10月下旬は競演の連続となった。筝奏者の山路みほさん、25弦筝ユニットの「心花」の二人、ピアニストの西村一穂さん。どの楽器もパンフルートととても相性が合うのである。

 山路さんとは、私が作曲した「かぐや姫組曲(仮称)」を共演していただき、独特の世界観を一緒に表現してくださっている。今月下旬には岡山シンフォニーホールで1時間のステージをごいっしょいただく予定である。

  心花の二人とセッションした「故郷」の演奏、これまたぐっとくるパフォーマンスを繰り広げることができた。

  そして西村さん、彼女とは一年ほど前に知り合い、本格的に共演するようになって半年ほどである。「誰も寝てはならぬ」の私の歌唱の伴奏もしてくださり、「歌とパンフルート」という私の独特のスタイルを今後一緒に発展させてくれるであろう、パートナーとも言える存在になってきている。レパートリーの幅も徐々に広がってきていて、来年には彼女との共演の機会をどんどん増やしていくことになるだろう。

 この3組の演奏家との共演を通して、繊細な表現力を磨いてこれたことは間違いないと思う。

 11月は出張の連続である。大阪ではライブハウスでの演奏。茨城県の筑波では学習塾での演奏。今のところ私のパンフルート演奏の北限は筑波である。大阪では歯医者さんの集まりでの演奏となった。

 そして翌週には東京に出張。来年の2月6日に東京で行われるコンサートの共演者である揚金(ようきん)奏者の金亜軍(きんあぐん)さんとの顔合わせ、そしてコンサート内容の打ち合せである。 私がパンフルートの音色を聴いてもらうために、童謡・唱歌を演奏すると、金さんは揚琴で即興の伴奏をつけてくださった。どう例えていいのか… まるで音のカーテンに包まれるようなそんな気分にさせる音色である。気がつけば、同席していた関係者のご夫人二人は感動の余りか涙をこぼしていたのには、ビックリさせられてしまった。

 その東京での打合せから数日後、今度は徳島県に出張である。剣山のふもとに位置する「美馬(みま)市立木屋平(こやだいら)幼稚園・小学校」。この学校の校長先生が、大阪のABCラジオの番組「おはようパーソナリティ道上洋三です」に私が出演したのを、通勤中にたまたま聴いてくださっていたのが、そもそものきっかけである。今回は地区の「人権教育研究会」での講演という、講師としての学校訪問となった。昼前に学校に到着、しばらくして給食の時間となり児童全員といっしょに給食を食べた。全校児童数が20数名という、絵に描いたような大自然の中の小さな小さな学校である。だから先生も児童も全員一緒にホールで給食を食べられるのである。まるで大家族の食事風景であった。その給食の前に、「パンフルート・ミニ・ランチショー」をみんなの前で10分間ほどさせてもらった。子供達の目が興味津々でキラキラしていたのがとても印象的だった。講演会は小学校の体育館で行われた。パンフルートのパフォーマンスと、第二の人生を演奏家として再出発するにいたった経緯の話や、全国のコンサート会場で起こった、心温まるエピソードなどの話をさせていただいた。結局、半日この学校にいたことになり、なんだかとっても好きな場所になってしまった。

 明日から二日間は鳥取でコンサートである。旅はまだまだ続くのである。10月末には実家の稲刈りも行われ、今年の新米が先日届けられて来たようである。飯の準備も完了である。いつでも旅の準備OKである。 しがない笛吹きだが、お声をかけていただく限り、全国どこへでも出向いて、切々と笛を吹きつづける。そのすべての行為が、私に勉強の機会を与えてくれている、そう強く思う今日この頃である。私の名前が「勉」だということに、最近妙に納得するのである。

 10月に入って、結構忙しい。
 10月1日は地元FM局で、朗読番組のBGMとしてパンフルートのソロ演奏を録音してもらった。
 4日は「パンフルートの手作り体験教室」を実施。小中学生約30名が挑戦。はじめの1時間は「パンフルートの歴史や楽器の構造の説明」と「デモンストレーション演奏」と「1オクターブの簡単パンフルートの製作手順説明」。その後、3時間かけて「1オクターブのマイパンフルート作り」に挑戦。最後には「かえるの合唱」に挑戦。今回のグループは頑張って、輪唱にも挑戦した。来年は大量に女竹を購入して、全国あちこちで「パンフルート手作り教室」を実施していきたい。
 7日は某医療機関の患者さんの保護者会で演奏させていただいた。司会の方が「この会で音楽の演奏をしていただくのは初めてですが、みなさんがこんなに笑顔でいらっしゃるのも初めてです。」と言ってくださったのは嬉しかった。
 8日、ここ1週間は「手作り教室」の竹の下準備もあって忙しく、夏ばてをずっと引きずっていたようなところもあり、とうとう夕方には寝こんでしまった。節々の痛みと38℃近い熱、どうも風邪のようである。9日から四日間連続で演奏が入っているのに…休む訳にはいかない。
 9日朝一番に病院に行く。その足で岡山市役所に移動。この日、市役所の一階ロビーで始まる「DV(ドメスティック・バイオレンス)の防止を啓発するパネル展」のオープニングセレモニーでの演奏のをひき受けていたのである。午後からは全日空ホテルで演奏会場の下見と打合せを行った。正面玄関入ってすぐのロビーにCA(キャビンアテンダント)の人が数人出かけようとしているのを目撃して「おぉ、これぞ全日空ホテルならではの光景」と妙に感動してしまった。
 10日は地元の中高年の集まりでの演奏。お昼にいただいた「ぼた餅」(会場近辺の人達は「おぼた」と呼んでいるそうである。)うっかりCDの宣伝をし忘れてしまった。
 11日は山陽新聞本社「さん太ホール」前で、私が所属する「ヴォイス・パフォーマンス」による、桃太郎と岡山の観光をミックスした「替え歌的音楽劇」のようなステージを20分披露するのに参加した。最近、私の歌が評価されることが多いのだが、それもこれもこの「ヴォイス・パフォーマンス」に参加するようになってからの変化といっても過言ではない。その変化は、パンフルートの演奏の「表現」にも大きな影響を与えてくれている。
 12日は岡山市北部の足守(あしもり)にある「足守プラザ」の敷地内にある、「もともと米蔵だった」建物を大々的にリフォームして完成した「米蔵ギャラリー」でコンサートを行った。最近あちこちの会場で、「以前演奏を聴かせてもらったが、とっても良かったのでまた聴きに来ました。」という人に良く会うようになってきた。ファンクラブでも作ろうか?  さて、足守といえば「適塾」を開いた緒方洪庵(おがたこうあん)の生誕の地なのである。武家屋敷や、はたまた大きな商家が軒を連ねる町家も保存されており、のんびり散策するには最高のところである。何より嬉しいのは観光客に溢れかえっていないところである。しかし19日の「足守メロン祭り」の際にはきっと大勢の買い物客であふれることだろう。
 ところで、来月は「出張の嵐」である。大阪、茨城、東京、徳島、鳥取、広島… パンフルート手作り教室も11月には二度入っているし、下準備もあるし、竹の仕入れで九州にも行かなくてはならないだろう。 でも、パンフルートで忙しく入られることに感謝である。

