山動きがある。まずは6月18日から20日まで京都滞在となる。18日に「竹文化振興協会」の懇親会に参加するための京都入りだが、実はスケジュールが他にも入ってきそうなのである。パンフルートの納品&レッスン。また別件では、沖縄で唯一私のパンフルートを買ってくださった方と、偶然にもスケジュールが会いそうで・・・、購入後の初のレッスンを京都でするかもしれないのである。しかもそのレッスンを、私のなじみの地「嵐山」の保津川の河川敷で行うかもしれないのである。うーん、まさに「青空教室」。

その他にも京都滞在中にいろいろ動いてみようと思っているが・・・、実は「京都を新しい拠点にしようか」といいう思いもある。岡山だけでなく京都でも「パンフルートの製作」「演奏教室」「気軽にパンフルートに触れてもらえる空間」を作りたいなという思いがある。その辺のことをじっくり考える上でのリサーチも行ってきたい。

それから8月21日のコンサートでる。開演時間、そして入場料も決まって、数日前にこのHPで告知したところ、早速に入場申し込みが入ってきて・・・本当にうれしいことである。私のCDやパンフルートを買ってくださった多くの方や、青学時代の仲間たち、サラリーマン時代の同僚・先輩、OBSのJALTの同期生たち、そしてNHKラジオの「ラジオビタミン」のみなさんにも来てもらいたいが、今回はキャパ30〜40人のアットホームなスペースなので、大々的に知人にPRするのは次回のコンサートでということにしようか。・・・うーん、次回がいつになるかはわからんが・・・。8月21日のコンサートの手ごたえ次第では、東京での音楽ホールでのソロコンサートを本気で考えてみようと思う。

5月9日にはさいたまでパンフルートフェスティバルがあるそうだ。しかしスケジュールの都合で行くことができない。残念!! 

ここのところ週末はコンサート、平日はパンフルートの製作とボランティアの演奏。こんなパターンができてきている。楽器の生産も再開したとHPで公開したせいか、各地から注文が入ってくるようになってきた。先日は北海道から22管(52,500円)の注文がはいった。その後には沖縄から20管(39,900円)の注文も入ってきた。どちらも「直接納品に伺って、ミニコンサートを行いたい(福岡や今治のときのように)」ところではあるが・・・交通費等の問題で・・・実現は難しいところである。なかなか備前の風を全国の皆さんに知っていただくには、まだまだ遠い道のりなのである。

ここはひとつ、思い切ったPR方法に出てみようか・・・?しばし考えてみようと思う。

ちなみに「備前の風」第1号を製作してから丸5年がたった。ちょっとしたアニバーサリーなのである。

 遅ればせ、遅ればせであるが、「フィガロの結婚」の「偉大なお殿様(伯爵)」役を、無事に演じきることができた。オペラプラザ岡山の今回のオペラに集まった多くの方との出会い。そしてオーケストラの演奏で歌う初体験。自分の性格とは真逆といってもいい、「あちこちの女性に手をだす権力者」つまりは「かたき役」を演じることの面白さ。などなど今回は、私の音楽人生のターニングポイントになったと思う。

 さて、昨日は島根県の飯南町にあるお寺で演奏させていただいた。「夜のお花見法話会」と題された行事で、200人近い方が集まられていたそうである。まさに老若男女の方が集まっていらっしゃったが、年に一度のこの行事を、みんなが一緒に楽しみながら過ごしているのが、本当に実感できた。コンサート終了後は地元の食材料理が盛りだくさんの宴となり、初めていただくキノコや山菜料理が何種類もあって、それを地元の皆さんといただいていると、本当に「ダーツの旅」のような気分になるのである。同じ中国地方のくくりの中ではあるが、まだまだ知らないことや行ったことのない所は山ほどあるんだろうなと、感じたものである。

 さて次の週末は、二日間広島で演奏である。18日は三倉岳で行われる「マチュピチュ・エン・ハポン」に出演する予定である。この音楽祭が始まってから、毎年声を掛けていただいている。

 そうそう、ここのところ、多くの再会を果たしている。「フィガロの結婚」では高校時代の同級生に再会。そして驚くべき偶然として・・・私が以前勤めていた「ラボ教育センター」の関係者の方と、立て続けに再会しているのである。話は飛ぶが今回の「フィガロの結婚」での私の演技や立ち振る舞いの基本には、このラボ教育センターで体験した「テーマ活動」と、今所属している「ヴォイスパフォーマンス」での経験がある。パンフルーティストになってからの人脈と、それ以前の人脈とがまるで立体的なくもの巣のように、複雑な模様を作り出しているようである。さて、このくもの巣に、どんな新しい夢がつかまってくるのだろうか。うれしい胸騒ぎがかすかにしてくるのである。

先日(3月6日)、「フィガロの結婚」の練習に初めて参加した。午後から夕方までは岡山は西大寺の某幼児園のホールでピアノ伴奏に合わせてのソリストの練習である。その会場は、うちの子供2人がボーイスカウトの活動でお世話になった幼児園だったので、驚きであった。ここは私が病気で一番しんどかったときに、元気をくれた場所でもある。そこが練習会場だなんて、実に縁を感じるのである。夕方からは別会場で全体練習である。今度は本番同様のオーケストラの演奏に合わせての練習である。練習を終えての感想は・・・「何とかみなさんの足を引っ張らずに、ついていけそうである。」

