数日前、工房に天使が引っ越してきた。というのも先日、家族で倉敷市の美観地区に行った時、昨年から気になっていた店にまた立寄ったのである。店の名前は覚えていないが、一年中クリスマス関連の飾りや置物を売っている、とてもユニークなお店である。家族はそうでもないのであるが、私はその店の中にいるだけでとっても幸せになれるので、しょっちゅう顔を覗かせていたのである。ヨーロッパで買い付けしてきた商品も数多く置かれ、本格的なのである。そして昨年私はその店で「パンフルートを吹く天使」の像を見つけたのであった。決して高い商品ではないのであるが、大の大人の男が買うものでもないよなー、という思いから、買わずにいたのである。でも今回、誰にも買われていない事を知り、「これは私が買うべきものなのだ」と心に決め、ついに購入したのであった。お店の方曰く「ヨーロッパで買い付けしてきた商品なので、なかなか日本にはないものですよ。」との嬉しいお言葉。

 天使は今、私の工房の机の上に座って、私がパンフルートを作るのを楽しそうに覗きこんでいるのである。そんな天使からのプレゼントなのか、今日素敵な出会いがあった。

 今日夕方、また美観地区に行った。3月31日の三宅商店でのコンサートの告知も兼ねて、倉敷ケーブルテレビのロケ番組に出演・演奏したのである。ロケ終了後、まっすぐ帰るつもりだったが、今美観地区は「春宵あかり」というライトアップのイベント期間中だという事を知り、ふらりと美観地区に入っていったのであった。すると、通りの一角で…。

 「ライア」のストリートパフォーマンスがなされていたのであった。「千と千尋の〜」のテーマ曲で注目を浴びた楽器であるが、生の演奏をはじめて目にしたのであった。その優しい音色、そしてライアにあわせて歌われる「包み込まれるような」優しさいっぱいの歌…。一目ボレである。演奏終了後、CDを買わせていただき自己紹介したところ、先方もパンフルート吹きの私の事を知っており、会いたかったとのうれしいお返事で、びっくりであった。お名前は藤本美智子さんとおっしゃり、なんと住んでられるところが、私の自宅から車で15分ほどのところだと聞いて、二度びっくりであった。この週末は、私は関西に、そして藤本さんは来週から1週間ほど九州に行かれるとのことなので、あらためてお会いできるのは、4月に入ってからになりそうだが、ジョイントできたらいいナーと思うのである。ライアとパンフルート… 何だか楽しみである。「工房の天使に感謝!」である。

パンフルートを吹く天使
ライア
私は岡山県立岡山朝日高校の卒業である。昨年11月、卒業生全体の同窓会にあたる「交流・親睦会」の会場で、無理をいってパンフルートの演奏をさせてもらったのが縁で、今回同窓会HPへの寄稿の依頼をいただいた。その文章が、本日HP上にアップされた。短い文章であるが、今の私の状況をうまくまとめたものになったと、自画自賛している。よかったら覗いていただきたい。
 それから、昨日より工房に同居人がいるのである。ヨーロッパからやって来た、パンフルーティストの天使である。クラフトデスクの上に座って、私がパンフルートを作っているのを、パンフルートを吹きながら見守ってくれている。近日写真公開なのである。
息子はバスケットボールのチームに所属しており、今夢中で練習している。そんな彼が、昨日ある器具を買った。手首・足首に重りをマジックテープで固定するスポーツ用具である。左右手首に300gずつ、両足首に500gずつ。腕や足を俊敏に動かさなくてはならないバスケットボールの練習に重さの負荷をかけようというのである。それを見たとき、手首の重りはパンフルートの演奏練習にも使えるのではないかと思った。メロディーが速いテンポで上下する曲などの場合、楽器を結構な早さで左右に動かさなくてはならなくなるのがパンフルートである。以前、楽器店で指につける重り(ウェイト)を見たことがある。ピアノの練習用らしい。スポーツの練習からヒントを得たのであるが、パンフルートに有効な練習法になるかどうか…  しばらく試してみようと思う。まさに、パンフルーティスト養成ギブス状態である。ちなみに今は、メタボリック・パンフルーティストであるが…。