 この二週間は、実にバライティに富んだ演奏会の連続となった。 岡山県総社市の保育園二園で二日連続となる「敬老保育での演奏会」を行わせていただいた。そして病院の保護者会での演奏、その夜には岡山の「美作三湯」の一つの温泉ホテルでの演奏。ゴールデンウィークに続いてのアンコール・ロビーコンサートである。「敬老の日」を含む三連休のホテルだったので親子孫三世代の家族旅行のグループがいくつもあったのが特徴的であった。幼稚園に行く前のかわいい女の子をひざに乗せて、私の演奏を楽しんでくれていたおじいちゃんの笑顔を今でもはっきり覚えている。
 そして翌日はなんと、作東町のホテルで行われた結婚式の披露宴で演奏を行ったのだ。心がほんわか温まる披露宴であった。その出席者のひとりにとても耳の遠いおばあちゃんがいたのであるが、私がパンフルートの演奏を始めると、なんとそのおばあちゃんがメロディにあわせて歌を歌っているのである。楽しそうに「赤とんぼ」や「朧月夜」を歌ってくれたおばあちゃんに、大声でお礼をいうと…どうも私の声は届かないようであった。実に不思議な体験だった。そういえば最近、CDを買って下さった方からのお礼のお便りをいくつか受け取っている。その中の多くの割合の手紙に「ひどい不眠症だったのが、今井さんのCDを聴くようになってから、ぐっすりと寝られるようになりました。おかげでここのところ毎朝、爽やかな目覚めを迎えています。ありがとうございました。」といった内容が書かれているのである。人によっては、私のパンフルートの音楽は「漢方薬」のように、じんわり身体に効いていくようである。演奏者の私としては、「うれしいような戸惑いも覚えるような」少々妙な感じもする。
 さて、結婚式の二日後には、今度はお寺での演奏会である。「花嫁人形」や「母さんの歌」の演奏に多くのおばあちゃんたちが涙されていたのが、とても印象的だった。
 そしてこの週末には、神奈川県に出かけていたのである。来年二月のコンサートの打ち合わせのためである。詳しくはまだ発表できないが…予想以上に中身の濃い、そしてバラエティに富んだ構成内容になりそうである。中々よそではお目にかかれないコンサートとなりそうである。キーワードは「揚琴」と「朗読」である。

一月近く日記に間があいてしまった。ネタがなかったわけでもないが、書けなかったのである。最近考え事をしていることが多い。昨年に比べると演奏回数はグって増えていて、右肩上がりなのだが、相変わらずクローズのイベントやコンサートが多い。一般の方向けのコンサートはまだまだ少ないのである。会場の確保、チケットの作成・管理、PRや集客に向けての営業などなど考えると、やっぱりひとりでは活動の限界を感じざるを得ない。ここはやはりどちらかのプロダクション等の事務所に所属しなくてはならないんじゃないか・・・最近強くそれを感じる。ここは動いてみるか。

今日、某イベントで共演する25弦筝ユニット「心花(ココハナ)」の二人とリハーサルを行った。二人とも小柄なのにスケールの大きな演奏を聴かせてくれるので、本番が楽しみである。でも記念写真となると、やっぱり小柄なので・・・「ガリバー旅行記」か「捕まった宇宙人」になってしまうのである。

 9月17日リリースのCDを一足先にいただいた。帰りの車中で聴かせてもらったが、「元気をもらえた」のである。このふたりの演奏は、私にとって「捕れたて新鮮なお刺身の盛り合わせ」なのである。そして私は自分のパンフルートのソロ演奏を普段「一杯の炊き立てご飯」と例えているので、心花と私がコラボすれば「お刺身定食」が出来あがるではないか。これは本番が楽しみである。