役柄が「女遊びが直らない伯爵」(劇中では「偉大なお殿様」という役名:日本語上演)の役ということで、少々抵抗感があったのだが、演じてみると、これが結構おもしろいのである。もしかしたらこれがきっかけで、舞台での歌の活動が増えたりする可能性も、無きにしも非ずといった感じもする。さて、3月28日は私の音楽活動の新しい1ページの始まりの記念すべき日になるのか、それとも「人生最初で最後のオペラ出演」となるのか・・・。いずれにしても、私の活動に関心・興味を持っておられる方たちには是非ご覧いただきたいオペラなのである。そして1人のパンフルーティストの音楽人生のターニングポイントになるかもしれない舞台の目撃者になっていただきたいものである。

題して「現代歌舞伎版ホームコメディオペラ フィガロの結婚」2010年3月28日(日)開演13:00(開場12:30) 会場:三木記念ホール

入場料:一般/2500円 小学生以下/1000円(当日券はかく500円増し)

お問い合わせNPO法人東京オペラ協会岡山支部オペラプラザ岡山事務局

090−6656−1976

随分とブログの更新がご無沙汰してしまった。書かなくてはと思っていても、つい忙しさにかまけてしまって・・・。でも何人もの方に「更新できない事情(病気など)でもあるのか」と心配をさせてしまっているようで、大変失礼をいたしました。とにかく活動内容の報告(箇条書きでも)でもかまわないから書き込んで、生存証明をしていかなくては。

そんなことで、まずは近況から。

実は今、「フィガロの結婚」というオペラの歌を必死で覚えているところである。訳あって出演することになったのだが、楽譜もまともに読めない私にとって2時間近いオペラの内容を体に覚えさせるのは至難の業である。しかしこれも縁であろう。とにかくベストをつくすだけである。本番は3月28日、会場は岡山市の三木記念ホールである。明日は兵庫県の福崎で演奏会。3月11日は新見市で、14日は愛媛県今治市でコンサートである。

12月10日のNHKテレビ「お元気ですか日本列島」で、私の活動が紹介されて、全国から数多くの反響メッセージをいただいた。ありがたい話である。CDの注文、パンフルートの注文、そして演奏の依頼。私が画面に映っていたのは6分程度だと思うが、パンフルートの音色が多くの方の心をとらえたようである。
放送中は、ちょうど演奏会を行っている最中であったのだが、さあその翌日から九州滞在である。コンサートやパンフルートの材料の女竹の収穫などのため、福岡・大分・長崎に滞在した。福岡でのホームコンサート(といっても30人ほど集まってらっしゃったか)、こんな規模の大きなホームパーティーは始めてかもしれない。楽しかったなあ。大分は国東半島で、女竹の竹林の所有者から許可を得て、自ら「竹取の翁」となって竹の刈り取りを行った。岡山よりも温暖だからだろうか、実に立派で良質な竹がいっぱい得ることが出来た。さすが竹産業で有名な大分である。
そして岡山にもどると、今度は大阪である。淀川キリスト教病院でロビーコンサートをさせていただくための、演奏見学に伺った。その日の午前は、尼崎にパンフルートの納品とミニレッスンとコンサートのため伺った。最近はこのパターンを増やしている。出来上がった楽器だけお送りするより、直接レッスンをさせてもらったほうが、最初の上達が早いようである。フルートや篠笛やケーナなどの経験のない人はなおさらその方がよいようである 。その訪問のついでにミニコンサートをさせてもらうのである。
さて、淀川キリスト教病院での私の演奏の予定が決定した。来年4月21日(水曜日)の14:00からの30分間である。30分という限りがあるが、楽しい時間にしたいと思う。一般の方もご覧いただけるロビーコンサートなので時間の都合がよいかたはパンフルートを聴きにいらしてはいかがだろうか。

大変急な話であるが、全国放送で取り上げていただける運びとなった。

12月10日(木) 午後二時から放送しているNHKテレビの番組「お元気ですか日本列島」で私の活動を紹介してくださることになりました。工房でのパンフルート製作風景やインタビューやコンサートの様子など、約10分間放送されます。プロ宣言をしてから4年余り、やっと全国のみなさんに動くイマイツトムをご覧頂けることになりました。パンフルートをみなさんに知っていただく、よい機会になりますように。

