今日は、午前中はパンフルートの納品&ミニレッスン。午後は『備前の風』製作。夜からは、倉敷市の水島で歌声喫茶に参加した。岡山には桧山さんという、アコーディオンのベテラン奏者がいらっしゃり、その方がリードする歌声喫茶には、あちこちの店に私も時々参加させてもらっている。中高年のみなさんと大きな声で、童謡・唱歌やナツメロをいっしょに歌うのはとても楽しいのである。
実は今日参加した喫茶店から、出演依頼(ギャラが出る!!)を受けており、その予告も兼ねての参加であった。2時間の歌声の途中でティータイムが入る、その時間を借りてパンフルートの説明とミニパフォーマンスを披露した。優しそうな女性の参加者がたくさんいらしたので、「かあさんの歌」を披露。一曲でやめようと思っていたら、アンコールがかかり、結局「コンドルは飛んでいく」や「どらえもん(イントロからエンディングまで)」「花嫁人形」なども披露させてもらった。みなさん初めて聴かれた様子で、その音色にしみじみと浸っていらしたようである。ここでの演奏日程はまだ決まっていないが、決まり次第アップしたいと思う。
明日は午前中に建部町でボランティアの演奏。落語三席の合間の色物(アトラクション的な位置付け)としておじいちゃん・おばあちゃんの前で演奏させてもらう。帰ったら大急ぎで楽器製作の続き、夜は息子のバスケットの迎えとなっている。何だか忙しくなってきたぞ!!
謹賀新年。工房での仕事始めは今日からである。正月休は家族サービスに徹した。子供たちを家内の実家に預けて、夫婦二人で数日ドライブ。ここ数年はこれが恒例行事になっている。普段、家のことや子育てなど家内に任せっきりなので、感謝の気持ちを込めて小旅行を楽しんでいる。
 私の人生振返ると「いつも夢を食べて生きてきた」ような気がする。結婚してからもずっとそうで、現実生活のやりくりをしっかり者の女房がうまくやってきてくれたのである。その点では全く頭が上がらないのである。でもその夢を「パンフルート」という楽器が現実にしてくれて、しかもたくさんの聴衆の方に喜んでいただけている。本当に嬉しい限りである。今年もすでにいくつかギャラの出るステージも決まり、今日は大阪から講演や演奏の問合せが来たりもした。明日は岡山市内で影響力の大きいフリーペーパーの取材が決まっている。今年からは今まで以上に県外活動を積極的に増やしていくつもりである。
 何とか今年中には、安定した収入が得られるような基盤作りも仕上げたいものである。CDも製作したい。レギュラーユニットとして私とコンビを組んでくれる、演奏者とも巡り合いたい。東京・名古屋・大阪・福岡などの大都市圏の人にも、演奏を聴いてもらえる機会を作りたい…。ヤマハさんのような楽器メーカーと『備前の風』普及品製作の商談打診もしてみたい…。
 おっと、一度に全部やろうとすると…いい結果も出なくなる。何はともあれ出来ることからひとつずつ、着実にやっていこう。外は冷たい風が吹いているが、聴く人の心が温まる『備前の風』がまた今年も吹きますように。
 今日は午前中工房にお客様がいらっしゃった。ご注文いただいたパンフルートの引渡し&ミニレッスンである。ただ引渡しするだけではなく、乾燥中の竹や、炎で油抜きすると竹がどのように変化するかや、製作の工程を包み隠さず、すべてお教えして、いつも楽器をお渡ししている。楽器やさんの棚に並んでいる楽器たちも、その製作の様子がもしわかれば、より愛着がわいてくるものだろうと私は思う。
 お渡しして、5分で「カエルの合唱」が吹けたのには少々驚かされた。この方は10月に演奏させてもらった「御前酒クラブ」のメンバーの方で、アロママッサージと香のクラフトのお店「健康の森」を開いていらっしゃる。10年以上の看護師の経験を持ち、医療とアロマの知識に裏づけされたお店の営業ないようなのである。私と物の考え方が似ているというか、感性が似ているというか…。お話していると、暖かいパンフルートの演奏を聴いているような、心地よい気分でいられるのである。興味がある方は是非彼女のHPを覗いてみてほしい。
 さて、本日を工房での仕事納めにしようと思う。年内はもう少し予定があるのであるが、楽器作りは今日までとする。
 HPを作ったおかげで、全国から注文が入って来る様にはなったが、HPからの注文が一段落ついた観がある。確かに、パンフルートや『備前の風』や私の名前で検索すると、このHPが検索上位に出てくるようになって、嬉しい限りなのであるが、まだまだ、「パンフルート」という言葉自体を知らない人のほうが圧倒的に多いわけで、そんな人達やPCが周りにない人にとって、『備前の風』を知ってもらうには、メディアやコンサートや… とにかく演奏を聴いてもらうしか方法はないのである。
 来年2月には四国本島での初コンサートが実現することになった。当面の目標は「ちくわ笛」より知名度を上げること。
今日は午前中、倉敷にて来年1月14日に開催される「倉敷市視覚