 第7回アオギリ平和コンサートが、8月6日広島市平和記念公園の原爆資料館横(屋外)で行われた。全国から集まったプロ・アマの演奏家が被爆ピアノとともに平和のメッセージを音色と共に発信していた。私は「アベマリア」や「夏の童謡唱歌メドレー」をはじめ、平和の祈りを込めた曲を20分間披露した。気温があまりにも高いため、パンフルートのチューニングが異様に高くなっていることに、演奏開始直後気がついてしまった。それをパンフルートの演奏角度を変えることで修正しながらの演奏になってしまったのである。私の演奏を過去に数回ご覧になった方から、「今日の演奏は迫力なかったね」といわれてしまった。大粒の汗をかきながらの屋外でのPAを入れた、リハなしステージへの出演依頼が来たら、熟考が必要だとひしひしと感じた。痛い経験だったが、良い経験になった。
 8月8日の「烏城灯源郷」というイベントで、岡山城芝生広場で演奏した際は、夜の行事だったので、少々蚊には悩まされたが、暑さとの戦いがなかった分、楽器コンディションと演奏者コンディションは、通常通りで臨めたと思う。パンフルートに興味を持ってくださる方や、以前から交流のある方など、嬉しい出会いがいくつかあった。
 そして昨日、東京コンサートの打診をいただいた。来年の2月6日である。コンサートの内容はまだ未定だが、東京での初のホールコンサートになる。詳細が決まり次第、HP上で告知する予定だ。
 うーん、少々夏ばて気味のようである…文章も夏痩せしているような…
 七月中旬の三日間連続でNHKテレビの取材を受けた。パンフルートを作るきっかけとなった竹と巡り合った場所、そして工房で楽器製作する様子、病院での演奏風景、四国で行ったコンサートの状況など、私とパンフルートにまつわる様々なシーンを撮影・インタビューしてもらった。気分はまさに「情熱大陸」の取材を受けているようである。例えが民放で申し訳ないが…。  さて、その特集のダイジェスト版が8月26日の朝「おはよう中国」という中国地方限定の朝のテレビ番組で放送されることになっている。
 そして、先日27日は私の44歳の誕生日であった。今年の誕生日は、すさまじい思いでだらけの誕生日になったのである。まずは朝7時からのコンサートである。自宅・兼店舗(といっても非常に大きくてきれいな居心地が良さそうな木の家であった)で雑貨店を営む方から、自宅前の庭園の中にある蓮池のハスの花が見ごろなので、花が一番きれいに咲く早朝のコンサートを企画したいとのお話をいただいたのである。しかし、初めての試みというものには、いろんなアクシデントが付きまとう。まず朝7時には、夏の暑い日差しの太陽がかなり昇っているということである。天気も良かったので、集まられたお客様は早々に汗を額に浮かべていたのであった。そして庭園内の樹木に群がる「セミ」が大音響で、しかも大量に鳴いているではないか。パンフルートの音色がかき消されんばかりの勢いである。早々に演奏を切り上げて、別の場所に移動することになった。片づけを使用としたところ、私の近くに座っていらしたお客様が教えてくださったのであるが、蓮池にいた「トノサマガエル」が、池から上がって、私の足元50cmのところでじっと演奏を聴いていたとのことであった。池の水に漬かることができるカエルはさぞや涼しくパンフルートの音色を楽しんだことだろう。いやーPAを使わずの生音のパンフルートの屋外コンサートは、繊細な音のニュアンスを伝えるのが難しいなーと、改めて勉強になった。
 そのコンサートの帰りにトラブル発生である。国道を高速走行中に私の自家用車の右後輪が突然の爆発音と共に「バースト」してしまったのである。運良く、下りる予定の側道手前でのバーストだったので、側道を出たところの広い路肩で、タイヤ交換をすることとなったのである。昼前の灼熱の太陽に照らされ、大粒の汗だまをぽたぽたとあごから落としながら、数十分かけて、タイヤ交換を終えたのである。土砂降りじゃなかったこと、夜じゃなかったこと、高速道路上でのトラブルじゃなく、事故もなかったこと。そんなことを思えば不幸中の幸いであったと言えようが…早朝コンサート直後の私には少々しんどい作業となった。自宅に帰って、シャワー&しばしの爆睡となってしまった。
 そして誕生日の最後の出来事、それは新倉敷駅前のビル内で行った、夜八時からのコンサートであった。パン教室5周年記念の行事として企画されたパンフルートコンサートである。パンつながり(?)である。しかし初めての経験が、また私を待っていたのであった。パン教室の会場はコンサートを行えるような広さはないので、なんと…その教室前の廊下をコンサート会場にするといった、斬新な企画になっていたのであった。上下左右をコンクリート面で囲まれているので音の響きは、以外と良かったのであるが… 幅2m高さ3mほどの廊下にイスを横一列に四脚、その列が後にずらっと続いているのである。廊下自体は長い直線の廊下なのであるが、コンサートが行われている空間は、まさに40人乗りくらいのバスの車中のような雰囲気になったのであった。廊下の照明は、さほど明るくなく、お客様の顔もウスぼんやりにしか見えない。懐かしい童謡唱歌を演奏するとお客様がみんな合唱を始めだす… なんだか自分が防空壕の中にいるのか、もしくは「引き揚げ船」の中にいるような錯覚を一瞬覚えたのは、冷房の効かない廊下の「熱帯夜」的暑さのせいだったのかもしれない。
そんな空間のおかげか、会場は一体感に包まれ、楽しいコンサートを繰り広げることができたのであった。さすが歌声の街「玉島」なのである。
 明日から三日間は、香川県直島に滞在する予定である。
 HP上で告知しなかったが、実は7月11日夕方からジョイントコンサートを行った。場所は神奈川県川崎市にある
イタリアンレストラン「いな田(いなた)」。
今回の演奏は関東エリアで行う、事実上の初ステージであった。さらにもうひとつ初めてのことがある。
 それは「朗読」とのジョイントコンサートということである。今春、岡山の後楽園で紙芝居にBGMをつけたことはあった。また、朗読とのコラボレーションを多くの方からお声かけいただいていたが、今回が初となったのである。では、なんの朗読か?それは「相田みつを」「金子みすゞ」「長田弘」「谷川俊太郎」といった方たちの詩の朗読なのである。
 では、だれが朗読してくださったのか?それはまず、このイタリアンレストランのオーナーであるKさん(女性)。そして今回のジョイントコンサートの機会が生まれるにあたっての、重要なキーマンMさん(男性)、このお二人による朗読とのコラボレーションになったのである。実はKさんは、私がNHKの全国放送ラジオに出演した際、偶然にもそれを聴いてくださっていたのである。
 そもそも、私がNHKの全国放送ラジオに出られ、全国のリスナーの方にパンフルート『備前の風』とパンフルーティスト「今井 勉」の誕生秘話を、そして『備前の風』の音色を聴いてもらえたことも、Mさんがいなかったら実現しなかったことなのである。そして今回、特別ゲストに国際的ソプラノ歌手のAさんが、飛び入り(?)してくださるという嬉しいハプニングもあったのである。なんとそのAさんも、私のNHKでの演奏を聴いてくださっていたとのことなのである。「あの時は、パンフルートの笛の音に心を鷲づかみされたわ!」とAさんからも嬉しい賛辞をいただいた。さて、今回の「パンフルートと朗読の会」が行われることになったきっかけは、Kさんの「今井さんのパンフルートの音色をマイクを通してではなく、是非生で聴いてみたいわ」という一言からだったそうである。… それにしてもさっきから、いろんなアルファベットが飛び交っている。実はイニシャルトークさせてもらっている皆さんは、有名人の方ばかりで、本当は名前を列記したいところなのだが… 「虎の威を借るブログ」と思われたくないので… それではこの辺でコンサートの内容を簡単に記しておこう。
 ファンタジー映画を彷彿とさせるオープニング演奏。そしてKさんによるごあいさつ。
童謡唱歌を数曲ずつ演奏し、その間にMさんと私のトークコーナーがあったり、そして詩の朗読も入って来る。短編の詩作品をいくつかまるで組曲のように、また長文の詩も。いくつかの詩には、即興でパンフルートのBGMをつけさせていただいた。アメージング・グレイスなどの演奏も含めて、10数曲演奏させていただいた。最後はソプラノ歌手Aさんの歌で花を添えていただき、Aさんとパンフルートと会場のみなさんとで「ふるさと」の大合唱でステージは無事終了した。アンコールの声に応えて、SMAPの曲を演奏すると、オーナーのKさんは、超・超喜んでくださった。実は彼女にとってはサプライズ演奏だったのである。
 なんだか、私の目の前にあった大きな扉が今開いたような心持である。この扉は、私が押し開いたのではなく、内側の誰かが開けてくれたのか… 目に見えない力が開けてくれたのか。今確かに言えることは、その扉の前で私は一心不乱に、でも丁寧に、一息一息空中に置くように、笛を吹きつづけただけである。すると目の前の石で出来た大きな扉が、ゆっくりと開いてきた。「開けごま!」の呪文を唱えるという近道を知らなくても… 