私の知り合いの知り合いが、サンポーニャを持ってて吹き方を知りたいとのことで、先月お会いしたのであった。実は私はサンポーニャの教則DVDを持っているので、それをお貸しすると約束していたので、今日お持ちした。その人は岡山に最近できた「チーズケーキファクトリー岡山表町店」に勤めていらっしゃるとのことで、はじめてお店に寄せてもらった。なんとそこでまたまた再会を果したのであった。上記の私の知り合い、その人に偶然にも再会したのである。ここのところそんな“再会体験”ばかりしているので、少々驚きである。チーズケーキをいただいて、食す。濃厚な味の中に、さわやかな酸味が存在感を感じさせる。チーズケーキ大好きの私にとって、レストランとかで出るチーズケーキは一個では物足りなさを感じるのであるが、ここのケーキは一個食べただけで、二時間の好きな洋画を観た後のような充実感を味わうことができたのである。「やばい、はまってしまうかもしれない」ここには喫茶コーナーもあり、いつかこの店でチーズケーキバイキング・コンサートなんかができたらいいナーと、考えてしまった。その際は出演者よりもお客さんの側に回りたいナー、と思ったりなんかして。
 今日午前、工房に来客が会った。『備前の風』の出演依頼をくださった方たちである。まだ正式決定ではないので、詳しくは述べられないが… 昨年6月に初めて行った一般向けのコンサート(この時はジョイントコンサートだった)の会場で「ジャワ島地震救援金」をステージより呼びかけ、多くのお客様に募金をいただきそれを持参したのが縁で、今回のお話が持ち上がってきたのである。その時募金を受け取ってくださった方と上司の方計二名いらっしゃったのである。(再会である)正式決定され次第、トップページでお知らせしようと思う。
 そして今日午後には、その募金を呼びかけたコンサートを行った会場「八角園舎」の館長から久々に電話が入り、「夏に今度は単独コンサートを行ってもらえないか」という出演依頼があったのである。(これも再会である)快くお引き受けさせていただいた。8月18日(土)14:00〜八角園舎(はっかくえんしゃ)にて:岡山市。
 実は、昨日は三宅商店のT氏とコンサート等の打合せをさせてもらったのであるが、話していくうちに、なんと私がサラリーマン時代に、一度お会いしていることが判明したのである。5年振りであった。(なんとここでもまた再会なのである)
 この不思議な縁のつながり…偶然という言葉だけでは片付けられない、何かを感じずにはいられないのである。
この1週間いろいろなことが、一度にありすぎて…  まず、柳沢慎吾さんとのTV出演。放送日が決まったら、スタッフの方が連絡くれるはずだったのだが、忙しかったのか連絡ないまま放送されてしまった。HPで告知できなかったのが残念である。しかし電波の力はすごい。中国地方&香川エリアでの放送だったのだが、遠方から注文の電話やメールが入るし…九州からの帰り、広島県の竹原市内の町並み保存地域で情報収集していると、「お宅この前『人気もん』(柳沢さんの番組)に出てた人でしょう?」と声をかけられたのである。
「人気もん」は、まさに人気のある番組であった。実は3月1日にも岡山・香川エリアで番組が1本放送され、きれいな夕日をバックに「七つの子」や「夕焼小焼け」を演奏したのである。今回はハイビジョン放送されたとのこと。九州滞在中だったため、リアルタイムではオンエアーを見ることはできなかったが、岡山のみならず四国からも問合せが入ったりと、反響があり嬉しい限りである。
 さて、九州遠征。前半は大分県での竹材探しの旅となった。結論からいうと…大分は竹材の宝庫である。岡山では河川敷くらいにしか繁殖していない女竹が、県内特に国東(くにさき)半島には至るところに繁殖していて、車で移動中の私は「わき見運転」&「ここにも生えてるー!!」と絶叫のしっぱなしであったのである。(危険だから、よい大人は決して真似しないでね。)優良な乾燥女竹を仕入れさせてくれる業者も無事見つかり、ひとまず材料確保の心配はなくなったといえる。また、ケーナ愛好者の方たちの間では有名なケーナ作家&竹材業者でもある「めんちくさん」とも会って、長時間お話ができたことがとても大きな収穫になった。近いうちに「めんちくさん」のHPに『備前の風』の演奏をアップさせてもらえる約束もいただいたので、でき次第、このHPでお知らせしたいと思う。リンクも貼らせてもらう。
もっと書きたいのだが、後半に移ることにする。