障害者協会 新春文化祭」での演奏の打合せをする。倉敷駅前の西ビル8階にある「倉敷市社会福祉協議会分室」の会議室での演奏になるが、世話人をされていらっしゃるKさんの熱意をすごく感じることができ、張り切って良い演奏をお届けしたいと強く感じたのであった。過去には、この行事に「ちくわ笛」の住宅さんや「クラシックギター」の中林先生といった「岡山在住で岡山のみでなく全国でその名を知られた方々」が演奏されているとのこと。ちなみに、Kさんは10年以上前に、日本人のパンフルート奏者の草分け的存在、岩田先生の演奏会に行かれたことがあるとのこと。Kさんの許可をいただき、今回の演奏を一般の方が見にこられる様にしてくださるとのこと。行って見たいと思われる方はご連絡下さい。
 午後から旧佐伯町に移動。八代亜紀の陶芸の窯があるという情報をいただき、何はともあれ出向いてみることにする。「所さんのダーツの旅」よろしく、第1村人に窯の場所を聞き、向かった。窯にはひとりスタッフ(?)の方がいらっしゃり、「そう言った話は、八代さんの事務所に連絡したまえ。」と門前で返される。それもそうである。私は、「こうだ。」と思うとつい突っ走ってしまいがちなのである。それがいい結果を出すときもあれば、無駄に終わることもある。年明けになるが、八代さんの事務所に手紙を送ってみることにしてみよう。せっかくいただいた情報である、大事にしなくては。
 3時ごろ工房に戻り楽器製作にとりかかる。夕方、四国より電話が入る。コンサートの予定を打ち合わせ、日程が決まった。2月11日に四国本島での初ステージ(ログハウス・コンサート)が実現することになったのである。来年も年頭から忙しくなりそうである。
 追伸
 来年、本格的新ユニット結成の可能性が出てきた。詳細は決まり次第お知らせしようと思う。
今日は長い1日だった。朝5時半起き、8時にフリーマーケット会場の「水島サロン」に到着。主催者のO氏および元上司のN氏にあいさつ、パンフルート体験コーナーの準備。9時に会場オープン、直島のときもそうだったが通りかかった人にパンフルートの音出し挑戦を勧めるのがどうも苦手で、ひたすらデモ演奏に徹してしまった。11時と12時からの20分間のパフォーマンス。簡単なPA設備は用意してもらったが、状況的にはストリートパフォーマンスそのものであった。でもいろんな場所での演奏経験のおかげか、目の前を何十人もの人が行き来していても集中して演奏することが出来た。クリスマスソングはもちろん、童謡唱歌、アニメソング(ルパン3世のテーマも成功した)クラシックやナツメロまで幕の内弁当のようなプログラムだったが、皆さん楽しんでくださったようである。
その演奏後、なんと私のパンフルートを買いたいと2人のおじ様がいらっしゃったのである。さらに、「演奏を聴かせてもらったので」と私とほぼ同世代の男性が暖かいうどんを買ってきてくれて、差し入れをしてくれたのである。こんなの初体験であった。ここに一つの傾向を感じた。演奏を聞入ってくれている人の8割以上が女性である。フリーマーケットと言う状況の中で、比較的高額商品のパンフルートを「クリスマスプレゼントにする」と買って下さったり、差し入れ下さったのは…全員男性。もしCDとか作って一緒に売っていたら、さらに女性の方たちもお買い上げいただけただろうなと言う手応えを実感した。
フリマに対する私の認識がすっかり変わってしまった。少々高い商品でも、価値を認めていただければ、製作者がどんな人物かが目で見てわかれば、フリマと言う状況でも売れるものは売れるのでおろう。
 その他、実は今日ここでは書ききれないほどのたくさんの出会いがあったのである。これからの演奏活動にも関係してくるものばかりである。そのうちの一つ、フリマ終了後誘われた喫茶店に行って見ると、そこではギター教室が行われていた。教室のコーヒータイムの際に、パンフルートの演奏を何曲か披露させていただいた。するとクラシックギターの先生がジョイントしようと、急遽セッションすることに。「芭蕉布」「太陽がいっぱい」「アベマリア」などなどぶっつけ本番でご披露。本格的なクラシックギターとのセッションははじめてで、緊張&集中の演奏になったが、自我自讃だが「録音したいくらいの」ばっちりのセッションができ上がった。ここの喫茶店はつき1回の喫茶コンサートが行われており、本格的なミュージシャン、演奏家をブッキングされているのに驚かされてしまった。「来年の喫茶店コンサートの年間スケジュールはもう決まっているのであるが、可能なら、パンフルートのプログラムも組みたいな」とオーナーのおめがねにどうやらかなった様である。
約7時間、寒かった屋外でのデモ演奏&クラシックギターとのぶっつけセッションと、吹きまくりの1日で今日はかなり疲れてしまった。
明日は朝から、工房見学のお客様あり、明後日もしあさっても工房見学あり、年末押し迫るにつれて、忙しさが増してきている観がある。ちょっと疲れが溜まってきているかな?