 移動、移動の連続となったここ半月である。嵐山で行われた観月会では、平安人の衣を身にまとい渡月橋上流の川面で二時間パンフルートを吹き続ける演奏を二日間行った。雅な雰囲気を演出するように、和音階を組み入れた即興演奏を試みた。月は見事に、渡月橋から上るように見え、嵐山の雰囲気とあいまって、私のイマジネーションを刺激し、私の想像以上にメロディーがパンフルートから溢れてくるではないか。これは本当にびっくりした。
 九州は、まず大分県の国東半島に数日間滞在した。数年前からお世話になっている竹材業者から竹の買い付けと、自分の足もしっかり使って上質な竹の確保に動いてみたのである。国東半島のあちこちで地元の方から竹の情報を収集していると、何だか「ひとりダーツの旅」を行っている気分になった。どうやら年内にもう1回大分に行かなくてはならないようだ。そんれから、福岡県に移動。パンフルートの納品と納品先のご家庭でホームコンサートをさせていただいた。それはそれは楽しくて充実した内容のアットホームなコンサートになった。大分での車中泊連泊の疲れも心から身体からとれたのである。福岡で2度目のコンサートになるが、「福岡のみなさんにも喜んでもらえると思うと、ほんのこつうれしかと!」なのである。
 翌日には岡山の牛窓で演奏。セイラビリティという、障害者のかたたちにセーリングを楽しんでもらおうという全国組織のNPOの年に一度の集まりの場での演奏である。夜の宴の中での演奏となったが、みなさん私の演奏とトークを楽しんでいただけたのがこちらも嬉しいのである。みなさんの健康的な日焼けがまぶしかった。さて、その翌日は岡山市内の西大寺で「世界食料デー岡山大会」でオープニングに演奏させていただいた。演奏後には世界の飢餓の現状とその打破のために行うべきことについての講演をいただいた。食料という観点から、日本をそして世界を見ていくと、課題が山積みなのだということがわかるのでる。一歩ずつ少しずつ解決に向けての行動を… その始まりは(きっかけは)人の心の前向きな選択からなのである。
 その翌日は大阪で、地域の中高年以上の方が多く集まられた場で演奏させていただいた。実は昨年の5月のNHKラジオ「ラジオビタミン」に出演した放送を、この会のお世話さんだった方が聞いてくださっていたことが、そもそものきっかけである。演奏終了後、新大阪駅まで歩いて帰ったのであるが、もう1箇所立寄りたいところがあった。それは淀川キリスト教病院である。たしかNHKテレビ「プロフェッショナルの流儀」でこちらの病院の看護関係の方の特集を拝見したのが、そもそも私がこの病院を訪問しようと思ったきっかけである。詳しい思いは後日書くとして、何はともあれアポなしではあるが、訪問して、自己紹介・楽器の説明・演奏家になった経緯・こちらで演奏したい思いなどをお話させていただいた。担当者の方は見ず知らずの男の突然の訪問と申し入れにも、丁寧に対応くださり、私の思いも汲み取っていただいた。来年の5月以降のいつか、まだ未定ではあるが淀川キリスト教病院のロビーコンサートで演奏させていただけそうである。
 最近、ふっと思うことがあるのだが…私のこの活動は「職業」なのか。そのひとことではおさまりきらないことをやっているような気がする。しかもひとりの活動である。結構しんどい思いも重ねてきているが…お金とは関係ない活動を自発的にやってしまっている。俺は一体、何様なのか。   そんな思いも時に頭をよぎるが、「心のままに感じ、動く」そこは大切にしていきたいと思っている。職業演奏家としての自分と、それ以外の自分。どっちも自分なのである。
今、東京からの帰りの新幹線の中である。23日に青山学院大学で行われた「同窓祭」のチャペルコンサートに出演のためと、パンフルート「備前の風」を青学そばの竹製品専門店「竹のめぐみ」に納品のための上京である。
 実は来週は京都の嵐山で行われる観月会で、演奏することが急遽決まったのだ。10月3、4日の夕方から夜にかけての演奏になるのだが、渡月橋上手の保津川のほとりか、場合によっては和船の上での演奏になる可能性もある。ところが3日も4日も昼には岡山で演奏の仕事が入っており、岡山と京都を行ったり来たりしなくてはならないのである。しかも5、6日には岡山の湯郷温泉での観月会の演奏も入っているので… これは移動移動の連続になる。
 それにしても嵐山の渡月橋の上流域のあのシチュエーションで演奏できるなんて… 感無量である。嵐山は平安貴族の別荘地的な位置付けにあったような記憶がある。山河の織り成す風景は、月夜に浮かべば古(いにしえ)の光景を映し出してくれることだろう。
実は30代半ばの5年間は、その川でカヌーやラフティングボートを操る仕事を、私はしていたのである。「リバーガイド」が「パンフルーティスト」になって、嵐山に帰ってくるのである。
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着々と楽器が完成している。一昨年までよりも手際よく作れるようになった気がする。しかしそれは、竹の加工の段階に入ってからの話で、ここにくるまでの竹の下準備(下処理〜乾燥〜選定〜炎による油抜き)には相変わらず時間と手間がたっぷりかかるのである。特に火炙り(炎による油抜き)の工程は、熱さとの闘いにもなるし、ムラが出ないように神経集中しっぱなしだし、つまりは楽な工程はないのである。クラフトマン精神が蘇る気がする。この分だと材料調達に10月半ばには大分に行かなくてはならないことになるだろう。
 また随分、日記の間隔があいてしまった。この間にも、いろんな出来事が起きている。
パンフルートの楽器製作作業には、もうすでに入っている。2年前に注文を受けたものもまだ残っていたので、それを何とか年内に完成させて、2010年から本格的に『備前の風』楽器製作を再開させたい。しかし、この製作ペースで行くと、秋の中ごろには材料の女竹が、なくなる恐れもある。そこで10月の中旬には、大分県に竹の仕入れに行こうかと、今予定を組んでいるところである。
 10月25日には兵庫県三木市で行われる「三木山フォルクローレ音楽祭」にいくつもりである。今年は出演も出店もしないが、韓国製のパンフルートの販売に協力してくださっているLOBOさんが出店されるとのことなので、その応援に行こうかと考えている。私に出来る応援は、「店頭でのデモ演奏」や「パンフルート体験教室」くらいのことであろうか。念のため私の2種類のCDもある程度持っていくことにしよう。春に予定されていたのだが、インフルエンザ騒動で10月に延期になってしまったのである。しかしまた、インフルエンザの影響を受けるのでは、といった懸念もなきにしもあらずではあるが…。
 そして湯郷温泉のロビーコンサート。ホテルサイドの方々からも好評をいただき、いくつかのホテルの秋のイベントに出演するよう、依頼をいただけるようになった。本当にありがたい話である。通常、ロビーコンサートの開始時間は午後8時30分からの30分間。入浴と食事を済ませた宿泊のお客様が、浴衣姿で三々五々とロビーに集まっていらっしゃる。ご家族連れや中高年のグループ、お若い二人連れなどなど、もちろんお酒が入っている方もいらっしゃる。そんないろんな状況の方たちの前での演奏である。ここで私のパフォーマンスを気に入っていただいて、地元に戻られてか演奏に呼んでいただけるような、そんな機会も期待しつつ精を出すのである。回を重ねるごとに、コンサートの全体的なクオリティーが上がってきているようにも感じる。
 そして昨日は、岡山市内のロイヤルホテルで演奏をさせてもらった。「四季の歌」をはじめ、数々の名作やヒット曲を世に送り出してこられた、作詞家の荒木とよひささんの「トーク&ライブ」イベントでの演奏である。お客様はコンベンションホールで豪華なランチを召し上がり、その後から「トーク&ライブ」を2時間たっぷり楽しむといったプログラムである。私はその豪華なランチタイムの時間に、30分間パフォーマンスをさせていただいた。もちろんパンフルートだけのソロパフォーマンスである。新作のCDに収めた曲や、歌(アカペラで)も披露させていただいた。演奏終了後、舞台そでに下がると、なんとそこには荒木さんがバンドのメンバーのみなさんと一緒にいらっしゃるではないか。そして荒木さんから「パンフルート素敵な音ですね。今度いっしょにやってくれませんか。」とまで言っていただけて、とても嬉しかったものである。
 もうじき9月である。9月には山口県や東京、10月には九州、兵庫、そして大阪、11月には鳥取と、演奏のご依頼を県外からもたくさんいただいている。「実り多き秋」になるよう、心をこめて吹きつづけるのである。