 でも、ここで浮き足立っちゃあ、いかんのだなー。今まで通り、心の中に姿見の鏡を置いて、自分をしっかり見つめながら、自分の息で、自分の音を出すのである。精進、精進!!
 そうそう、忘れちゃならない!!イタリアンレストラン「いな田」でステージ終了後、会場のみなさんと一緒にいただいたディナーの美味いこと、美味いこと。私は味の表現が美味く出来ないが… 「心や身体が疲れている」という方、是非一度いってみられることをお薦めする。まずはHPを覗いてみては…?
 6月9日以来の日記である。日記というよりも、月報に近くなってきた。
 保育園(子ども向けと保護者向けそれぞれ)、介護付きマンション、小中学校の先生を退職された方々の集まり、某市の保育園の先生など関係者の集まり、岡山市内の小学校の行事、温泉リゾートホテルのキャンドルコンサート、民家の大きな応接間、広島は大竹市のチャリティコンサート、そして大阪ABCラジオの看板番組、また地元のテレビ出演。実にバライティに富んだ演奏会場を、ここ数週間で経験させてもらった。
 どんな会場であろうとも、一生懸命演奏してしまっている。当たり前のようで、もしかすると、これって不器用だからなのかもしれない。コンサートの翌朝には、腰から背中にかけての筋肉が「コリコリ」になるのである。腹式呼吸を心がけているせいなのか、はたまたやり過ぎか。起床直前に妻にマッサージしてもらわなくては、起きられないくらいである。「せんべい布団」のせいで、腰が痛いのもあるかもしれないが… 腰だけではなく右肩から首筋にかけての筋肉も、二時間近いコンサートをやった翌日にはぱんぱんになっているのである。私のパンフルート『備前の風』は左右どちら向きでも演奏可能であるが、私は左手側に低い音、右手側に高い音がくる持ち方、つまりルーマニアの伝統とは左右逆の配列で演奏している。演奏時の90%近く、ビブラート効果をだそうと、特に楽器を持った右手が常時前後に動いているのである。のびやかなフレーズでは、ゆるやかで大きな振り幅のビブラートを、そして感情が強くこもった場面では、細かくそして切なげなビブラートを心がけるなど、右手が前後左右そして斜めにと、いろんな方向にいろんなテンポで動き回っているのである。たぶんそのせいで、右肩まわりが左より疲労しやすいのであろう。
 この疲労感は、実は最近特に感じるようになってきたことなのである。それはきっと私の演奏スタイルが変ってきたからだと思う。以前であれば、演奏中最も気をつけていることは、メロディをいかに忠実に再現するかということであった。しかし今は変わってきている。例えば、四分音符一つとってみても、最近ではパンフルートの「うねり効果(初めて使う表現だが)」を利用して、のぼりのうねり、くだりのうねり、アップダウン、ダウンアップ、その他激しいビブラート、かすかなビブラート、ストレートな音、音量が強弱強、弱強弱、強弱弱、弱中強、ハスキーな音色、つややかな音色、野太い音色、繊細な音色…などなど、その四分音符の曲における位置、前後の関係、歌詞の意味などによって、細かく表情をつけるようになってきたのである。一音一音区切って考えるのではなく、曲全体の流れをいつも感じながらであるが、結果的に一音一音に楽譜上に指示されていない表現を、自分なりに、時には計算して、時には発作的につけているのである。演奏中は集中しているせいか、額のあたりの脳(前とうよう?)の血流が激しくなっているような気がする。そのためか、一曲ごとのカロリー消費量は以前に比べてかなり多くなっているはずである。
さしずめ、自分の演奏表現に、身体がやっとついてきているという感じかもしれない。私にとっての「精進」は、心を磨くことと、演奏に耐え得る身体作り、今はその二つが大きく占めているといっても過言ではない。
それはさておき、今発売しているCDの録音は昨年の年末にしたものである。今聴くと自分の演奏が「初々し過ぎて」少々恥ずかしくもある。今回1000枚制作したが…追加制作は… それよりも今の自分らしい演奏のCDを新たに作るべきか… どうするかはまだ決めていない。
追伸 10月に東京でコンサート実施が決まるかもしれない。今、そんな状況である。
 髪を切った。肩の位置よりも長かった髪を切ったのである。それにはきっかけとなるエピソードがある。地元の保育園から「お誕生会」での演奏の依頼を受け、先月保育園を訪問した時のこと。会場にはたくさんの子ども達が…保育園なので乳幼児から6歳くらいの子まで、年齢は様々である。園長先生の紹介を受けて会場に入ると、場内は騒然とした雰囲気になった。中には黄色い声を発する女の子達も数多くおり、もう10歳大きい子達だったら、さしずめアイドルのコンサートといった具合であろう。空き瓶を使ったパンフルートの説明クイズから入り、子ども達の好きな曲を演奏し始めると、大合唱の嵐で…実に楽しいミニコンサートを送ることが出来た。見ると、最初から最後まで泣いている子ども達が何人かいた。年齢は3歳くらいといったところだろうか。「人見知りなのか、ただむずがっているだけなのか…」中には、涙を流しながらもふんばってそこに座っている、といった子ども達もいた。
 演奏後、園長先生に聞くところによると、どうも涙を流していた子ども達は、「私が怖かった」ようなのである。当日の私のいでたちはというと、上が黒の半袖Tシャツ、そしてズボンも真っ黒である。最近、私のステージ衣装は黒色が基調となっている。これには理由がある。主役のパンフルートが出来るだけ目立つようにと考えているためである。だから「黒子」に近い格好をすることが多くなっているのである。
 想像してもらいたい。身長173cmの私は子ども達にとってみれば「大男」である。そんな見ず知らずの「大男」が、全身黒尽くめで現れ、おまけに髪の毛は非常に長く垂れており、体操座りする子供達の方に顔を近づけようとすると、髪の毛が顔を覆うような状態にも近くなる。そして、手には見たこともないようなものが(パンフルートなのだが)まるで「カマ」のように持たれているのである。私は東北の「なまはげ」を思い出してしまった。泣いていた子達は、さぞや「恐怖」を感じていたのだろう。女の子達の黄色い歓声も、そう考えると恐怖からくる「奇声」だったのだと、妙に納得してしまった。
 だから、それからは長い髪を縛るようにしていた。すると娘に「おばさんみたい」と酷評されるは…。そして昨日の日曜参観日には「来るな!!」と言われてしまったのであった。落ち込んだ私は、意を決して理髪店に行ったのであった。娘に「振られて」髪を切る、なんだか失恋した女性が髪を切るみたいな感じになってしまった。
 髪を伸ばしていたのには理由があり、それは「大きなステージに立っても映り栄えがいいように」ということが一つあった。ほとんどのコンサートが、ステージ上に私ひとりというシチュエーションである。最近やっと、素敵なピアニストが一緒にステージに上がってくれるようになったのだが、それでも「ピアノと彼女と私とパンフルート」だけなのである。だから髪を切るといっても、カヌーインストラクターをやっていたころのように、「スポーツ刈り」にするわけではなく、横と後は多少「長髪」の面影を残してもらったのであった。
 理髪店から帰った私を見て、家族は「女の子みたい」とか「(昭和の)アイドルみたい」と突っ込んだのであった。数日前、知人のY氏に協力してもらって、5月24日に行ったコンサートの動画をYOU TUBEにアップしてもらった。「アベマリア」と「千の風になって」である。この時点では、まだ長髪である。もしかすると、これが最後の長髪演奏の映像になるかもしれない。Topページから見られるようにしているので、御用とお急ぎでない方は、ご覧いただきたい。「なまはげ」風パンフルーティストの最後(かもしれない)の勇姿を。
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やっと「ばたばた」の状態が落ち着いた。5月15日にNHKラジオの「ラジオビタミン」に出演、そして地元岡山の山陽新聞に私の記事が掲載されて以来、何百もの反響が直接私のところに届いている。そして何人もの方が、泣きながら(声の感じから容易に推測できるくらい)、ラジオでの演奏やCDを聴いた感想と激励を私に伝えてくださるのである。
反響の中には、今現在「心や身体」を病んでいらっしゃる方やそのご家族の方、生きる気力を失いかけていた方などから、「パンフルートの奏でる日本の歌に、心底癒され涙が止まりませんでした。」とか「生きる気力をもう一度抱くことができました。」などの感想を多数いただいたのである。
 この事態の意味を、私なりに深く思い巡らした際、演奏活動を始めたころに発見したことを思い出しました。「私の演奏するパンフルートの音楽は、コンサート会場まで足を運ぶことのできない人にこそ、聴いてもらうべきものなのである。」ということである。
 そして考え抜いた結果、ひとつの企画を思いついたのであった。