今日は午前中、デイサービスのボランティア演奏に出かけていた。昨年もここのクリスマス会で演奏させていただき、今年もお呼ばれしたのである。施設でのボランティア演奏をはじめてから、一番回数多く寄せてもらっているところである。演奏もさることながら、私の話芸(?)はここで磨かれたと言っても過言ではない。吉本新人芸人さんにとっての「ベースよしもと」「2丁目劇場」みたいなところである。レパートリーが急激に増えたのも、こちらでの演奏のおかげである。パンフルート1本だけで、伴奏なしなのに、歌声喫茶的な楽しい会ができるようになったのもここでの経験が活かされていると言えるだろう。
はじめてお会いしたスタッフの方が私のステージをご覧になって「パンフルートよりも歌がすごいですねー。“しもんまさと”さんみたいな声と歌い方だし…」との、お褒めの言葉をいただいた。「パンフルートよりも」と言われたのが、少々複雑な心境であるが…。確かに歌手歴28年とパンフルート歴1.5年だからなー。更なる『備前の風』の演奏上達に励まなくては…。明日の演奏はいよいよクラシックに挑戦の本番ステージである。
 この文章をアップさせたら、今度は年賀状との格闘である。今回は、今まで疎遠になっていた方々に、パンフルート活動を始めたことをお知らせする年賀状に絞って出そうと思っている。何だかとっても気ぜわしい。まさに「師走だな―」
追伸 先日「八代亜紀さん」に関する内容の日記を書いたのだが…それが思わぬ展開になるかもしれない、ということが今日判明した。詳しくは、まだここでは述べられないが、展開があったらお知らせしたいと思う。
ここのところ工房にいる時間が多い。乾燥した女竹を油抜きする作業に、没頭している。
私の油抜きの方法は、火で竹をあぶる方法を採用している。竹の表面がきつね色のエナメル質状態になり、ニスなどの塗装を施さなくても、独特の風合いをかもし出してくれるからである。しかし油断してしまうと、竹に色むらができてしまうので、慎重に行わなくてはならない。火であぶる油抜きをすると竹の質が変わり、実に響きのいいパンフルートができあがるのである。その分手間と時間がかかり、20管の『備前の風』をひとつ完成すると、正直ぐったりする。材料の下準備から計算してみると、20管ひとつ製作するのに3日はかかっているだろう。そんなこんなで、トップページにも予告を記したが、現行の普及価格は年内いっぱいにして、来年から値段を大幅値上げさせてもらおうと思う。最低限の生活が補償できるくらいの収入を得なくてはならないのである。
 ところで工房で作業している時にも休憩時間中に『備前の風』の練習は怠らないようにしている。今週の金曜日の演奏で披露するクラシック4曲メドレーが最大の難関である。「ジュピター、威風堂々、モルダウ、家路」どの曲もスケールの大きい曲ばかり、オリジナルキーなので半音もいっぱい出てくる。やりがい大いにありである。
 数日前、休憩中にふざけて適当に吹いていたら、段々形になっていって、気がつけば「ルパン3世」のテーマを吹けるようになってしまった。パン・デ・デューのウォルティさん的な破裂音的低音奏法を参考にして、結構かっこいい演奏ができるようになった。(自我自讃)早速今週末の「フリマ会場でのパフォーマンス」で披露してみよう。
 それからもう一つ、大きな発見をしてしまった。「缶コーヒーBOSS」のテレビCMで流れる八代亜紀さんの「舟歌」に合わせて、演奏してみたところ、とっても雰囲気が合うのである。試しにその後、その「舟歌」と「雨の慕情」を練習してみると実に、『備前の風』の音色と曲が合うのである。すると、ふと気がついた、八代亜紀さんの声質って、パンフルートの音色に似ているよなー。日本歌謡界のパンフルートボイス、八代亜紀なのである。
いつか競演してみたいなーと、おこがましくも思うのである。
 ちなみに、尺八的な音出しと、うねるようなメロディーの演奏の仕方をすると、「石狩挽歌」も実に「ぐっ」と来る演奏ができることが判明した。パンフルートの可能性って結構無限大かも。
 今日は香川県の直島で開催された「きらめき音楽会」に参加させてもらった。今年で6回目とのこと。直島中学校音楽部の「こんぺい糖のおどり&マーチ」から始まり、学生達の演奏から、小学校・中学校の先生たちの演奏、社会人の方や中には、おまわりさんも演奏に参加されるなど、島を挙げての音楽祭であった。それがどれも本格的な演奏で、正直びっくりさせられた。クラシックや声楽からビッグバンド・ジャズまで、実にバラエティに富んだ内容であった。
 11月に出店した「ベネッセ・アートマーケット曼荼羅市」が縁で、今回お呼ばれしたのである。来年の出演依頼を受けていたのだが、今回プログラムの中に何とか私の時間を設けてくれて、パンフルートのソロ演奏を披露させてもらった。本格的なホールが会場で、スポットライトを浴びての演奏となった。逆光で観客の皆さんの表情が見えないため、会場とのやり取りを得意とする私にとって、少々トークがやりにくかったが、実に良い経験になった。
 ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」を弾く教育委員会の女性の方の演奏には、惚れ惚れしてしまった。「あー、こんな人と競演できたら、私ももっと幅広いジャンルの曲に挑戦できるんだろうなー。」としみじみ感じてしまった。
 「直島はアートの島」という一般的な観光イメージがあるが、音楽の島でもあるなと感じることができた一日であった。来年の出演の際には、いつものスタイルで、会場と一緒に歌う曲なども何曲か用意してみることにしよう。それから、新年早々には四国本島での初ステージが実現する可能性も、実はあり楽しみである。決定次第お知らせしたいと思う。