 旅の後半は福岡でのミニコンサートである。西南学院大学の施設に囲まれる様に、建立する「西南学院バプテスト教会」で演奏させてもらったのである。隣接する幼稚園の園児のお母様方(約100人)の前での演奏であった。「星に願いを」から入り、「コンドルは飛んで行く」、十八番の「女の一生」メドレー(4曲)、宗教曲のリクエストがあったので「アメイジング・グレイス」、それと「シューベルトのアベマリア」もやりたかったのだが、時間の関係で演奏できなかった。そして最後は「千の風になって」の歌と演奏を披露。涙と笑いのホッとする時間をみなさんと共有することができて、とっても楽しかった。演奏終了後、進行をしてくださった幼稚園の園長先生が声が詰まってうまくしゃべれなかったのが印象に残った。それから今までにいただいた中で最も大きい花束をいただき、感謝の気持ちと「これ高かったろうナー」という気持ちでいっぱいになった。福岡市街の車は恐ろしいほど運転が荒かったが、福岡の人達は今までに経験したことないくらい、「暖かい」もしくは「熱い」人達が多かったのが強烈な印象に残った。また演奏にこれたらいいな。
 う〜ん、まだまだおもしろい話しがたくさんあるのだが、書ききれない…
九州滞在中、3件もコンサートの依頼が入り、その3件とも今週、工房で打合せとなっているのである。正式に決まり次第、トップページで紹介しようと思う。楽器の注文はドンドン溜まっていくのに、製作の時間が減りそうな予感…。見かねてか、実家の父と母が「簡単な作業だったら手伝ってやるでー」と声をかけてくれた。春の到来を感じさせるくらい、暖かい日曜日だったが、それ以上に私の心は温かくなっていたのであった。今井家二代協同製作による『備前の風』が製作されだすのも、近いかもしれない。
 振返ると、今年に入ってからたくさんのコンサートやイベント、テレビ出演、そして工房に来客と、急激にたくさんの人の前で演奏する機会が増えていった。演奏や歌、それにステージでの私のパフォーマンスを喜んでくださる方が、予想以上にたくさんいて嬉しい限りである。最近は、ときどき「今井先生」なんて呼ばれることもあり、なんだかお尻の当たりがむずがゆくなるときもあるくらいである。「俺がすごいのか?『備前の風』がすごいのか?ま、どっちでもいいや。」
 頑張ってきた甲斐があってか、夢がすこしずつ大きく現実化していっている観がある。「よし、よし。順調、順調。」「俺、なかなかやるじゃん!」みたいな気持にもなるものである。もし「今井が天狗になるまで」と画面の下にカウントダウンの映像が入ったとすれば…けっこう直前の時間が記されているかもしれない。
 しかし現状は…『備前の風』を製作して販売しない限り、安定した収入はないのである。いくら天狗になっても、工房で竹と向き合うと現実に引き戻されるのである。『備前の風』作りは、私にとっては真剣勝負である。ノコギリやヤスリ、ナタやカンナ…常に鋭い刃物を持っての作業である。気を緩めれば、竹だけでなく、自分の指も切ってしまうのである。実際、何回か指をナタやカンナでざっくり切ったことがある。歌口へのヤスリのかけ方ひとつ違うと、音色も全く変わってしまうのである。非常にデリケートな作業がいっぱいあるのである。
 パフォーマンスで高揚した気分、賞賛を浴び浮かれてしまいがちな気分を、工房に入ることで静めることができるのである。今の私にとっては、精神的にも必要な場所なのである。すぐそばに両親がいるということも、私の精神を落ち着かせている要因の一つでもある。もちろん家族の存在(妻1人、子供2人)のおかげも、言うまでもないくらい、私の精神を支えてくれているのである。お金の心配は多々あるが…充実した気分で日々過ごせている。感謝である。だから不倫も愛人もないのである。
 今日、13管の『備前の風』がようやく2個できた。これは、知り合いの妹夫婦の子供の誕生日プレゼント用なのである。今週末の日曜日、夕方に誕生会があるとのこと。そこに伺い、直接納品である。そして、デモ演奏&ミニ・パンフルート教室を行う予定である。子供たち、喜んでくれると嬉しいな。そして、その足で九州に向うつもりである。
 今日は午後からテレビの取材が入った。岡山のテレビ局には、各局にキャラクターがいる。オー君、アレスケ、スパーキー…。今日はトゲトゲ頭の「スパーキー」の放送局の取材だ。(こんな表現では岡山・香川の人しかわかんないだろうなー。)
 工房での取材を終えて、今度は材料の女竹の生えているところを撮影させてくれとのこと。過去にもこの依頼は、たくさん受けたが、すべて断ってきた。言わば、企業ひみつでもあり、撮影したがために、そこで女竹が取れなくなったら、困るのは私一人ではないからである。細い女竹は、キュウリなどの、ツルを伸ばす野菜の支柱にとても便利で、地元の農家の人達はよく使っているのである。また、篠笛作家の人達や和竿を作る人たちなど、多くの人が昔から女竹の恩恵を受けているのである。そんな人達に迷惑がかかってはいけない。そんな思いから断っていたのである。