それは「パンフルート・コンサート・キャラバン」である。

病院施設等での、患者のみなさん向けコンサートは、経費の関係等でクリアーしなければならない問題があるケースが多く見られる。ましてや遠方の病院でコンサートをさせていただくなどは、なおさらのことである。そこで今回は「キャラバン・ツアー」と銘打って、一都道府県に数日(大都市の場合は約1週間)滞在して、そのエリア内で演奏会を巡回して行うことを考えたのである。乗用車で移動し、宿泊は車中泊を行い、腰の痛みと戦いながら、経費削減に努める。

そして今回のツアーの特長は「会場となる病院からは定額の出演料はいただかない。」というところにある。その代わり、カンパの募金箱を置かせていただき、合わせてCDの即売もさせていただく。「赤字になりはしないか?」などの不安材料はいくつかあるが、「今、やらなくてはならない。」と思ったことを今までやってきて、現在の自分がある。ここは自分を信じて、実施するのみである。そう思っている。

ひとまずは中国地方、中でも一番人口の多い「広島県」を皮きりに始めて行こうと思う。実は、昨秋、「中四国医師会」の総会の懇親会で、数百人の先生方、関係者の皆さんの前で、演奏はさせていただいているのである。早速昨日、岡山県医師会を訪問し、昨秋お世話になった担当者の方にお話し、その日のうちに企画書をメールで送らせていただいた。さて、どのような展開になることやら、経緯を日記で公開して行こうと思う。

24日に岡山で行ったコンサート、あいにくの天気ではあったが、会場いっぱいのお客様がお集まりいただいた。今回は本格的クラシックのピアニストの方の協力により、シューベルトの「アヴェ・マリ」や「千の風」、そしてエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘヴン」なども、歌とパンフルートで披露することができた。そしてさらに「歌のお兄さん」にも挑戦したのである。歌声喫茶の歌唱リーダーよろしく、会場の皆さんを盛り上げながら「手のひらを太陽に」と「ピクニック」を、パンフルートを使わず、歌とピアノだけで皆さんに合唱の楽しさを味わっていただいた。まるで昭和のころのバス遠足の車中のような楽しさがあった。会場となった「八角園舎」は私が世に出るきっかけを与えてくれた建物である。もともと幼稚園の園舎であった、八角形の木造建築である。驚くほど音の響きがよいのである。私の大好きな場所である。 来年もこの時期、コンサートを行いそうな気配がする。

25日の、兵庫県は三木山フォルクローレ音楽祭も、引き続きの雨模様となったが、多くの方が集まっていらっしゃった。私は今年で3回目の参加であるが、一年振りに会う、フォルクローレ愛好者の皆さんと再会を喜び合った時の気持ちは、ちょったした同窓会気分である。「NHKのラジオ聴いたよ」と多くの方から、お声もかけていただいた。さすがNHK、と思った。

そして昨日、大きな予定が決まった。 それは、8月6日広島の「平和記念公園」で行われる野外コンサートに出演することである。このコンサートでは、原爆の中を潜り抜けた「被爆ピアノ」が演奏に使われる。広島・三倉岳で行われた「フォルクローレ音楽祭」に出演したことがきっかけで、今回の出演が実現したのである。私の出演時間は夕方の20分間ほどであるが、詳細が決まり次第HP上で、お知らせしようと思う。

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5月3日は倉敷美観地区で行われた音楽イベント「ハートランド倉敷」に出演。夕方はアイビースクエアーの中庭特設野外ステージで、琴奏者の山路みほさんとジョイント・ミニコンサート。この日は日中は30℃を越えたであろう暑さで大変であった。夕方になってもステージ上には熱気が溢れており、たった30分のステージだったが、汗だくになってしまった。でもリラックスした雰囲気で「琴とパンフルートの柔らかい音色」の世界を、みなさんに楽しんでいただけたと思っている。
 そして、演奏が終わるや否や私はダッシュで倉敷川そばの本部に着替えに向かったのであった。本部にはすでに着替えを済ませた「かぐや姫」がスタンバイしていた。そのかぐや姫に合わせるかのように、私は平安貴族のような格好にさせられたのであった。(後日写真が届き次第、HPに掲載します。)長髪を縛り、烏帽子も被った。メガネを外さなくてはならない。そして貴族の衣装は思ってた以上に重くかさばり、腕を横に動かすパンフルートの演奏には、袖の大きさと重さも大変気になった。そうこうしているうちに、舟にかぐや姫と乗る時間になった。全長4メートルほどの和舟に、前から私・かぐや姫・船頭が乗りこんだ。想像はしていたが、それ以上に横揺れが起こり、あまり舟を揺らして演奏すると、かぐや姫が船酔いで気持ち悪くなりはしないかと、少しおとなしめに腕を動かして演奏することにした。本番前から、船の周りは黒山の人だかり、シャッター音とフラッシュの灯りの洪水が私たちを包み、いやが上でも緊張した雰囲気になっていくのであった。まるで記者会見のようであった。
 そして、本番スタート。この日の為に作ったオリジナル曲「かぐや…月の涙」「一期の契り」の2曲を演奏したのである。しかし共演者の琴の山路さんとの距離は約100メートル離れている。川岸に等間隔に配置されたモニタースピーカーの音を頼りに演奏していった。演奏中、舟はゆっくりと川面を滑っていくのである。さぞ幻想的な雰囲気に見えることだろう。しかし演奏者は大変で、舟が進行方向を180度変えるときに、曲をそれぞれ終わらせなくてはならず、演奏のみに集中するのではなく、全体の進行状況も把握しておかなくてはならないため、恐ろしいほどの集中力が必要となった。パフォーマンス終了後、川岸からはわれんばかりの拍手をいただき、パフォーマンスの成功を確信することができた。いやー、それにしてもこの日は疲れた…。
 次の初物は5月4日の夜、岡山県を代表する温泉地「湯郷温泉」にあるホテル「ふくます亭」で宿泊客対象のロビーコンサートを実施したのである。お客様はほとんどの方が県外の方で、ほとんどの方が浴衣を着てリラックスモードであった。しかし最初は「何が始まるんだ?」といった緊張感が漂っていた。でも、パンフルートの力はすごいもので、コンサート最後の曲では知らぬもの同士のお客様が楽しくみんな歌っていたのである。おまけにアンコールまでいただいた。最前列に座っていたお婆ちゃまは、コンサート終了後、楽しそうにるんるんと小躍りするように、お部屋に戻って行かれた。聞けば、そのお婆ちゃまは、ホテルに到着した時は、両脇を抱えられて元気なくやって来たとのことである。「温泉&パンフルート」で心も身体もほっかほかになったのであろう。このコンサートの様子は、5月9日午後6時30分ごろKBS「瀬戸内海放送」テレビのニュースで紹介される予定である。
 そして今日6日は、岡山フィルハーモニー・オーケストラのオーディションをはじめて受けた。それもパンフルーティストとしてではなく、歌うたいとしてである。毎年行われているオーディションで、合格者は9月15日に岡山シンフォニーホールで、岡フィルと競演できるのである。声楽部門の男声は私だけであった。そして衣装も本格的でなくてはならないオーディションであった。初めての蝶ネクタイである。白い蝶ネクタイを締めたフォーマルな格好で歌ったのである。それだけでも緊張してしまう。実は、残念なことに5月3日の夜から体調を少々崩し、のどと鼻(鼻詰まり)のコンディションが今一つ二つであった。睡眠の長さや起床時間を調整して、ベストの体調に持っていこうとしたが、完璧ではなかった。「本番までにはベストな体調にするのが本当のプロだろう?」そんな声が心のそこから聞こえてくる。5名ほどの厳しそうな審査員の先生の前で、「誰も寝てはならぬ」をイタリア語で、ピアノ伴奏で歌った。一週間後には合否が通知されるそうであるが、今までにない緊張感を味わうことができた。それだけでも、私にとってはかなりの収穫であった。うーん、まさに「初物尽くし」のGWであったわい。

