今日、岡山市立桃丘小学校でのチャリティコンサートが行われた。開演前から突然のどしゃぶりの雨、そして雷、まさに嵐のような天候になってしまった。観客の皆さんはお集まりいただけるのか・・・、不安な心持であったが、その不安は見事にはずれたのである。本当にたくさんの方にお集まりいただき、まさに老若男女。追加でイスを出すことになったくらいである。今回のコンサートでは会場の子供たちの多くが、舞台に上がって、何曲も歌ってくれて、それにつられるように会場の皆さんも歌うという、本当に楽しい空間が出来上がった。コンサートの様子は岡山市立桃丘小学校のブログで近々見ることが出来るようである。小学校の体育館の舞台の上での演奏で、いつものコンサートのようなフラットの会場ではないので、お客さんとの距離はあったが、一番後ろのお客さんの表情まではっきり見える、そのお客様の表情がコンサートが進むに連れて、どんどんどんどん和やかになっていくのが、うれしくて仕方なかった。ピアノの西村さん家族、そしてそのお知り合い、そして地域の皆さん、そして小学校の校長先生をはじめ学校関係者の皆さん、そして少年少女のチャリティ合唱団(?)のみんな、その保護者の皆さん、そして悪天候の中、会場に集まってくださったみなさん、ボイパの先生はじめ、歌の仲間たち。そして今回のコンサートをいっぱい宣伝してくださった、メディアの皆さん、日本赤十字社の皆さん・・・ みなさん本当にありがとうございました。

この温かい心持を、岩手県に持って行こうと思います。

実は来週、といっても明日からだが、岩手県の避難所でのパンフルートの演奏に行ってくることになった。実はそれに向けて、いろいろ話を進めさせてもらっていて、今回演奏に伺うことが決まったのである。現地での様子など、岡山に帰ってから、また報告したいと思う。

今日は岡山のOHKテレビの「温タイム」という午後2時からの情報番組に出演、チャリティコンサートの告知をさせてもらった。この番組には数年前にも出演させていただいたことがある。裏番組に「ミヤネ屋」があるという、なかなか手ごわい時間帯であるが、地元密着の情報で頑張っているのである。私の出演したコーナーには、香川県・坂出の朝市の告知と、新日本プロレスのレスラーのひと(テレビでよく試合を見る人である)が岡山での試合の告知に出演されていた。うーん戦う男の体は違うのである。すごい!

さて、そのコーナーでの告知でもお知らせしたのであるが、4月24日に加えて5月にもチャリティコンサートが決定したのである。私が今住んでいる地域でのコンサートと言ってもいいだろう。息子と娘がカブスカウトまでお世話になった、ボーイスカウト活動にも尽力されている「西大寺キリスト教会」の赤江先生をはじめ関係者の皆さんのご協力のおかげで、チャリティコンサートをさせていただけることになったのである。この教会は、パンフルーティストになる前、私が一番苦しい時期に、心の支えになった場所なのである。私はキリスト教信者というわけではない。だがこの教会は私にとって特別な場所なのである。私のコンサートのスタイル「フランクな雰囲気で、お客さんまで巻き込んでいっしょに音楽を作り上げていっしょに楽しもうとするスタイル」のベースを築いたのは、実はここでのボーイスカウト活動への親としての協力をしたときなのである。「私にこんな引き出しがあったなんて・・・・びっくり!」   最近つくづく思うのである。人はもしかしたら誰しも、まだ開けたことのない、自分も知らない可能性の引き出しを持っているのかもしれない。私はその引き出しを「西大寺キリスト教会」のみなさんと出会うことによって、開けることになったともいえるのである。もしかしたら一生開けることのなかった引き出しである。でも今では、その引き出しを開けたことによって、全国の皆さんに私の演奏をステージを楽しんでもらっているのである。人生何が起きるか、わからないものである。

5月7日(土)14:00〜15:30 西大寺キリスト教会附属サムエル幼児園2Fホール 入場無料 駐車場有なのである。今回はピアノ伴奏は、私のファーストCDでピアノを弾いてくださった方が協力してくださることになっている。一般の方も参加できるコンサートなので、気軽に足を運んでいただきたいのである。

9日のチャリティコンサート。始まりは大変であった。朝から体調がいまひとつだったのだが、昼ごろにはいまひとつどころか、ふたつみっつ、こんな状態でコンサートを行ったのは初めてかもしれない。体調管理には人一倍気をつけているつもりだが・・・

コンサートの中盤の「アベマリア」はついにはイスに座って演奏させてもらった。しかしそんな状態でも、最後まで演奏できたのも、伴奏の西村さんやお客さん、会場のすべての皆さんに支えられたおかげであると強く感じている。

今回の会場には、「ボイスパフォーマンス」と「オペラプラザおかやま」(私の関わっている音楽集団の2つである)の関係者がたくさんきてくださって、みなさん高らかに歌ってくださったので、他のお客様もいい意味で、つられるように歌ってくれて、今までの私のコンサートの中でも、もっとも歌声が響くコンサートになったのではないかなと思う。

会場には日本赤十字社からお借りした、避難所の様子や津波の爪あとの写真など10点を展示させてもらった。体育館に密集して避難されている写真には、胸詰まる思いがした。

会場の窓からは、満開の桜が何本も見える。その桜の周りにはお花見の多くの人が見える。穏やかな天気・・・のどかな風景である。この風景が東北でもまた見られますように。

昨日はFM倉敷で収録。パーソナリティは大山裕さん、30そこそこのシンガーソングライターである。目力のある好青年であった。収録ではチャリティコンサートとフィールドオブクラフトの告知をさせてもらった。放送内容は大山さんのHPでインターネットラジオとして聴けるようになっている。私のHP分は来週の火曜日だったか、2週にわたって放送になるようである。FMでは月曜だったかな?