12月13日の続きを書こうと思う。清水寺での演奏後、大阪に戻り、夜から梅田での集まりに参加した。12年前私はOBSという野外教育機関のJALTというコースを修了している。OBSの本校はイギリスで、世界中に学校を配する組織である。関心のある人は、是非HPを覗いて欲しい。そもそも、JALTでカヌー研修を受けていなければ、アオキカヌーワークスに就職することもなかったし、川面から竹の存在を知ることもなかっただろう。ということは、『備前の風』もこの世に生れなかったであろう。少々大袈裟ではあるが、確かに事実である。
 実はその夜「JALT修了者のOB会in大阪」が梅田の居酒屋で行われたのである。出席者は約20人だが私のような古株はほとんどいなく、比較的最近の年度に卒業した人達がほとんどであったのは、ちょっと寂しかった。だから私にとって全員が初対面であったが、
同じJALTという数ヶ月に渡る合宿野外研修を経験した人達ばかりだから、不思議とその場にいても違和感は全く感じなかった。というよりむしろ若い修了者の人達が、私を快く迎えてくれたのが良かったのかもしれない。乾杯の後、自己紹介と近況報告を全員やり、私の番は一番最後。パンフルート人生の始まりを近況報告としてさせてもらった。
 出席者の中には、学校の先生が何人かおり、この楽器を学校の活動にとり入れることにとても興味を持っている人もおり、何だか新たな展開の予感も感じさせられた。デモ演奏を何曲か披露。お客で満員の大きな居酒屋で演奏したのは、はじめてであった。何人もの人が、この楽器の特徴に興味を示してくれたことも嬉しかった。
 この日は、OBS長野校の校長も出席されており、校長より来年6月のJALTのカヌー研修のインストラクターを引き受けて欲しいとの、ラブコールまでいただいてしまった。パンフルート活動だけでは、正直収入が苦しい折に、昔とった杵柄、カヌーインストラクターの経験が収入につながることは、嬉しい限りである。何より、母校からの要請というのが嬉しく感じるのである。
 宿泊先のホテルに門限があったため、中座しなくてはならなかったのがとても残念であったが、都会暮らしのリズム感を取り戻せず、たった2日間でホームシック的な落ち込みを少々感じていた私にとって、はじめて会ったJALTの仲間たちのから、元気をいっぱいもらった感覚である。OBSに感謝、JALTよ永遠に不滅であれ、と言う気持ちでいっぱいである。
 明日は、直島の子供たちによる、本格的な音楽祭(的な)に出席させてもらうことになっている。これもまた、新しい出会いがたくさん私を待っている予感がするのである。

3日間の関西遠征から帰岡した。ガードマンとの戦い、街中に溢れる大音響のクリスマスソング、どしゃ降りからの回避…じっくりパフォーマンスらしいパフォーマンスができなかったので、かなり残念であったが、3日間で数十人の知り合いを作ることができたのが最大の収穫かもしれない。

 12日の夜、宿に帰り就寝直前にニュースを見ると、清水寺の「今年の漢字」の発表が放送されていた。その映像を見るや、直感的に「清水の舞台で演奏しよう」と思った。人生の再出発をパンフルートと共に進んでいく決意を下した時の気持ちは、まさに「清水の舞台から飛び降りる」覚悟であった。今、このニュースを見たのも縁かもしれないと思い、明日の清水行きを決定した。

 13日は、朝から雨であった。JRで京都に入り、京都駅からは私営バス。清水寺に到着したときはどしゃ降りに近い雨であった。雨の平日だというのに、参道は多くの人で、いっぱいであった。半数以上が修学旅行生で、いろんな地方の方言が楽しげに飛び交っていた。

そして、本堂に到着。雨の清水の舞台からは、霞のかかった紅葉の山並みが眺められた。

清水寺

 本堂に上がると、昨日テレビで見た「命」の文字が。若い観光客はその文字の横に立って万面の笑みにピースサインできゃっきゃと記念撮影をしている。なんだろう、とても複雑な気持になった。

命

15分ほど本尊の前に座り、心を静めた。そこに寺の関係者が通りかかったので、素生と事情を説明して、本堂での奉納演奏の許可をいただいた。畳2畳分以上もあろう大きさに書かれた「命」の筆文字が横にある、本尊の前に正座すると、吹き始めたのは「七つの子」であった。直前まで何を奉納演奏しようか決めかねていたが、思いが込められた迫力のある「命」の文字が曲目を決めたのである。演奏をはじめて、10秒ほどすると突然背中に激痛が走り出した。その痛みは脈打つ様に続き、演奏終えるまでその痛みをこらえていた。不思議なことに演奏を終えると、背中の痛みは嘘のように消えていた。急激な緊張が原因なのか…アンビリーバボーな体験であった。 京都駅に戻った時には、クツの中は雨水でぐちゅぐちゅであった。

 その日の晩、たくさんの新たな出会いが私を待ち受けていることを、私はそのときまだ知らなかったのである。この続きは明日。

今日は、午前中工房にお客様が来られた。『備前の風』初期モデルを10Holesというネットショップで購入後、「どうやったらきれいな音がなるんですか?」と質問の電話を下さったことが縁で、お知り合いになれた、旧佐伯町にお住まいのご夫婦である。工房にお越しになるのははじめてで、太目の女竹のストックをご覧になって特にご主人が「よくこんなサイズの女竹を手に入れられましたね」と驚いていらした。ご夫婦はこの「風の音日記」を毎日チェックして下さっている様で、先日書き込みが何日もできなかったときなど、「病気じゃないですか?」と心配して電話をくださったりもしていただいた。お土産に広島のみかんとおいしそうな豆餅をいただいた。超うれしい。もしかして、先日の日記に「工房に来るお客様の手土産が甘いお菓子が多くて、うちの子供たちが棚ぼたでおいしい汁を吸っている。」と書いたのを覚えていての、セレクトかも、と後で思った。「大阪出張、気をつけて、頑張ってきてくださいね」のお言葉がとても嬉しかった。