 しかし、状況が少々変わってきたのである。岡山だけの話ではなく、全国的な傾向だと思うのであるが、一級河川などの大きな川の護岸工事や河川敷の新たな公園化など、河川敷の開発工事が、結構至るところで行われているのである。工事計画の敷地内にある樹木や竹林は容赦なくすべて伐採されてしまうのである。去年は女竹のすばらしい竹林だったところが、今年行って見ると、すべて伐採されて河川敷の工事が始まっていた、という辛い経験を、昨年から何回も経験しているのである。極端なことをいうと、このまま工事が全国的に大規模に勧められてしまえば、河川敷から女竹が1本もなくなってしまうことになってもおかしくないのである。
 だが、これを危機感と感じる人は果して全国で何人いるであろうか。ただでさえ、近年は竹類は「厄介もの」扱いされている存在であるため、河川敷から女竹が消えても「河川敷がさっぱりして見晴らしが良くなった」と感じる人が多くいても、それを危機感と感じる人は本当に少ないであろう。
 韓国のパンフルートの協会は「韓国のパンフルート愛好者は10万人いる」と発表している。当然、需要と供給の原理から、パンフルートのメーカー会社もいくつかあるのである。ただ、私の知る範囲では、韓国製のパンフルートの材料の竹は中国から輸入されているとのこと。日本には、今産業としてはほとんど手付かずの「優良な」女竹の竹林が、あちこちに点在しているのである。といっても、大分や千葉などは日本でも有数の女竹の産地で、ケーナ製作をする人達はよくそちらから購入しているという話しをきくのであるが… そこに新たにパンフルートという日本では新しいジャンルになる楽器が、ある程度全国的な産業になれば、国産の女竹の価値が見なおされるのではないかなとも思う。かなり勝手な、手前みその考え方ではあるが。
 話しが少々それたが、河川工事と女竹の実態を多くの人に知って欲しいという、強い思いを最近特に感じていたので、今回はテレビ撮影を了解したのである。そして、「今にも河川工事が私の一番大好きな竹林の直前まで来ている」現場に取材陣を案内してさし上げたのである。そしてその竹林のすぐそばで演奏も披露、撮影もしてもらったのである。ただ、今回の取材の主旨が若干違うので、どこまで私の思いが放送で反映されるかは正直、疑問ではあるが。
 この問題は一個人がいくら活動しても、状況が変わるものではない。対国土交通省、対自治体・行政の話しになることなのであるから。でも、『備前の風』が、遠い国の竹で作られるようになったら、正直とても寂しい思いでもある。そうなったら『備前の風』の看板は、もう外そうと思う。何とか根付いた産業になってほしいなというのが、おこがましくも私の本音なのである。
 何だか、今日の取材のおもしろい話しを日記に書くつもりだったのが、ちょっと方向が変わってしまったな。というのも最近、変な夢をよく見るからかもしれない。緑(竹の表面の色)と白(節から上に伸びて節間の半分を覆っている女竹類の特徴の表皮の色)のストライプ模様がとても美しい、女竹の広大な竹林を遠目に眺めて和んでいると、どこからともなく轟音を響かせながら、ブルドーザーとユンボがやってきて、その竹林を有無も言わさず、片っ端から、根こそぎ除去していくという、私にとっては「むごさ」を感じてしまう夢をよく見るようになったからであろう。まるで自分の身内に何かされているような…そんな思いなのである。
昨年の6月から練習を開始したプロジェクトの発表会である。本格的に声楽を学ばれた方々から、初挑戦の人まで。そして年齢も中学生からナイスミドル(?)まで、実にバラエティに富んだ、メンバー構成であった。昨年6月のジョイントコンサートでコーラスの指導をされていたK先生のお誘いで、参加させてもらったのであるが、なかなか練習に参加することができず、半ば「幽霊部員」状態であったが、メンバーのみなさんは快く私を受け入れてくださったことには、感謝に尽きる思いである。
声楽経験のない私ではあったが、呼吸の大切さ、そして「大きな声と響く(遠くに届く)声は違う」ことに、この年にして、気づき、たくさんのヒントを今回のプロジェクトからもらうことができたと痛感している。「気持ちを伝えたいがために、声を作る傾向」があった私にとって、作れば作るほど、体は固くなり、結局聞き手に届かない声になってしまっていたのである。自分の声で、自分の呼吸で歌う。本当の歌はそれだけで充分相手の耳に、相手の心に響くのである。