先日から、新たな挑戦の準備をしている。私の地元岡山には県北に美作三湯(みまさかさんとう)という大きな温泉エリアが三ヶ所並んでいる地域がある。西日本全域から多くの観光客が訪れるこの温泉街でミニコンサートを頻繁に展開しようというのである。一軒一軒ホテルを周り、企画説明と場合によってはデモ演奏もさせてもらったりもした。うーん何だかサラリーマン時代を思い出してしまった。女将が気に入ってくれて、早速来週コンサートさせてくれるというホテルもある。この流れが定着すれればいいなと思うので、はじめての場所での演奏では少々緊張するかもしれないが、岡山旅行のいい思い出の一つになるよう、あったかくて楽しいコンサートにしたいものである。宿泊客のみなさんにとっては夕食後のサプライズ・コンサートといったところである。  ところで、実はこの文章は広島からの帰りの電車の中で打っている。今日は平和記念公園は多くの人達が訪れていた。今日は行く予定にしていなかったのであるが、昨夜の新見市でのミニミ二コンサートの疲れも残っているのに、結構早くに目が覚めてしまい、「そうだ、広島に行こう!」とJRのコマーシャルのように突然おもいったったのである。でもおかげで新たな出会いが生まれた。「地球ハーモニーin広島」の実行委員のみなさんと知り合う事が出来たのである。詳しくは正式にスケジュールが決まったらお知らせすることにしよう。といっても来年の話しになると思うが。

 昨年の同日、原爆資料館そばで毎年行われている「アオギリコンサート」に出演したときも異常に暑かったが、今日の広島も灼熱の暑さであった。先月末で45歳になった。まさに「不惑」のど真ん中である。そしてここから、また新たな挑戦の始まりである。

 トップページに、最新情報として掲載しているが(携帯の方は、ご覧になれないかもしれないが)、現在CDの制作にとりかかっている。前作の録音から一年半は経つが、そろそろ現時点での自分の音を記録として残したいという思いが、強くなってきたのである。コンサート会場でのお客様からのCD第2弾を待ち望む声も聴かれるようになってきている。
 しかし前作のように「本格的な」CDを作る予算は、はっきり言って…ない。そんな時、ふと考えたのが「もしかしたら、今持っている手持ちの音響器材でCDが作れるのではないか」ということである。前作のように本格的な音楽スタジオや、ピアノとの競演の曲では、岡山市の山陽女子高校の音楽ホールを借り切って録音したのであるが… パンフルートのみのソロ演奏であれば、『備前の風』の工房でも録音できるのではないか。そんな思いからスタートしてみると、クリアーしなければならない問題が次から次へと現れるが、確実に「CD完成」に近づいていると言える。
 だが、いろいろ足らないところは、正直ある。総じて、「プロのCD」としてのクオリティー度は、満足いくほど高いものとは言えないかもしれない。文字通り簡素な「手作りCD」と言ったところである。
 しかしこんな条件だから出きる事もある。本作品には前作になかった私の「歌」そして「オリジナル曲」、それに随所に散りばめた「即興的特殊奏法」が幻想的な雰囲気を醸し出している。今の私だから出来る音楽アルバムである。もしかしたら、こんなCDは世界でも私だけしか作っていないかもしれない。そんな気もするのである。まさに私が普段やっている「パンフルートのソロコンサート」そのものに近いCDが出来あがりそうである。ちなみに、評判の「おもしろMC(トーク)」までは収録はしないが…。
 価格も前作よりも1,000円も安い1,500円にしようと思っている。このCDがきっかけになって、多くの人に私のパンフルートの音色を知ってもらえたらいいなと思うのである。
 そして、実はもうひとつ準備していることがある。それはしばらくHP上でも「シャッター」を閉めたまま、つまりは休止状態にしていたオリジナル・ワンマン・ハンドメイド・パンフルート『備前の風』の、楽器製作再開に向けての動きなのである。おそらく本格的な再開は来年以降になると思うが、今から少しずつ準備を進めていこうとしているのである。
 今月27日には満45歳になる。でも『備前の風』が誕生してまだ4年少々、つまりパンフルーティストの今井 勉はまだ4歳なのである。成長するのである。はい。