 そう、明日からいよいよ3日間関西方面でパフォーマンスツアーを敢行する。初日は神戸・三ノ宮、2・3日目は大阪中心部での演奏になると思う。あわせて、新聞社の訪問や、ホテルにパンフルート演奏のPRにも行こうと思う。神戸はこの時期「ルミナリエ」開催中なので、夜の時間帯でも頑張ってみようと思う。大阪ではレコード会社や放送局の訪問もしたい。まあ、あまり肩に力を入れすぎずに、ひとつひとつできることからやってみよう。
あす、早朝JR大多羅駅から出発する。
 もうひとつ、新しい目標ができた。それは「ロハス・クラシック2007」にエントリーすることである。私の好きな雑誌に「ソトコト」という雑誌があり、この本が日本に「ロハス」という考え方・行き方をいち早く紹介したのである。私は言わばそこのネット会員になっていて、定期的にメールマガジンを送ってもらっているのである。今日そこから、「ロハス・クラシック2007」のオーディション開催のお知らせが届いたのである。主旨にも賛同でき、「これはエントリーするしかないでしょう!」と即断した。審査委員長は「坂本龍一氏」である。1次審査で落ちたとしても、「教授」に私の演奏を聴いてもらえるだけでも、光栄の極みである。「一丁、頑張ってみますか!」
今日は二つの会に出席した。一つは「演奏スケジュール」でもお知らせしていた。「コンドルほのぼのコンサート」である。岡山市のフォルクローレ・グループ「コンフント・アンデス」のM氏が企画されたコンサートで、8組の演奏者がさまざまな楽器でいろんなジャンルの曲を披露。一組平均15分ずつのオムニバスコンサートである。フラメンコギター、マンドリン&ギター、リコーダー・アンサンブル、オカリナアンサンブル、ギター&ボーカル、フルート&クラリネット、フォルクローレ…そして私のパンフルート。みんなが口ずさめる曲からクラシックの名曲や民族音楽まで、実にバラエティに富んだ内容の2時間半のコンサートであった。パンフルートソロ演奏は皆さんはじめてだと思ったので、私は、「星に願いを」「嬉しいひな祭り〜思いでのアルバム〜宵待ち草〜花嫁人形〜かあさんの歌(メドレー)」「散歩(トトロより)」を披露させてもらった。私の出番は8組中7番目で
、一番後の席でずっと見ていたのであるが、聴衆の皆さんの楽しんでいる様子が、後からでも良くわかった。曲のテンポに合わせて、老若男女、身体が左右に揺れているのである。ところが、中に身体が前後に揺れている人がいたので、横からのぞいて見ると、そのひとは、気持ちよさそうに寝ていたのであった。でも、本当に気持ち良くなる、まさに「ほのぼの」した演奏が続いたので、眠くなるのは自然の摂理だと感じた。外は曇っていたが、この部屋にだけ「小春日和の太陽の光」があたっているかのような、とても居心地の良い空間になっていたのだと思う。それにしてもコンフント・アンデスのM氏の「サンポーニャ」の演奏はすばらしい。パンフルートとサンポーニャは基本的な構造は同じなのだが、全く音色が違うのである。M氏がサンポーニャを吹くと目の前に突然「ボリビア高地の景色」が鮮明に浮かんでくるのである。すごい、すごすぎる。
 今日、もうひとつ出席したのは、和気町にある画廊喫茶(この表現であらわしきれないくらい、こちらも居心地の良いスペースであった。)『栂(とが)』で行われた。森田恵子さんの朗読会であった。『和みおかやま』という、岡山の素敵な喫茶スペースを紹介した本を、出版され、そのために撮影した写真を、写真展として披露することを企画され、その第1期開催を記念して、森田さんの朗読会が開催されたのである。森田さんはアナウンサーとしてのキャリアが長く、さまざまな経験を経て、「話す」ことのプロとしてのキャリアは、すごいものがある。(こんな表現しかできなくてすいません)FM岡山の番組が縁で、『備前の風』の後方部長もかってくださったり、様々な面で私の活動を応援してくださる、私にとっては『和服がとっても似合う、幸運の女神』なのである。このHPのTOPページで私と一緒にパンフルートを持ってポーズしてくれている女性である。はじめての朗読会体験であったが、すごかった。何がすごいって森田さんの語りが始まるや否や、頭の中でどんどん物語が展開していって…。今回の作品は山本周五郎の『花匂う』であったのだが、私の頭の中では、大好きな映画監督市川昆さんの極上の映画を見ているような状態で、山本作品を森田さんの語りで楽しめたのである。私の夢がまた一つ増えた。森田さんの朗読と私のパンフルートソロで新しい創造空間が作りたい。強くそう感じたのであった。会終了後、オーナー夫人にご挨拶させていただき、了解を得て、パンフルートの演奏をさせていただいた。音の響きがとってもやわらかに感じられ、以前勝山の醤油蔵を改造して作られたホールで演奏したときの響きにとても近いものを感じた。いつか、きっとここで演奏できたらいいなあと本当に強く感じたのであった。
今夜は8:30に工房にお客様が来る。私のパンフルートを「お友達の誕生日プレゼントにしたい」と注文くださった女性が、お友達を連れてくるとのこと。そのお友達は男性で幼馴染とのこと。私よりもほんの少し年上の人達だが、今でも誕生日のプレゼントをあげ合っている関係、幼・小・中のころの友達とはすっかり縁の離れた私にとって、本当に・ましい限りである。何物にも替え難い、人生の宝物のようにも思う。友達の男性は、この日実物の『備前の風』を見るのがはじめてである。吹き方を簡単に説明すると、要領よく音出しに成功されていた。デモ演奏で、二人のすぐそばで数曲演奏すると彼女は大喜び、お友達の男性は「歌う様に吹けるんですね」と驚き含んだ喜びの表情だった。談笑交えながらの楽器引渡しを終え、お支払いと共に「お菓子のお土産」までいただく。工房に来る女性はほとんどの方が、手土産を持ってきてくれる。女性の気配りはさすがだな―と思う。そのほとんどがお菓子関係で、「棚ぼた式」にうちの子供達の「お菓子環境」が、工房の公開や演奏活動の機会が増えるたびに「豪華になってきている」。まさに「おいしいとこを」持っていっている。