「歌う」ということに対して、掘り下げてここまで真剣に考えたのは、もしかしたら生れて始めたかもしれない。真剣に歌うことに取り組んでいる人達が回りにたくさんいたことに感謝である。私の今のパンフルートの演奏・表現は99%、自分の歌い方の延長線上にあるといっていい。この8ヶ月の(途中かなり欠席しちゃったけど)経験を、パンフルートの演奏にも活かして、更なる磨きをかけていきたいと思う。
 またまた、かなり固い文章になってしまったが…。今、悔やまれることとしては、「南京楼」での中華の打ち上げに参加できなかったことである。
 ボイパのみんなに改めて、感謝である。
 今日は朝から少々緊張していた。FM岡山の「フレッシュモーニングおかやま」に電話出演するからであった。自宅の電話でインタビューに答える生出演である。この番組にはとてもお世話になっており、私の活動が世に広まるきっかけを作ってくれたと言っても過言ではないのである。スタジオ生演奏や、なんと天気予報やインフォメーションの生BGMもさせてもらったくらいである。今回は「近況報告と18日のコンサート」の告知をさせていただいた。テンション高めで(DJモード)話していたのであるが、実はすぐそばには家内がおり、少々テンション上げづらかったのも事実で… なんせオンエアー3分前まで、電話のそばでは掃除機がかかっていたのである。
 その後、工房に移動。今日は1日竹の下準備の『油抜き』と言う作業をしていた。大方乾燥しかかった竹を一節ずつ、炎で炙るという「手間のかかる」「油断すると竹が焦げてしまうので、気の抜けない」作業である。下準備からこれだけ手間がかかるのだから、本当は20管で3万円くらいの値段をつけないと割に合わないのであるが…九州遠征までには2.2万円に値上げするつもりである。よし、明日値上げすることにしよう。決めた!!
 夕方にはTVから出演依頼の電話が入った。今回の企画もすごく趣のあるもののようである。くわしくはまだ発表できないが。
 そして、いよいよ今月26日から5日間、『備前の風』がいよいよ九州に上陸することが正式に決定した。メインの目的は「大分県での女竹の仕入れ先探し」と「福岡での演奏活動」である。しかし、5日間の間でスケジュールが確定している時間はまだ少ないので、福岡・大分近辺にお住まいの方で『備前の風』の音色を実際に聴いてみたいという人は、気軽に携帯に連絡いただきたいと思う。
 『備前の風』で「千の風〜」を吹いたら「春一番の風」が吹いて一足早く私の周りでは、春がやって来そうである。うん、この風は強い追い風のようだな。私の背中を「ぐんぐん」押してくれているようである。
 今日は午後から工房に入る。四国でたくさんの注文もいただき、楽器製作におおわらわである。
 工房のすぐそばにスーパーがあり、そこでお気に入りの「午後の紅茶 ミルクティ2L」を買って工房に戻る時、その光景はあった。工房の前は実家の畑と田んぼである。畑には、春に収穫できる苺の苗が整然と植えられている。
 私の両親は健在で、今日は二人でその苺の畑に黒いビニール(保温・霜よけ用?)をかける畑仕事をしている。父がクワを持ち、畑の土を整えている。母がビニールをかける作業をしている。二人の距離は約3m。昭和5年生れの父と年下の母。年はとってきたが、二人とも畑仕事をするには充分な体力がある。
 なんだか、イギリスの農園で働く老夫婦の絵の様に、そこだけ緩やかな時間が流れているような、そんなのどかな雰囲気である。こんな風に両親を見るのは、もしかしたら私にとって生れて初めてかもしれない。
 そんな両親が働くそばで、私はパンフルートという平和の象徴のような楽器を製作している。そう思うと、なんだかとても幸せな気分になってしまい、工房に戻る足を遅めて、ほんの数秒であるが二人の光景を目に焼き付けていたのである。心の中では、不意に「ありがとう」という言葉がつぶやかれていたのであった。思春期から、数知れぬほど両親には心配をかけてきた自分である。今度こそ、両親に心底喜んでもらえるような活動を成し遂げようと、工房に入る瞬間に心の中で強く誓ったのであった。
 今日、香川県まんのう町の「ママハウス」という、周りはのどかな茶畑が広がる丘陵地にある、居心地の良い素敵なログハウスで、昼夜計2回のコンサートを行わせていただいた。主催のHさんの声かけのおかげで、2回ともお客様がいっぱいいらっしゃてくださった。