今、この文章は、大阪コンサートの帰りに電車の中で作成している。

 和泉市の「大阪府立弥生文化博物館」でのロビーコンサート。ロビーコンサートといっても、お客様は250人近くの方がコンサートを聴きにお越しになられた。吹き抜けロビーの2階から見下ろす形でご覧いただいた方々も多くいらしたし、どうしても会場に入りきれなかったお客様は中継の大型モニターで少し離れた場所からご覧いただくことにもなった。 文字通りの「超満員」である。

 「すごいぞこれはー」 記念すべき本格コンサートの大阪デビューであるから、緊張もするところである。緊張して体が固くなってしまうと、思い通りに全身を動かせなくなってしまい、まずい演奏になってしまう可能性があるのがパンフルートである。しかし会場にお越しいただいたお客様の「岡山からはるばるお越しいただいて、どうもありがとう。さあ、素敵な音色を聴かせておくれ」と言わんばかりの温かいオーラを終始感じることができたので、等身大で、精神的にも安定した状態で演奏することができた。演奏もトークもお客様に大変喜んでいただけたようである。

 一時間半の予定が、結局二時間近くになってしまって…演奏曲は八角園舎の時とほとんど変わりないので、演奏の合間のしゃべりが20分多かった計算になる。よくしゃべり、よく吹きつづけたものである。

 今、赤穂駅を最終の電車で出発したところである。晩御飯は大阪駅のカツカレーと姫路駅の「えきそば」である。気がつけば大阪からの帰りはいつもこれを食べているような気がする。この定番ディナーをこれから何回も食べそうな気もする。  この分だと自宅につくのは23時ころになりそうだ。

 五月三十一日、毎年恒例となった八角園舎コンサートがインフルエンザの影響も受けなく、無事に行われた。会場には150人のお客さんが集まってくださった。未就学児が20人近く、そしてまさに老若男女の客席となった。会場に入りきれないお客さんは、外からの立見で見てくださったりもしてくれていた。こんなに大勢の方にお越しいただいて、ありがたい話しである。
 昨年は、前半がパンフルートのみのソロ演奏と後半がピアノとの共演という2部構成としたが、今年は1部がピアノとの共演で、サンサーンスの「白鳥」、そして「愛のあいさつ」、「荒城の月」、シューベルトの「アヴェマリア」を演奏。2部ではパンフルートのみのソロ演奏で「子供向けの楽しい行進曲メドレー」や「幻想的わらべうたメドレー」「もし海外でストリートパフォーマンスしたらメドレー」などを演奏。お客さんの手拍子で、さらに盛り上がることができた。そして3部ではピアノと再び共演で「G線上のアリア」や「川の流れのように」や「千の風になって」を披露。そして、最後は「ふるさと」の大合唱で締めくくった。
 客席の7割の方が、今回はじめて私の演奏を見るとのことで、リピートの人もはじめての人も、楽しんでくださったようだ。前日に高松で、世界的パンフルーティストのコーネル パナ氏のコンサートを見て、とても良い刺激を受けていたので、今回の演奏はいつもと少し違っていたかもしれない。さて、この演奏内容を14日には大阪で披露する予定である。今からわくわくである。
 今年の八角園舎コンサートも、ケーナ奏者である私の知人が撮影してくださったので、動画で公開できる日がそのうち来ると思う。これも毎年ありがたい話なのである。