 それにしても、今日の女性の職業も看護婦さん。以前にも看護婦さんが買われている。先日、『備前の風』を買ってくださったのはお医者さん。1ヶ月ほど前に注文くださった方は牧師さんである。『備前の風』を
買おうとされる方の職業に「人の心や身体に係わった職業の人が多い」のはこの楽器の持つ様々な特徴によるところがあるかもなあ、とも思った。今月には、工房見学の問合せが数件はいてきている。嬉しい限りだ。縁が縁を呼んでどんどん広がっていく実感がある。来週の関西ストリートパフォーマンスツアーでも新しい良縁がいっぱいできますように。
 今日は倉敷市玉島の渡辺胃腸科外科病院の新病院竣工記念パーティ&見学会で午前・午後と演奏させていただいた。午前は祝賀パーティ会場で医療のトップの方たち80名以上の前で演奏、乾杯前に「乾杯の歌」(アメリカ学生歌:杯を持て〜♪)を演奏、その後日本の歌や海外の曲を披露。出席者の中に以前別の病院で手術を受けた時の執刀医の先生が二人もいらしたのを発見して、今までで最高に緊張した状態で演奏を行った。
 午後は新病院の見学にいらした地元の方たちの前で30分のステージ。客席におばあちゃんがいっぱいいるとなぜかとっても楽しくステージが進められるのは、やはり日頃の施設での演奏を思い出すからであろうか。嬉しかったのは、午後の演奏終了後、一番前で見てくださってた、おばあちゃんが『備前の風』を気に入ってくれて、1本注文してくださったのである。もうひとつびっくりしたのは、司会がいつもテレビで拝見していた大好きなアナウンサーさんだったのである。テレビで見るよりもきれいだったので、ちょっとドキドキしてしまった。
 それからもうひとつびっくりがある。それはここの病院の栄養部の方たちである。新しくできた喫茶コーナーで、めちゃくちゃおいしいプリンをいただいた、聴けばこちらの栄養部の方たちが作られたとのこと。更に聴けば、ここでは入院患者さんへお出ししているパンは自分たちで作っているとのこと。雑穀や古代米をとりいれたり、また冷凍ものは一切使わないなど。口で言うのは簡単だが、有言実行で安心して患者さんに召し上がってもらえる食事の提供を心がけているとのこと。すごい病院とご縁ができたなと、今振返っている。23年間このちで頑張ってこられた、渡辺院長は実は、ジャズ・プレーヤーの顔も持つ方。いつか先生と新病院のホールでセッションにてみたいものである。
何だか、また運命の大きな車輪が回り出した予感がする。先日、病院の待合で見たNHKテレビの番組で取り上げられた会社が発行している新聞が妙に気になって、その後その会社にメールを送ったのである。その会社は「日本一明るい経済新聞」という新聞を発行しており、関西の元気な中小企業を取り上げ、「中小企業のみんながんばろうでー!!」とエールを送りつづけているのである。
 その新聞のことを知って、ひらめいたのである。私のパンフルートは、子供のお小遣いで、すぐ買える金額ではない。もし、量産が可能になれば、値段も下げられるし、アウロスのプラスチック・パンフルートのようなものが作れれば、さらにパンフルートが身近な存在になるのではないか。楽器製造を関西の中小企業と協力してやれば、私はPRと演奏活動に専念できるのではないか。大阪に9年住んでいた私にとって、リアリティを感じる考えであった。とりもなおさず、新聞社にメールを送り事情を説明した。その返事が、今日届いたのである。それも編集長から直々に、「今井さんのことを記事にさせていただきます。」との嬉しい知らせである。どこの馬の骨か、わからない私の思いを汲んでくださった、編集長に心より感謝を申し上げずにはいられない。
 実は今計画していることがある。『備前の風』行商&ストリート(ゲリラ?)パフォーマンスツアーin京阪神。予定は12月12・13・14日である。この間、関西方面にいるので、取材方々伺いたいと先ほど新聞社にメールしたところである。新聞を通して、関西の元気企業との良い出会いが生まれることを祈っている。
この日記をご覧の関西方面の方で、パフォーマンスが出来そうな場所をご存知の方はお知らせいただければ、大変うれしいところである。社員食堂や商店街・お店の前、学校や病院など…大勢の方がいらっしゃるとこなら、どこでも出向くつもりである。5分でも10分でもかまいません。もちろんNOギャラで動くのでご安心を。ひとりでも多くの人に『備前の風』の存在を知ってもらうのが目的である。詳しい予定が決まったら、またこの場で予告したいと思う。
 では、九州出張とは何か?これは後日、日記に記したいと思う。
ここの所、公私共にバタバタして、日記を書き込むことが出来なかった。そのため、何人もの方から「無事で生きているか」安否を気遣う、メールや電話をいただいた。有り難いことである。日記を書いたいなかった間に「教会での演奏決定」や「行商&パフォーマンスツアーin京阪神を12月中旬に敢行」などのトピックスもあったが、後日記述することにする。今日は、夜に工房にお客さまが来られた。私のパンフルートを買ってくださった女性である。工房で直接受け取りついでに、ミニレッスンも受けられればとのことなので、お招きした次第である。製作したパンフルートをお渡しすると、少女の様に喜んでくれて…作り手冥利に尽きる瞬間であった。それからミニレッスンの開始。まずは持ち方からと、少しずつ教えていこうとするが…どんどん吹こうと挑戦していく彼女。いろいろアドバイスするが、半分は聞こえてないくらいに、演奏挑戦に夢中になっている様子である。こんなタイプの生徒ははじめてであった。それがどうだろう、パンフルートを吹くのははじめてで、まともな音すら出ていなかったのに、どんどんコツをつかんで、1時間後には半音の入った曲まで吹けるようになってしまったではないか。楽器経験はあるとの事だが、この女性は天性の「感の良さ」があるように感じられた。初心者が1時間もパンフルートをぶっ続けで吹くと、過呼吸か酸欠で頭がふらふらするようなものだが、彼女は平気な様子である。きっと彼女と『備前の風』の相性が合ったんだろうなと、今になって思われる。岡山にまたひとり、パンフルート愛好家が増えた。嬉しい限りである。