 岡山県内12ヶ所のJA女性部総会で、各会場一時間半近く演奏させていただいた、コンサートツアーが、先日無事終了した。ツアーの途中にCDが届いたので、後半のツアーではCDの販売もできたのである。各会場の15%前後の方がCDを買ってくださった。ありがたいことである。私も農家出身者なのだからか、JAの皆さんとは本当に楽しくリラックスしたコンサートを繰り広げることができた。まさに「笑いと涙と歌声のパンフルートコンサート」だったのである。
 話変わって、東京のNHKラジオから出演依頼の連絡があった。平日の午前中、全国放送している「ラジオビタミン」という番組の10時台のインタビューコーナーに出演できそうなのである。この番組は4月からスタートだが、それまでの「わくわくラジオ」のころからよく聴いており、10時のインタビューコーナーは毎回大変参考になり、ゲストからエネルギーをいっぱいもらっているのである。そのコーナーに自分が出演するかもしれないと思うと、コンサート前とはまったく違う種類の緊張感を覚えるのである。早ければ、5月中旬に番組生出演&生演奏という運びになるかもしれない。スケジュールが確定次第HPでお知らせしようと思う。そういえば、このインタビューコーナーって一時間くらいあったよなぁ。そんなに話が持つであろうか?それにたぶん始めは標準語で話していて、終いには岡山弁になっているような気もするし… どうなることやら…。
 昨日、待望のCDが我が家に届いた。とりあえず手元に200枚のCDがある。1000枚制作したが… どれくらいで完売になるものなのか。
 今日はJA岡山女性部コンサートツアーの「五日目」である。1時間のコンサートを楽しくも無事終えて、片付けをしていると… ひとりのご婦人が私のそばに来られて、「CDを買わせてください。」とおっしゃってくださった。コンサート中にCDの宣伝をしたからであろう。「超うれしいー!!」と心の中で叫びつつも、1枚売ってさし上げた。すると「ならば私も」とあれよあれよという間に、8枚のCDが売れたのである。
 するとひとりのご婦人が「CDにサインをして欲しい。」とおっしゃったので、急遽CDサイン会になってしまったのである。今まで色紙にサインはしたことはあるのだが、CDジャケットやCD盤にサインをするのは今日が初めてであった。「うわっ!俺、芸能人みたい!」と、地に足がつかない気持ちのまま、震える手でサインをさせていただいた。サインペンまで女性部の方にお借りしてしまったほどの、不意の出来事であった。
 今回の出来事から得た教訓。CDをキャラメル箱の様に包装している、透明ナイロンのようなパッケージが、なかなか、なかなか開かなくて難儀してしまった。サイン会用に包装をはずしたCDを用意しておく必要がある。以前「ライア」奏者の方にサイン入りCDをいただいたとき、金色のサインペンでサインされていたのがとても好印象だったので、色ペンも用意しておくことにしよう。
 いずれにせよ、コンサートのギャラだけでなく、CD販売の収入も入ることになり、少しは生活も楽になるかなと、ささやかな期待をしている私は「ミスター・ユニクロ」なのである。
 今日山陽新聞に5月3日の「ハートランド倉敷」の詳しいプログラムが掲載されていた。私の写真もしっかり載っていた。それから、同日の夜私と一緒に和舟に乗る「かぐや姫」役の女性が決まったという写真と記事も載っていた。これはこれは「べっぴんさん」である。それにしてもその舟に乗る際の私の装束は「平安貴族」のような格好になるとのこと。はたして私に似合うだろうか… どうも烏帽子まで被るらしい… 本格的なのである… ちなみに同日夜、倉敷市民会館では「秋川雅史さん」がコンサートをされるとのこと。その日の夕方には私も野外ミニコンサート。秋川さんよりも先にお客さまの前で、「千の風」を歌おうと思う。「ミスター・千の風」vs「ミスター・ユニクロ」なのである。
ただいまJA女性部コンサートツアー実施中!本日3日目のコンサートを行った。外はあいにくの強い雨、でも女性部総会会場では爽やかなパンフルートの音色が皆さんの心を快適にできたようで、コンサート終了後大変喜んでいただけた事がわかった。今日発見したことがある。コンサート中、ずっと怖い顔でこちらをにらみつけるように観ていらっしゃったご婦人がいた。聞けば、どうしても涙をこぼしたくなかったので、必死でこらえていたとのこと。私のコンサート会場にはたまに怒ったような顔でにらみつけている人がいる。よほど私の演奏がつまんないのだろうなと考えていたが、どうもそうばかりではないということが今日わかった。さあそして明日はコンサートツアー4日目である。
 話変わって… 昨日NHKからハガキが届いた。先日CDのサンプル盤を渋谷のNHK放送センターにお送りしたところ、4月から始まった「ラジオビタミン」という番組(全国放送)月〜金 朝8:30〜11:50のMCをされている、Mアナウンサーからお礼のハガキが送られてきたのである。この方とは今年の1月9日に先月まで放送されていた番組の電話インタビューでお話させてもらったことがある。お礼のハガキの最後に「近い将来スタジオに来ていただきたいと思います。」と書いてくださっていた。当初の予定通り行っていれば、1月末にCDができて、その後NHKに出演できるぞと、ひとり期待を膨らましていたのだが…  CDの完成が大幅に、しかも何度も延期になってしまい、そうこうしているうちに4月になって、番組が変わってしまったのである。「あ〜、NHK出演の夢は途絶えてしまったな〜」となかばあきらめかけていたところ、このハガキが届いたのである。「ん?西風は止んでなかった。しかも段々強くなって… このまま大きな帆を張れば、もしかすると花のお江戸まで飛ばしていってくれるかもしれない。風神さまよ!あっしの頑張りを天空からご覧になっていらっしゃるのなら、どうかひとつ強烈な『備前の風』をお江戸まで吹かせることに、手を貸してくれやしませんか?」何だかよくわからないが、そんな思いである。
 明日もコンサートがあるので、今日はこのくらいにしておく。「温泉ローラー作戦」は後日改めて…。
 母が秋川雅史さんの最新CDを買ってきた。聴かせてもらった。そしてこう思った。「この人は、こう表現するのか。私だったらこうだけどな。」 今、クラシックの声楽とお茶の間を行き来している人で新垣勉さんと秋川雅史さんがいらっしゃる。幼少より「立川すみと」さんが大好きだった私としては、このお二人と肩を並べられるような存在になりたい。真剣にそう思っている。
4月である。春である。先月までのごたごたも、月が変わったことだし、新たなスタートのつもりで、フレッシュな気持ちで前に進んで行きたい。今月は岡山県内10数カ所コンサートツアーを行う。それはJAの各支部に組織されている女性部という集まりの総会で1時間前後演奏させてもらうツアーである。昨年秋に、岡山県のJA関係者が数百人集まる行事で演奏させてもらったのがきっかけで、今回の女性部総会で各支部からお声がかかったのである。言うなれば口コミの一種といえよう。