 演奏スペースの横には、120万はするであろう、大型暖炉ストーブがあり、暖かなオレンジの炎の光をはなっていた。計三時間のコンサートの予定であったが結局4時間くらい演奏してしまったようである。
 前半は童謡唱歌を中心に懐かしい曲を楽しんでもらい、後半では、クラシックやアニメソングまで、最後は歌声喫茶のように、パンフルートに合わせて会場みんなで、大合唱をして楽しんだ。聴けば、四国では歌声喫茶を行っているところはあまりないようであり、伴奏楽器があれば、ここで本当に歌声喫茶ができるねという話が出たくらいであった。そして最後の曲は、Hさんからリクエストいただいていた「千の風になって」を前半は歌い、後半はパンフルートで演奏した。
 この曲はオリジナルキーがホ長調なので、スペアーのパンフルートをホ長調に移調して演奏をした。私のようにまだキャリアの浅い奏者は、半音がたくさん出てくる曲の場合、比較的簡単に移調ができる、『備前の風』は重宝な楽器である。(宣伝でした)
 老若男女(子供さんもいた)のお客様の構成で、選曲が少々難しかったが、笑いあり・ほろりとするシーンもあり、アットホームな雰囲気の中、楽しい時間をみなさんと共有できた様に思った。
演奏終了後、パンフルートに挑戦したい方が集まり、験し吹きにチャレンジ、結局のところ、なんと『備前の風』の注文がその場で8本も入ったのである。こんなの初めて!!
 それにしてもパンフルート一本でよくもまあワンマンショーのように、できるものであるなーと、自分のことながら感心してしまう。とても不思議な気分である。でも、一説には、私のステージは「パンフルート漫談」に近いものがあるという声も上がっている様である。ま、それはそれで私の個性として受けとめておきましょう。
 何はともあれ、「目指せ紅白歌合戦!NHKホールとテレビを見ている全国のみなさんと全員でパンフルートに合わせて童謡唱歌を歌おう」なのである。なぜかは、わたしのコンサートをご覧になった方は、わかりますよねー。…である。
 それにしても、ステージ前に食べた(2回)讃岐うどんは、やっぱり本当にうまかったのである。今回の演奏はうどんパワーによるものなのである。
今日、テレビの取材で、柳沢慎吾さんが『備前の風』工房を訪ねてきてくれた。パンフルートの音色を聴いてもらったり、演奏にもチャレンジしてもらった。口元の形状の関係で(?失礼!!)なかなか、息がまっすぐ飛ばず、音出しに苦労されていたが、さすがは柳沢さん、音出しの苦労している状況も、楽しい雰囲気に持っていけるのは「プロだな」と感心させられてしまった。テレビで見る、あのファンキーな乗りはもちろんのこと、周りに気配りも欠かさない、人間的にも「出来た人だな」と感じさせられるのであった。工房を訪れてくださった芸能人一人目が柳沢さんだということは、「不ぞろいのリンゴたち」を見ていた私にとっては、とっても嬉しい事であった。
柳沢慎吾さんと
 今日は午後に工房に入り、数時間かけて年末に出来なかった「大掃除」をした。なぜならば明日、テレビの収録が工房で行われるからである。私の好きな「柳沢慎吾さん」が工房を訪ねてくれるのである。くわしくはまだお話できないが、OA日などが決まったら改めてお知らせしようと思う。(ちなみに中国地方のみの放送です)
11日のコンサートの主催者の方からリクエストをいただいた。昨年の紅白出演以来、全国的に注目を浴びている曲「千の風・・・」である。早速CDを購入、工房で大掃除をしながら、何回も聴き、何回も歌い、そして何回もパンフルートで吹いてみた。鳥肌が立つくらい、パンフルートの音色があった。そして、歌詞の素晴らしさに、何回も涙が出てしまった。泣きながら歌い、泣きながら吹き、泣きながら大掃除である。
 ちなみに昼飯を食べているとき、家内から電話がかかり「大至急徹子の部屋を見て」とのこと。TVをつけてみると、なんとその歌が、まさに歌い始められるところだったのである。また鳥肌ものの運命的なものを感じてしまったのである。
 購入したCDには、カラオケバージョンも入っていたので、11日はもちろんのこと、施設での演奏でも披露していこうと強く思った。今のうちに、泣くだけ泣いておこう。さもないと「かあさんの歌」を披露し始めたころのように、お客様の前で演奏中に演奏者の自分が、ぼろぼろ涙を流してしまう、なんてことにまたなってしまうからである。感情が入りこみすぎるのかなー?