12月にはステージが、ギャラが発生するもの、ボランティアのもの、合わせて6回予定されている。中でもクリスマス時期に予定されている、某デイサービスの演奏では、本格的(?)クラシックに挑戦する予定である。スタッフでもあり、ピアニストでもあるYさんと先月リハーサル練習をしていく中で、彼女の思う「パンフルートの音色が合う曲」を何曲かピックアップしてもらった。「ジュピター」「家路」「威風堂々」、そして私からは「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」「星に願いを」。その他「きよしこの夜」等のクリスマスソングと「雪の降る町を」などなど。デイサービスのステージとしては、異色の選曲になりそうである。
 彼女がもう1曲クラシックから選曲してくれたのが、スメタナの「モルダウ」と言う曲であった。タイトルからどんな曲かがわからず、今日図書館に行ったので、CDを借りてきた。工房でCDを再生したところ…「あっ、この曲知ってる。」重厚感のある管弦の演奏に、切なささえ感じる旋律が、歌う様にメロディーラインが流れていく。まさに「モルダウ川の流れ」のごとくである。「この曲をやりたい!!」そう思うや否や、愛器を手に取り、主旋律を身体に叩き込もうと、何回もCDに合わせて演奏してみた。随所に半音が登場してくるが、集中力を高め、全音と遜色なく出せるように何とかなってきている。いかにこの曲の持つ雰囲気を、私の感情をとおして『備前の風』で表現できるか、演奏の真価はそこに問われるだろう。30分ほどで、この曲を練習し終えると、結構「精魂つきはてる」的にぐったりしてしまった。矢吹ジョーのように「燃えたぜ、燃え尽きたぜ」と口走りたくなる心境であった。ここ1年で私の白髪が、急速に増えているのは、パンフルートの演奏に
多大なまでに神経を使っているからではないかと、最近思う。
 パンフルートの音色は素朴で温かい、独特な響きを持っているが、そこに情感を含ませるには様々なテクニックを同時進行させながら演奏しなくてはならない。楽譜がろくに読めない私は、演奏中自分が吹いている音の音階はほとんど全くわかっていない。ただ「今のこの音の、次ぎの音はこの管からどれくらい離れた管の全音・半音」と言うのを無意識にイメージしながらその連続でメロディを奏でているようなものである。だから演奏中はほとんど目をつむっているのである。はっきり言って、練習で身につけた「かん」で演奏しているのである。まるで「けんだま」のようにである。我ながら、「こんな手法でよくやるよ。」と思いつつ、こんな手法だからこそ、いろんな楽器に挑戦して途中で挫折した私でも続けられたのかもしれないと、最近つくづく思うのである。
 ピアニストのYさんのおかげで、自分の音楽性の幅がぐんと広くなっていく様である。私のささやかな夢は「彼女のピアノにのって『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』をアンドレア・ボチェッリのところを自分で歌い、サラ・ブライトマンのところを『備前の風』で演奏する」ことである。カーネギー・ホールで…  こりゃまたでっかい夢ですこと!!!
鳥取の由緒ある山寺、「清徳寺」で朝を迎え、昨日盛り上がった、囲炉裏端で朝食をいただき、岡山に戻ることとした。出発直前に「お寺のお札」「地元の野菜」「甘茶」「日本海で捕れたするめイカの一夜干」… 地元のお土産をたくさんいただき、なんだか「里帰り」した息子が都会に戻る時のような気分になってしまった。清徳寺のみなさんありがとうございました。
 車を飛ばし…、でもやっぱり岡山までは3時間半かかってしまったが、無事帰宅。昼食を子供たちととるやいなや、私の母校「岡山県立岡山朝日高等学校」の「母校交流フェスティバル」に向う。夕方からは近くの会場で懇親会が執り行なわれた。わたしの学年は昨年が当番幹事だった関係もあって、懇親会にも多くの懐かしい顔が訪れていたが、今年は顔見知りが少なかったのが少々残念ではあった。
 でもびっくりである。会場外の廊下で話している女性、どこかで見覚えがある… 。そうだ、私がサラリーマンを辞めるきっかけになった病気の治療にあたって下さった。先生ではないか。なんと、先輩であったとは…。念のため名札を確認、「こいつは何をしてるんだ」と驚いた表情の先生に事情を説明し、ご挨拶とお礼を申し上げた。何年振りかの再会をこんな場所で果すとは…。何だか熱いものを感じた私は、その勢いを借りて、同窓会理事長にこの会場での『備前の風』の演奏の許しを請い、そして演奏するに至ったのであった。個人的には「仰げば尊し」をみなさんと大合唱したかったのであるが…その後、応援団が登場して、校歌を斉唱するので、別の曲に変更、脈絡はないが、皆が知ってる、懐かしい曲との事だったので、「瀬戸の花嫁」をパンフルートのみで演奏した。少々酒酔い状態であったが、頑張って演奏。会場の多くの方が(特に女性陣が)一緒に歌ってくださったことに感謝である。演奏終了後、何人もの人が私のところに、チラシをもらいに来てくれたのも、とっても嬉しかった。「全学年同窓会とも言える行事の懇親会で演奏を請うという売名行為の無礼にも皆さんは温かく迎え入れてくれた」。会場の窓から見える外はすでに夜景色である。しとしとと冷たい雨が冬目前を感じさせていたが、私の心は昨日・今日ととってもあたたかままであった。みなさんありがとう。