ずいぶんご無沙汰してしまった。久々のブログである。四月に入ってからの活動を自分なりに振り返ってみることにしよう。四日は私の母校岡山朝日高校で行われた桜花祭(おうかさい)という記念植樹の行事で演奏させてもらった。懐かしい大講堂が演奏会場である。高校時代、文化祭でこの舞台でハードロックバンドのヴォーカルをやったのを思い出す。その頃抱いていたミュージシャンへの淡い憧れが、今パンフルート演奏家として夢が実現しているのである。感慨深い思いで演奏させてもらった。十二日は神社でのコンサート、このコンサートは強烈な印象で私の記憶に残るコンサートとなった。演奏は神社の本殿で行う予定なのだが、本殿の中で聴いてくださる方と同じくらいの人数の方が本殿の外、境内に設けたふたはりの大型テントのしたで聴いてくださることになったのである。しかし本殿の戸口はそんなに広いものではなく、演奏予定の本殿奥の場所だと全く外の方を見ることが出来ず、つまりは外のテントで聴かれている方たちは私の姿をまったく見ることが出来なく
なってしまうのである。私の予想の三倍近い百五十人ほどの方が、いらしてくださったのであった。だから予定を変更して本殿の戸口近くで演奏することとした。私の前には外のお客様、後ろには本殿のお客様、つまりはサンドイッチされた形で一時間半のコンサートをパンフルートのソロのみでおこなったのである。しかし私には歌としゃべりという強い味方がいるので、コンサートはとても楽しいものとなった。
その日の夜は倉敷の阿知神社で行われたアメリカのヒーリング系のシンガーで私の大好きなスーザンオズボーンさんのコンサートを見に行った。コンサートは境内にステージを組んだ屋外コンサートである。「ガイアシンフォニー」という映画で彼女のことを知ったのは、十五年以上前のことである。いつか彼女の歌声を生で聴きたいと思っていたのが、実現したのである。彼女はただ今、ジャパンツアー中である。是非とも多くの方に彼女の歌声を感じてほしいものである。耳ではなく心で、魂で聴く歌声とはまさに彼女の歌声のことをいうのだと思う。この日は神社尽くしの一日となった。
そして今月から、山陽新聞カルチャープラザでパンフルート教室をスタートさせた。生徒はまだ、たったひとりだが、こつこつと頑張っていればきっと増えていくだろう。ちなみに生徒さんは、私の両親の世代の女性の方である。レッスンで使っている韓国製のパンフルートは、とても音が出しやすく、一時間ほどの練習でカエルの合唱が吹けるようになってしまったのである。ちなみに私の最新のレパートリーは「子象の行進」「G線上のアリア」「愛の挨拶」「荒城の月」などなど。これらの曲は、五月三十一日、六月十四日、六月二十八日のコンサートで、披露出来ると思う。現在練習中なのが「リベルタンゴ」である。これは五月四日の「おかやま蘭の祭典」で、箏演奏家の山路さんと演奏する予定である。

明日から二日間は広島で演奏である。韓国パンフルートの販売もぼちぼち。

でもまだまだ腕を磨きたい・・・手応えはかなりのものを感じてはいるが・・・

 そもそもこの「教室計画」は、演奏活動を始めたころから浮上していた案件である。(それにしても私の文章表現はなんか堅苦しいナー。)それが始動しなかった大きな理由は、パンフルート『備前の風』の製作が遅々として注文に追いつかないということであった。このままでは、せっかくパンフルートに興味を持ったみなさんのやる気を、そいでしまっているのではないかと常々気になっていた。
 そこで、いろいろ情報収集や某ショップのご協力によりメーカーとの交渉を行ったところ、パンフルートを安定供給できる状況を確立する目途が立ってきたのであった。それともう一つ、私としては画期的なことといえることをメーカーに問合せ中である。これがもし実現すれば… いろんな思いが頭をかけ巡るが、まだ答えが出ていないのでこれ以上は書かないことにしよう。(読んでいる方には、何が何だか…の文章になってしまったが、今の思いをこのブログに残したいので書かせていただいた。)
 何はともあれ、演奏教室を本格的に始動していくこととした。将来的には東京でも教室を開きたい気持ちもある。ただ往復の交通費や宿泊費、そして教室会場費や受講生の募集方法など、運営上の問題は山ほどあると思う。これは東京方面に協力者がいなければ、実現に時間がかなりかかるだろう。まずは、この地「岡山」で教室運営の経験をしっかり積んでいくことにしよう。
 実は以前から岡山市内の当工房でプライベートレッスンは行ってきていた。遠くは東京からレッスンに来られる方もいらした。これからは本腰を入れて、募集活動も始めていくことになる。ひとまず会場は二箇所、雄町(おまち)の「工房」と丸ノ内の「咲楽(さくら)」である。ラジオが縁で、このお店を紹介してもらったのであるが、オーナーは実に気持ちのよい方で、快く教室としてお店スペースを貸してくださることとなったのであった。
 何だか私のパンフルート活動の場合、ラジオにまつわる様々な方に、重要なポイントで助けられている気が強くするのである。FM岡山のMさんIさん、NHKラジオ(渋谷)のMさん、RSKラジオのTさんKさん、そして元RSKの素敵な低音ボイスアナウンサーのYさん、この方たちとは振りかえってみると複数回いろんな場面でご一緒させていただいているのである。また、ABCラジオのDさんも、どこの馬の骨かわからない私を、新社屋移転記念公開生放送の重要なステージにあがらせて下さったのである。本当にみなさんには感謝・感謝である。
 私の青春時代、ラジオは夜の「耳友(みみとも)」であった。そのラジオに、40歳過ぎても助けられているようで… 学生時代の友情が、今もなお続いているようで、本当に本当に嬉しい気持になるのである。「ラジオに乾杯!!」なのである。
 さー、この続きは… また後日。