 涙を流しながらのパフォーマンスといえば、「東京だよおっかさん」での島倉千代子さん。そして「悲しい酒」の美空ひばりさん。・・・そして、「劇団ひとり」さん?  これはジャンルが違うか。
昨日の日曜日、大阪府高槻市の教育委員会よりお招きいただき、「手作りパンフルート体験講座」の講師をさせていただいた。小学5、6年・中学・高校生、総数30名もの子供たちと一緒にパンフルート作りを楽しんだ。棒ヤスリやサンドペーパーも使ったことのない子がたくさんいたが、デモ演奏と説明の後に作業を開始すると、みんなマイ・パンフルート作りに熱中していた。メロディを奏でられる楽器を、自然素材と身近な材料で作れることに、みんな楽しさを見出した様である。久々に関西の子供たちと話をしたので、いつのまにか自分も関西弁で話しているのであった。その夜は、今回のきっかけを作ってくださった、大恩人(カヌーの先輩)K氏の別宅に泊まり、深夜まで酒を酌み交わし話が出来た。これもまた、精神的に収穫の多かった出来事である。昨日から今日までに兵庫県の施設の職員の方から演奏についてお問合せいただいたり、倉敷でのイベント出演(出展?)の問い合わせが来たり、総社から環境をテーマにしたイベントでの演奏の問合せが来たりと、少しずつだが、私の活動を知ってくださる人が増えてきてて、とてもうれしい。11日には『備前の風』、いよいよ四国本島上陸である。
今日の午前中は毎日新聞の取材を工房で受けた。女性の記者の方で、しかも若くてかわいい。(こういうことを書いてしまうと不謹慎に思われるかな?)『備前の風』広報担当のMさんがご紹介くださって、今回の取材が実現したのである。Mさんに感謝!!気がつけば三時間近く話してしまっていた。これを記事にまとめるのは大変だろうな〜と他人事の様に感じてしまっている。Yさんよろしくお願いいたします。
 学生のころ聴いていた、カセットテープが何本か見つかったので、それを聴きながら、工房で作業することにした。聴けばそれはNHKFMで放送されたイギリスのロックバンド「クィーン」の初期のライブ音源であった。二十年振りくらいに聴く。ここのリードボーカル「フレディ・マーキュリー」はもうこの世にはいない。が、間違いなく私が音楽好きになったのは、このフレディの存在があったからなのである。フレディのように歌いたい!そのころは、ここの工房の部屋が私の勉強部屋で、人家が隣接していなかったので、夜でも大音量で「クィーン」のレコードをかけて、フレディーと一緒に歌っていたのである。中学・高校とほぼ毎日である。そのせいか、男性には音域が高い曲でも歌えるようになっていたのである。
 そして今私は、その音楽を職業にしている・・・。何だか感慨深いものを感じる。「クィーン」の曲をレパートリーに増やしてみようかな。
2007-02-01
ここのところ、ハードワークが続いて、帰宅後に日記を書く余力が残っていなかった。今日も今日とて、週末の「高槻市教育委員会の行事」の準備で1日が終わってしまった。少々体重も減った様である。
 先日、フリーペーパーにインタビューが掲載されたのであるが、その記事を見て、某小学校の校長先生がら『備前の風』の注文の電話が入ってきた。うれしい!!明日は某日刊紙の取材あり。「高槻」の準備が、まだ大分残っているのであるが・・・徹夜になるかも。眠くなると、最近私は『備前の風』で「ルパン三世」や「ロッキー」のテーマを工房で吹いている。眠気を吹き飛ばす効果ありである。しかし今日は吹きながら、半分眠っている自分に気がついた。演奏中に寝てしまう自分も自分だが、意識が薄れていても間違いなくメロディを奏でていることに、我ながら、感心してしまった。居眠り演奏は可愛い話だが、居眠り運転だけは気をつけようっと。