 今日は、午前中小学校で行われる子供達の「学習発表会」を観に行った。息子は友達と司会、そしてパンフルートのソロ演奏…。目立ちたがり屋と言う訳ではないが、臆することなく、人前で振舞えるところは、親父譲りか。終了後、担任の先生のところへ行き、息子にチャレンジの機会を下さったお礼を言い、「本物のパンフルートの音を聴かせて上げたい」(超えらそうに、よく言うは!!)とお願いをし、先生から許可をいただいて、クラスに残った子供達の前で、2分ほどパンフルートの演奏を披露した。子供たちは大きな目を開けて、興味津々の顔で私の演奏を見入っていた。
 引き続き、今度は体育館で娘の学年の合同による、合唱・合奏・ボイス&ボディパフォーマンスを観に行った。体育館はすでに保護者で超満員である。娘を見つけると、ビデオの用意…普通のパパである。小学2年生でここまでまとめあげたステージをするなんて、相当みんな練習を重ねたんだな、「頑張ったんだな」と思うと目頭が温まっていくのを感じずにはおられなかった。
 その後、4年と6年の演奏があったが、退席し帰宅。準備の上、ちょうど12時に、鳥取に向けて車を発進させた。
 紅葉の中国山地を「峠越え」して、鳥取に入る。スキー場がある氷ノ山の方角に向って車を走らせる。その手前の山里を奥へ奥へ、さらに奥へ奥へ…。ついに携帯の電波も「圏外」となる。村人のみなさんに道を聞きながら、車を走らせていると、なんだかひとりで「ダーツの旅」をしている気分になってしまった。
 打合せの段階では、岡山からは2時間半でつくと伺っていたのだが、私の車と運転では3時間半もかかってしまった。「遅刻」。到着した時には、琴奏者の方々が予定を繰り上げて第2部の演奏をしていただいて、場をつないでもらっていたのであった。気はせくし、荷物を運んで、息は弾むし… でも、待っていただいたお客様のために、すぐに演奏しなくてはならない。お寺の上の山で汲んだ「おいしい涌き水」を一杯いただいて、精神統一。
到着後、約8分で演奏に入る。お琴とは「もみじ」と「ふるさと」をリハなしで、ぶっつけ本番。そうそう演奏はお寺の本堂の中で行われた。お客様との距離は1メートルほど。そんな状況では、たって演奏も出来ず、はじめてお客さまの前で、正座して演奏した。
 演奏に入るまで、かなりバタバタしてしまったが…。お琴との競演も成功!「琴と『備前の風』の音色が」とても合うのでびっくりしてしまった。ソロ演奏も、歌も、トークも成功!本堂からはしばしば多くの女性たちの笑い声が漏れて、3方を囲んだ山々に響き渡っていたに違いない。気分は「プチ瀬戸内寂聴さん」であった。
 その晩はお寺に泊めさせていただき、地元の方たちと、楽しい一時を過ごさせていただいた。このご縁を下さった、Mさんには、お疲れさま、そして感謝である。囲炉裏に燃える炭の赤と、五右衛門風呂を沸かすマキの炎の赤、そして夕焼けが染める空の赤、そして寺を囲む「もみじ」や「かえで」のみごとな紅葉の赤。今年の10大ニュースに入る、今日一日の出来事たちであった。
今日の午前10時から11時ごろまで、私は工房で、のた打ち回っていた。またまた結石の痛みである。今度は下腹部近辺の痛みなので、おそらくレントゲンに映った、膀胱手前の尿道の石が動き出したのだと推測できる。辛抱できず痛み止めを飲んで20分後、すっと痛みが引いていった。薬の効果にしては、早過ぎるので、おさらく石が膀胱の中に落ちたのであろう。生々しい実況報告で…恐縮です。
 明日の、鳥取のお寺での演奏に影響が出なかったら良いのだが…。明日は午前中、小学校の学習発表会を見に行く。長男のパンフルート演奏に期待大と不安少々である。長女は体育館で学年全員による合唱&合奏&ボイスパフォーマンスである。二人ともdo your best である。それを見てから、昼に車で鳥取に向けて出発。峠で雪に見まわれなければ良いのであるが。そしてお寺で「灯篭点火」などのいろんな場面で、『備前の風』のパフォーマンスを披露する予定。今回はお琴の師範も出演され、2曲ばかりセッションさせていただくことになっている。はじめて尽くしの明日の演奏である。
 今日一番驚いたこと、それはお昼にかかった一本の電話であった。受話器の向こうの男性曰く「新潟に住んでいるが、某ネットショップ(私が商品を卸している、楽器専門ネットショップ)で『備前の風』の初期モデルを購入した。その音色を大層気に入り、ネットで調べたところ、モデルチェンジをした事を知って電話した。」とのことである。この方は、フランスのパンフルート・トップメーカーや、韓国メーカーのパンフルートもお持ちで、耳は肥えていらっしゃる様子。そんな人から「あなたの作るパンフルートは、艶っぽい(つやっぽい)音色がする。」との評価をいただいた。若い人にもわかるように言うとすれば…「音色がセクシー」ということか?いずれにしろ、『備前の風』を気に入っていただき、低音部を増やした特注モデルは作れるか、との質問の電話であった。快くお引受して、先方からの詳しい注文内容がかかれた手紙を待つことになった。昨日は石川県からの注文が入り、ちょっと前には、九州からも…。そしてついに新潟からも注文が入った。それも特注である。不安だらけの「にわかクラフトマン」にとってそれらの注文は本当に私を勇気付けてくれる。『備前の風』前線が岡山から、日本の北と南に同時に延びていくような感じがして嬉しい限りである。
 振りかえってみると、『備前の風』注文の男女比はちょうど半々、年齢層で多いのは私と同じ40代から50代と言ったところである。これからももっともっと多くの人に知っていただき、挑戦してもらえるよう、奇跡の石じゃなくて…奇跡の楽器になるよう頑張るつもりだ。
 明日は鳥取泊のため「日記」はお休みです…新聞の休刊のお知らせみたい…