 今日、そのコンサートツアーの皮きり、初日であった。比較的小人数の五十名ほどのご婦人方の前での演奏である。これくらいの人数が、聴いてくださるみなさんの顔がはっきり見えてちょうど良い具合である。私の場合、パンフルートの説明や、プロフィールや演奏家になったきっかけの話や、家族のことや演奏活動の武勇伝や、CDのPRなど… 楽しいトークも盛りだくさんなため、1時間という時間は決して長くないのである。案の定、15分ほど時間オーバーしてしまったが、みなさんとても楽しんでいただけたようで、演奏を終えてから何人もの方が目に涙を浮かべながら、感想をと言うよりも「感動した」と喜びの声を聞かせに来て下さった。
 ざっくばらんなリラックスムードのコンサート、耳なじんだ童謡・唱歌をやさしいパンフルートで奏でる心地よい時間。そして私自身、実家が農家であるためか… 農業・漁業・林業… つまりは第1次産業に関わる人達とは、妙に波長が合うのである。だからトークもいつも以上に弾むのである。それらの相乗効果からか、たった1時間が、聞いてくださった皆さんにはとても中身の濃い時間になっているようである。
 企業戦士にせよ自営業にせよ…働く男達は今大変な時代である。だが、女性たちも本当に本当に大変な中、凛として「笑顔」で頑張っているのである。そんな女性たちの目から溢れる涙は、どんな宝石の輝きよりも美しくて尊いのである。言葉にしてしまうと、歯の浮きそうなセリフではあるが、演奏中や演奏後皆さんのお顔を拝見して心底そう感じたのである。
 今月はJAとその他のコンサートで20箇所近く演奏させてもらう。1日2箇所という日もある。「今月は車検代や保険の支払があるが、なんとか食べていけそうである。」が正直なところであるが…JA女性部のみなさんとのコンサートが私をまた一回り大きくしてくれそうな、そんな予感を感じるのである。あさっては私の地元「高島JA」である。
二人三脚は難しい時がある。ビジネスの世界でも例外ではない。私のように「自転車操業」でなおかつその自転車が「火の車」になっていれば… 二人三脚のリズムの狂いは、直接的に家計に影響すると言っても過言ではないことを、ここ2ヶ月で苦しいほど知らされた。
 たったひとりの活動である。だから小規模な行事から、中規模な行事まで様々な演奏の依頼が、直接わたしに連絡されてくる。それがストレートに生活費になっているのが現状なので、ご依頼いただいた皆さんには本当に本当に感謝なのである。正直金額もまちまちである。「0(ゼロ)」がいっぱいつくときもあれば… 現物支給のところもあった。でも確実に演奏後の口コミで演奏依頼がさらに舞い込んでくるようになってきている。
 しかし悲しいかな… 半年先1年先の生活費の保証、パンフルート活動の発展を確信できる根拠はまったくないのである。芸術家まがいの看板を掲げた、綱渡り的「その日暮らし」なのである。パンフルート『備前の風』第1号が出来あがってから約3年がたった。
 私の演奏活動はギャラの発生する演奏と、ボランティアの演奏、それぞれがバランス良く出来て、初めて充実したものになると思っている。正直、一生そうありたい。そろそろ先の展望がある程度明確に見える状態になりたいと思っている。
 コンサートも全国展開していきたい。CDも定期的に出したい。そしてスケジュールの許す限り、コンサート会場の近くの施設でボランティアの演奏をしていきたい。「本当に音楽が必要なのは、コンサート会場まで足を運べない人達なのかもしれない。」前にも書いたかもしれないが、病院やいろんな施設で演奏させていただいて、率直にそう感じるようになった。これが「現場で感じた本当の感想である」私に出来るやり方で、この感想に対してアクションを起こしたいと思う。ひとりで出来るのか、自信はわいてこないが、やらなくてはならないと思っている。
 演奏活動の基盤作りの「第一歩」として今回のCDには多大に期待していた。しかし結果的には、その自分の演奏したCDに「2月3月の全国PRのスタートダッシュの足をすくわれた」格好になってしまった。悲しいし、悔しいし、辛い。
「二人三脚ってむずかしい…」こんな失敗した思いを引きずっていると、恐ろしいくらいの「孤独感」と「焦りが」また私を襲ってきそうで…
「わたしはもう何も探せない… だから誰かに探してもらえるよ、たからかに、そして切なく笛を吹くしかないのである。暗闇の中であろうと… 嵐の中であろうと… 人々の冷たい眼差しの中でも。」
昨日、期待の企画がひとつ決定した。5月3日夜、倉敷美観地区で行われる「かぐや姫ストーリー(実際の企画名をまだ良く知らないものでとりあえずこう名づけた)」十二単をまとった美女を幻想的に演出して(実際に川面を和舟で静静と移動したりもするらしい)、かぐや姫の物語をイメージで展開していくという大規模なプロジェクトのようである。ゴールデンウィークの美観地区近辺は、様々なジャンルの音楽を中心に、各所でイベントが展開されるようになって久しい。これを目当てに県外からも多数の観光客が集まっている。その中の1プロジェクトにパンフルート奏者として参加することになったのである。期待の企画と書いたのは、琴奏者とのジョイントを企画会社の人にリクエストしておいたのだが、その方が決まったのである。岡山県在住の筝曲演奏家「山路美保」さんに決まったのである。東京芸大出身の若き演奏家、しかしすでにNHKの仕事を東京でされたり、様々なジャンルのミュージシャンとコラボしたりと、HPを拝見してその活躍の幅に驚かされたのであった。来週、山路さんと初顔合わせする。どんな曲が生まれるか、どんなパフォーマンスになるか、今から楽しみである。
話変わって、私の演奏を収録したCD。かなり発売が遅れそうな気配である。詳しくはここでは触れないが、私としては1月末にそのCDを引っさげて渋谷のNHKラジオセンター殴り込み!!(物騒な表現になってしまった)といきたかったのである。1月9日にNHKラジオの全国放送「わくわくラジオ」電話出演できたことを弾みに、東京進出をあわよくば考えていたのである。それがどうしたことか、たのみのCDが待てど暮らせど完成しないのである。困った、非常に困った。NHK出演のため状況が決まれば、大手新聞社や雑誌などのメディアにPR活動を展開したかったのだが… CDができないことにはアポもとりづらいのである。
そこで私は決断した。「CDが手元になくても、東京に行こう。そして浅草や巣鴨、新宿や六本木ヒルズなどでガンガンにストリートパフォーマンスをやってこよう。」まず東京のひとたちに私の存在を知ってもらおう。そうすれば何かが動き出すかもしれない。