今日は、高槻市の教育委員会と打合せをしてきた。2月4日に実施する「パンフルート手作り体験」の打合せである。帰りの道中、新潟より電話あり。特注のパンフルートを注文された方から「とてもいいのを作ってくださいました。」とお礼の電話である。ステージを評価されるのとは、また違い、自分の作ったパンフルートを褒められると、自分の娘を褒められているようで、感激ひとしおである。このうれしさは「もの作り」をするものだけが感じられる喜びかもしれない。でも、そのパンフルートは二度と私のところには帰ってこないのだろうなと思うと、何だか急に寂しさも感じてしまうのである。最近、特になぜかそんな気持になる。「注文下さった方のところで楽しい音楽人生を送るんだよー。」と心の中で呼びかけ、祈っている自分。これは完璧に「娘を嫁に出す父親の心境」そのものかもしれない。
深夜、そんなことを感じながら、岡山まで車を走らせた。それにしても車で大阪日帰りは、少々疲れたわい。明日はテレビの取材が入っている。
昨年秋に新潟から連絡くださった、『備前の風』購入者の「特注品」がようやく完成した。
20管のスタンダードモデルにさらに低音管「ファ・ミ」を追加した22管モデルである。
ここまでの低音部に適した極太の「女竹」は中々手に入らないので、量産は難しいが、その「深い音色の低音」には、魅了されてしまう。自分で作っているのに…
ソフトケースも特注の必要があり、ここまで手がかかるのであれば、本当なら4万円はいただきたいところだが… 昨年の注文分なので… しかし来月からはいよいよ大幅値上げする。アルトに関しては3万円代にしたいとおもう。
 今日、岡山県外の某テレビ局から、番組出演の打診を受けた。県外のTVははじめてである。番組名はまだ明らかに出来ないが…息子にこの話をすると、日曜日の朝にやってて、自分も好きで良く見ているとのことなのである。明日、局のスタッフがわざわざ工房まで打合せに来てくれる。もしこの話が決まったら「太陽にほえろ」のオープニングテーマを是非練習しておきたい。その曲に合わせて、番組メインキャストの芸能人の方に、是非「あのパフォーマンス」を見せてもらいたいものである。
 今日はこれくらいにしておこう。『いい夢、見ろよ!!』
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 建部町で行われた落語の会の色物として、パンフルートの演奏をさせていただいた。平均年齢70歳くらいの方々ばかり約5〜60名の前での演奏である。このくらいの年代の人達の前で演奏するのが、実は私は一番好きなのである。言ってみれば私の両親ほどの年齢の人達ばかり、ジェネレーションギャップありまくりなのだが、何だかトークに花が咲くのである。私の演奏を目をキラキラさせながら聞き入ってくれるおばあちゃんは、とってもとってもかわいらしいのである。童謡・唱歌・ナツメロを演奏してこうまで喜んでいただけたら、「クラシックや洋楽などでおしゃれな雰囲気も醸し出すようにしよう」という目標もあるが…やっぱりお年寄りに喜んでもらえるステージが私のパンフルートの真骨頂なのかなと強く感じるのである。会終了後、何人ものおじいちゃんやおばあちゃんがわざわざお礼を言いに、私のところまで来てくれるのである。このステージの楽しさを、全国のお年寄りと分かち合いたいなと、しみじみ感じるのである。ちなみに建部町は後1週間ほどで岡山市と合併することとなる。平成の大合併が進むに連れて、何だか心の中に寂しさが募っていくのは私だけであろうか。
 2月11日のコンサート主催者のママハウスのHさんから今回のコンサートの告知用のフライヤー(はがきサイズの本格的な両面印刷)が送られてきた。ご家族の中にプロのデザイナーがいて、その出来あがりはかなりのものであった。(コンサートの詳細は、トップページに)コンサートには「こんにゃくケーキセット」がついており、そのケーキを「クール便」でいっしょに送ってもらった。早速いただいた。美味である。その上ヘルシーときたら、今回のコンサートは心も身体も癒されるものになるな、と確信するのであった。