 2月6日の練馬区ゆめりあホールでのジョイントコンサートに向けて、前乗りで4日に東京入りした。今回の共演者、中国揚琴奏者の金亜軍(きんあぐん)さんとの直前リハーサルに臨むためである。金さんの演奏は、まさに変幻自在である。その音楽性の深さ、テクニック…あらゆる要素において金さんのミュージシャンとしてのすごさに、圧倒させられたのが正直な気持ちである。でもそんな私の気持が、このリハーサルで音楽に集中できたのも、金さんのゆったりした雰囲気が私の心を落ち着かせてくれたからかもしれない。年齢も近いし、乗りも合う、ジョークもバンバン、そんな感じである。
 翌5日は芝大門にある日本赤十字社本部の「組織推進部」にごあいさつに伺った。二年前に岡山で行われた赤十字の大きな行事で演奏させていただき、このたびコンサートのため上京するので、ぜひごあいさつさせて欲しいと岡山支部の方にお願いして実現した面談であった。今回のコンサートを始まりに、今年は東京での演奏の機会をできるだけ多くしていこうと考えている。それはギャラの発生するものだけに限らず、可能な限り施設や病院などの演奏をうまくスケジュール調整して行っていきたいのである。岡山でやって来た活動を、東京で新たにやっていこうということである。そんな思いも赤十字の本部でお話させていただいた。
 品川に宿を取っているのであるが、ウォーキングかたがた芝大門まで歩いてみた。品川駅近辺は、今では高層ビルが群立していて、新幹線も停まるようになり、すっかりビジネスとおしゃれの街に様変わりしてしまったが、第一京浜を歩いてみれば行き交う人は、ごく普通の人たちなのである。なんだか妙に安心してしまった。そのせいか、もっと歩きたくなってしまい…日赤本部を後にしてからもしばらく歩いて、とうとう東京タワーの真下に来ていたのであった。タワーの敷地から一段南に下がったところに、こんもりとした「都会のぷち森林公園」みたいな場所を見つけたので、そこで明日の本番に向けてパンフルートの練習を1時間ほど行った。公園を行き交う人達も、特に足を止めるでもなく…、気がつけば近くの木々にモズやスズメやカラスや、はては足元にハトが数羽いたりもした。ウ〜ン、都会の動物たちも癒しを求めているのであろうか…。 さて、日陰の公園での練習を終え、1時間じっとしていたため冷えた身体を温めようと、東京タワーの真横を通って、ロシア大使館横、六本木、乃木坂を通り、気がつけば「青山一丁目」まで歩いてしまっていた。その夜、蒲田のうなぎ屋さんでJALTの仲間と再会。14年振りの再会もあった。私が30歳になったばかりで、人生の岐路を迎えたころにOBS(アウトワード・バウンド・スクール)日本校で出会った仲間たちである。年齢も性別もばらばらだが、腹を割って話し合える、私にとっては大切な仲間である。
 いよいよコンサート当日。開演は18:30からであったがリハーサルのため14:00に会場入りした。会場は、練馬区の西武池袋線「大泉学園」駅前のゆめりあホール。パンフルートと中国揚琴のセッションリハーサル。パンフルートと木村まさ子さんの朗読とのセッション、揚琴と村上信夫さんの朗読とのセッション、そして今井、金氏、木村氏、村上氏の四人が共演するパートのリハーサルと進めていった。刻一刻と開演の時間が近づいてくる。今回の公演の最初のパートはパンフルートのソロ演奏20分間である。東京のみなさんにパンフルート『備前の風』の生の音色から聴いてもらえる嬉しさと緊張感。うーんたまらん!!
 そんなこんなしている間に、開演。あれよあれよという間にフィナーレとなってしまった。実に中身の濃い約二時間を過ごさせてもらった。本当はここで公演内容を書きたいところなのであるが… 実は、「再演を…」という声も聞こえたりするので、ここでは内容は内緒にしておこうと思う。
 何を演奏したかについて答えらるるとしたら… コンサート前日に蒲田のうなぎ屋さんで再会したJALTの仲間が連れてきていた1歳になる赤ちゃんに演奏した「犬のおまわりさん(イントロからエンディングまでのフルバージョン)」。にこにこしながら、ひざでリズムをとりながら、手拍子をとって踊ってくれているようであった。それからうなぎ屋のおかみさん(実はJALTの仲間のひとりの実家の稼業である)のために「川の流れのように」をパンフルートソロで演奏してさし上げた。演奏後、心なしかおかみさんの目が赤く潤んでいたような気がした。
 何はともあれ「備前の風が東京の町に初めて吹いた」記念すべき3泊4日であった。こらからまた金さんのようなプロ中のプロのミュージシャンとも共演したい… 東京武者修業の始まり始まりである。