まったくの無所属で、一人ぼっちの活動だからこんな方法しかないのか?岡山では少しは知名度の出てきた存在にはなりつつあるが、こんなやり方に抵抗はないのか?答えは「ない」である。「お父ちゃんは、なりふり構わず頑張るのである。」
路上パフォーマンスでも「千の風になって」を歌とパンフルートでお送りしようと思う。果して『備前の風』は大都会東京でも吹き渡ることが出来るのか、東京の人達の心にも私の笛の音は響くのか… ある意味、今年の重要な出来事となるかもしれない。
今日は岡山の後楽園の開園記念日。入場無料で、園内では神楽や昔遊び体験や、様々な催しが開催されていた。私は観光ボランティアをされているYさんから誘われて、紙芝居にパンフルートの生演奏をつける体験をさせていただいた。紙芝居は後楽園に江戸時代から飼われている、鶴の「タンチョウ」の物語であった。ストーリーも絵も紙芝居を仕込む木の枠(舞台という)も拍子木も全部、観光ボランティアの皆さんの手作りであった。
当初は1時間半おきの5回公演を予定されていたが、あまりの盛況振りに結局この日、9回紙芝居を上演したのであった。1回の紙芝居が約15分。読み手が毎回変わり、アドリブも入ってくるので、音楽を付ける時間は毎回変わるのである。それを先読みして、セリフが終わるころにちょうど音楽が終わるよう、即興でメロディを加えたり、アレンジしたり… 演奏した曲の半分以上がオリジナルで、初期の紙芝居練習に参加して即興で付けたメロディをまとめ上げたものである。それにしても昼食休憩以外はほとんどインターバルなしの、連続公演。お客様が帰られて、すぐ次の回のお客様が入ってくるようなこともあった。お客様はまさに老若男女、1回のお客様の人数は30人以上。
いやあ、本当に忙しかった…思いのほか体力を使ったか?というよりも神経が疲れたという感じである。でもまた一つ、新しい体験がで出来た。今年の夏には、後楽園の幻想庭園のステージが踏めたらいいな。
自分の感想を書く前に、HPの案内をご覧になってこの発表会を観に来ていただいた皆さんに、改めましてお礼を申し上げます。本当に寒い中(公演中、外は雪がかなり降っていたようですね)お越しいただいてありがとうございました。パンフルートは「アベマリア」1曲のみで、「誰も寝てはならぬ」ではつたない歌とひとり芝居をご覧いただいたりで、さぞ驚かれたことだと思います。実はこうしたパフォーマンスは好きな方でして…
 今回の歌とパンフルートをDVDがもらえ次第、HP上で公開しようと思います。また今後のコンサートで可能であれば、「誰も寝てはならぬ」などの、3大テノールが歌うような曲にもどんどん挑戦して行こうと思います。私のパンフルートは「歌うように吹く」ことを心がけています。だから自分の歌を磨くことはパンフルートの上達にもつながっているのです。
 今まで自分の歌を客観的に聴いてもらう機会はなかったのですが、このヴォイスパフォーマンスに参加して、K先生から鋭くも的確なアドバイスをいただけたのが、本当に良かったです。今回の挑戦では、歌にとって「呼吸がいかに大切か」が43歳になって初めて、身をもって体験できたのが大きな収穫でした。これって実はパンフルートの演奏にも共通することなんですよ。今では、高い声になればなるほどのど周りの力を抜くようになってきました。腹筋も大切ですが、背中の下の方の筋肉の方がもーっと大切だと感じるようになりました。(まつもと引越しセンターのCMの女の子のような口調で)
 また新たな音楽仲間が増えたことも、とってもうれしいことです。来年度もヴォイパは行われそうな雰囲気です。CDのPRや何やかにやと、今年は出張が月に何回も入りそうな様子ですが、可能な限りこのプロジェクトには首を突っ込んでいこうと思います。岡山近隣にお住まいの方、一緒に歌磨きしませんか?声楽に興味がある方、どうぞお気軽に私にお問合せください。
今、昨年の春に注文いただいたパンフルートの製作に入っている。注文から随分時間も経っているので、いざ製作の順番がまわってきた方に確認の電話をかけてみると、状況もいろいろ変化しているようで…注文をキャンセルされる方も何人かいらっしゃる。残念な思いもするが、待たせるだけ待たせてしまったこちらに責任はあるといえる。そんな中、3月に注文くださった方の仕事先に、納品に伺う。パンフルートを初めて見る同僚の方の為に、事務室で「朧月夜」「川の流れのように」をデモ演奏する。今回納品に伺った方は、昨年私の演奏をとある行事に組み込んで下さった方である。久々の再会であるが、パンフルートよりも私の歌をえらく気に入ってくださっている。先日の三重県でのコンサートの時もあったのだが、CDに私の歌も入っているのか聞いて来る方が何人もいらっしゃるのである。嬉しい話である。学生のころは、クイーンやツェッペリンなどをシャウトして歌っていた。今はまったく歌い方が変わってしまった。というよりも歌に対する姿勢、考え方などなどすべてが変わってしまった。病気を経験したことと、パンフルートを聴いて楽しんでくださる観客のみなさんが私の音楽観を変えてしまったといっても過言ではない。
 納品後、ふとそんなことを考えていると大好きな吉井川の河川敷に車を止めていた。明日はヴォイス・パフォーマンスの練習日(トップページ参照)。「誰も寝てはならぬ」の練習をしておこう。でも、そとは激しく雪が降っている。しょうがないので、後部座席で発声練習と歌の練習をする。パヴァロッティもカレーラスもドミンゴも大好きだが、物まねをしてもしょうがない。自分自身のテノールを磨こうと頑張る。それにしてもこの歌は短い割にカロリーがとても必要な歌であることあること…。そういえば、ここ数ヶ月、耳鳴りが結構ひどい。もしかすると締めきった車の中で、声楽風な歌の練習をしているせいかもしれない。日没も過ぎたであろうころ、歌いながら窓の外を見ると、水辺でタヌキの兄弟(親にしては小さかったので)が車の方を見ているのに気がついた。車からもれる「誰も寝てはならぬ」の歌声に興味津々のようであるが、結構雪も「しんしん」と降ってきたので、二匹は足早に藪の中へ消えていった。
 今私の手元に発売予定のCDの仮盤がある。演奏力はまだまだ未熟だが…自分の作品なのに… 音に遠赤外線でも含まれているのかと思うくらい、聴くと暖かくなるのである。自分の作品なのに… 駄目だし出来るところは山ほどあるのに、布団に入ってイヤホンで聴いたりすると、心に湯たんぽを抱えたかのように、安らかに眠れるのである。自分の作品なのに… 自分が演奏するCDに癒される自分である。自分のオンエアーを見て自分を好きになる「さんちゃん」とはちょっと違う感覚ではあろう。今回のCDのキーワードは「縁側で日向ぼっこしながら童謡を歌うおばあちゃん」と「海苔茶漬け」だと思う。そのキーワードの解説は、NHKの「わくわくラジオ」に出演したときに解説することにしよう。って、本当に出られるのだろうか?   あさって、CDの最終ミックスダウン前の打合せをする予定である。この様子だと発売が少々延期になるかも…。