 2009年最初の日記である。前回からひと月以上間があいてしまった。年末年始はコンサートでいろんな経験をさせていただいた。クリスマス直前には、徳島県にある精神科の病院でコンサートをさせてもらった。私がNHKのニュースで紹介されたのを、たまたまこの病院の院長がご覧になったのが、そもそものきっかけである。ピアノの西村さん、彼女と一緒にマイカーに乗って、高速道路を走って訪れた。こちらの院長先生は私たちプロの演奏家の音楽が、精神科の治療の一環として充分役に立つという、治療成果の文章を全国誌に発表していらっしゃり、自分の音楽を医学的な側面から意識する良いきっかけを、今回与えてくださることになった。実はそのコンサート会場にいらした阿南市の保険センターの方から、今度は保険センターの行事で演奏してくれと依頼をいただき、3月10日再び阿南市で演奏することになったのである。
 今回の病院コンサートをきっかけに、昨年秋に立ち上げた「ホスピタル・パンフルート」(略してHP)の会に益々力を入れなくてはならないなと感じたところであった。それが何と年明け早々に、その会の賛助会員になってくださるという記念すべき第1号の方(Zさん)が現れたのである。Zさんは私のコンサートを主催してくださったりと、ここのところいろいろとお会いする機会の多くなった方ではあったが、正直「HPの会」のことはほとんどお話していなかったと思う。私のPR不足もあって、協力者がまったく現れない状態で、正直わたしもその会への意識が少し薄れていたように思う。そこへきて、精神科病院でのコンサート、そしてHPの会への入会者出現と… ひとつの方向に、なにか光がさしてきたような、そんな実感を覚えるのであった。
 年始のミニコンサートでは「紋付・羽織・袴」で演奏するという初体験もさせてもらった。某女性会の新年会という席でもあったので、ピアノの西村さんが「着物で演奏しましょうか」といったのがきっかけで、私も「和のフォーマル」を着ることとなったのであった。しかしレンタル衣装ではなく、自前で何とかならないかと西村さんのご家族や、家内のお母さんや、私の実家を総動員して「紋付・羽織・袴」を大捜索することとなったのであった。その結果、羽織・袴は私の実家から、紋付は家内の実家から、そしてその着付けは西村さんのお母様にお願いするというチームワークが出来上がってしまうという結果になった。
 いやー実にいい経験をさせてもらった。それにしても羽織・袴で演奏するクラシックの曲は、見ている側には結構「ミスマッチ感」があったかもしれないが…。「愛のあいさつ」とサン・サーンスの『動物の謝肉祭』の「白鳥」を演奏したのだが… 抹茶入りのクリームでつくったショートケーキみたいで、結構合ったかもしれないし… 
 さて、来月2月6日には、いよいよ東京での初ホールコンサートが行われる。会場のゆめりあホール(練馬区・大泉学園駅前)は170人ほどの客席数なので、主催者側の方でチケットはほとんどさばけてしまったようである。しかし私のHPを見て問い合わせ下さる方もいらっしゃるので、その席も確保するようにお願いしている状態である。今回、活躍分野が違う四人の個性がどんな風に絡み合って、どんな化学反応を起こすのか… 正直、まだ見えていない部分が多々ある。しかしきっとすばらしい会になるだろうという期待感だけはすごくあるのである。金さんの揚琴(ようきん)の音色と、村上氏、木村氏の語りと私のパンフルートがどんな空間を作り上げるのか… 実に楽しみである。
 このコンサートをきっかけに、今年は頻繁に東京に出向く機会を作っていこうと考えている。それこそ東京方面の公民館や宗教施設や病院や学校での演奏も積極的にやっていこうと思う。2009年もひきつづき、広く種蒔きをしながら「一吹入魂」の演奏を続けていきたいと思う。その種から、いつかきっと大きな花が咲くことを信じて。

ブログを書いていないうちに、12月になってしまった。昨日、岡山の山陽新聞に私と筝曲演奏家の山路みほさんのジョイント演奏の様子が1ページを使って紹介されていた。この舞台では、ショーの後半には「かぐや姫」の別れのシーンを語りと演奏で表現することにも挑戦した。かぐや姫の語りを山路さんが、翁(おきな)の語りとナレーションを私が担当した。共演による私のオリジナル曲「かぐや…月の涙」と「一期の契り」の演奏の前後や曲中に二人の語りが入るという斬新なものであった。今まで演技のパフォーマンスの途中にパンフルートを演奏するというのは、岡山の山陽女子高校音楽科カルチャー講座「ヴォイス・パフォーマンス」で経験はしたことがあったが、曲の中で役を演じるのは初めての体験であった。つまりパンフルートを1コーラス吹いて、筝の伴奏が続く中で翁の感情がこもったセリフをいって、セリフあけにそのまま筝にあわせて、パンフルートを吹くということである。今回、古語風のセリフも自分で考えたりといろいろなことに挑戦することができた。結果からいうと大成功であった。私なぞ、翁の気持と娘を持つ自分の気持ちがシンクロしてしまったのか、セリフをいいながら涙がぼろぼろ出てしまい、そのままパンフルートの演奏に入ってしまう状態になってしまったくらいだ。そんな写真が新聞に載りはしないかと、昨日まで実はハラハラしていたのである。
 「俺にはこんなことができるのか!!」と驚きの気持ちがいっぱい。また、提案者の山路さんには感謝・感謝である。
 来年2月15日(日)の「ヴォイス・パフォーマンス3」発表会では、東北弁に挑戦のひとり芝居とアリアの歌唱、それに以前から気になっていた楽器「ライア」という小さな竪琴とジョイント演奏にも挑戦できることになった。ご用とお急ぎでない方は、是非見に来ていただきたい。普段のコンサートでは見せない姿、もしかすると本当の自分に近い姿はこちらかもしれないが、そんな私と仲間達を見ていただきたいのである。
 ご存知の方も多いだろうが、私のコンサートは「演奏」「トーク」「歌」の3本柱でできている。そこにもしかすると「演技」とか「語り」といった新しい柱が、近い将来入ってくるかもしれない。そんな予感を感じる今日この頃なのである。

山陽女子高校音楽科カルチャー講座発表会
「ヴォイス・パフォーマンス3」
2009年2月15日(日) 14:00開演  入場無料
上代淑記念館ホール(岡山市門田屋敷・山陽女子中学・高校内
          ℡086−272−1181)

曲目
オペラ「フィガロの結婚」、「ジャンニ・スキッキ」、「清教徒」、「ほほえみの国」より
ミュージカル「オペラ座の怪人」より
めだかの学校  うみ  みかんの花咲く丘  桃太郎ソング  他