日本赤十字社に、被災地を写したパネルをお借りしにいったり、八角園舎に打ち合わせに行ったり、ピアノと音合わせをしたり、メディアでPRしたり・・・それから注文の入っているパンフルートも作らなくては・・・。

少々忙しいのである。

今日は外は雨である。

この雨は東に移動して、東北の方も降るのだろうか?

今私にできること・・・音楽やりながらも考え続けている。

今、私にできること、私だからできること。

明日はいよいよ八角園舎でのチャリティコンサートである。何人の方が来られるのか未知数であるが、ベストを尽くすのみである。

「東日本大震災」義援チャリティコンサート決定!
4月9日(土)14:00〜15:30 八角園舎(岡山市北区二日市町56 岡山市立中央図書館の東隣 1.5時間無料の駐車場有) 入場無料 4月24日(日)14:00〜15:30 岡山市立桃丘小学校体育館(岡山市芳賀5111−22 駐車スペース有)入場無料

少しでも多くの善意のお金が集まるように、ピアノの西村さんと過去に共演して好評だった曲など、たくさんお送りする予定です。
演奏予定「アヴェ・マリア」シューベルト 、「白鳥」サンサーンス 、その他童謡唱歌や懐メロ、それにアニメの曲まで、老若男女みなさんに聴いていただけるプログラムにいたします。
チャリティに集まったお金は日本赤十字社にお渡しする予定です。(お問合せ 今井勉 090-7139−3666

今、チャリティコンサートの計画をしている。4月中に2箇所以上で実施したいと思っている。現在岡山市内で、会場探しをしているが、市外でも「ここを使ってくれ」というお話があれば、できる限り広範囲で行いたいので、ありがたいのである。状況が進展すれば、またここで報告させていただく。
2011-03-21

私にはOBS(アウトワード・バウンド・スクール)の同期の仲間がいる。17年前の仲間だが、今でも親交がある。その仲間から、数日前に電話連絡が入ってきた。その電話の中で、私の同期の仲間のさらに仲間が(ややこしいか)、現在東日本大震災の最も被害の大きかった地域でボランティア活動をしていて、その現地の様子をメールしてきたと言うことを教えてくれた。

何日も前の状況にはなるが、私のHPを見てくれているひとに現地の様子を知ってもらいたく、仲間の許可を得た上で、その内容を公開させてもらうことにする。

志津川の大きな町始め、いくつもの村が壊滅状態です。支援物資は大きな避難所に集まって、ガソリンがないため全く行き渡っていません。道路はかなり自衛隊によって、入れるようになっています。現在ここ南三陸町に入るには、398しかありません。緊急車輌通行証を取るか、かなりの量のガソリンを確保していない限り、現地に入るのは難しい状態です。夕べは一度、橋が落ちて通れない45号に入り込んでしまい、新潟から買い出しをしてまた戻ったのは、20時30分を過ぎた頃でした。買い出しを頼まれた物は、紙パンツ(オムツ・着たきりで下着の替えもないため)、歯ブラシ、シャンプーやドライシャンプー、石鹸や洗剤、生理用品、トイレットペーパー、ウェットティッシュ、風邪薬、塩、砂糖、コーヒーやお茶、醤油、味噌、油、肉、野菜、甘い物、マッチ、ライター、電池、マスク、軍手、懐中電灯などでした。

山形も、物資・ガソリンとも全くなく、両方とも手に入るのは、現在新潟のみです。最初の予想通りに、新潟と現地をピストン輸送となっています。

夕べ、今朝と、少ない食料の中で暖かい食事をご馳走になり、たくさんの人達が皆さんの力になりたいと思っていますとお伝えしてきました。皆さん涙で見送ってくださいました。
全てを失い、これから先の状況が全く見えない中、皆さんからの暖かい手が、本当に被災した方たちの力になります。
これからが本当の闘いになると思います。皆さんからの支援金は、これからも直接この地域、他の地域に直接手渡します。ありがとうございます。
これからもう一カ所回るつもりです。現在市内のガソリンを待つ車の列は数キロに渡っています。

石巻市の沿岸部も壊滅状態です。
自衛隊の災害派遣部隊や、援助物資も届き始めていますが、電気も一部のみ昨日やっときた状態で、戦争のあとみたいで、人が全く暮らせる状況ではありません。

熊本や鹿児島県警も入っていて、遺体が次々に運ばれています。

ここから女川方面はますますひどく、道路もほとんど寸断されています。

石巻市内でタイヤがパンク、鹿妻小学校に物資をはこびました。

目測ですが、石巻市で津波は10㍍前後、昨日の南三陸町で17〜26㍍前後あったようです。
どちらも破壊がひどく、臭いもひどくなりつつあります。
小学校などでもつらい状況のなか、たくさんの方たちが避難しており、あまりの規模の大きさに、言葉もありません。

生き残った子供達の元気さに救われる気がします。

ここからは今井の文章です。

テレビやラジオからは大切な情報が多数伝えられてくるが、その現場のにおいや現場の人たちの息遣いまで感じることはなかなか出来ない。スイッチを切ってしまえば、目の前からそして耳から、入っていた情報は遮断してしまうのである。そして別のチャンネルをひねれば、いつものような番組が戻ってきていて、子供も大人もいつものように軽い笑いを口からこぼすのである。その間も、現場ではいつ終わるか分からない避難生活の日々が続いているのである。

忘れない。

実は今、大変あわただしく、ゆっくり近況をかけないのだが・・・

最新情報として、ユニバーサルオペラ「魔笛」、みんなの気持ちがひとつになって・・・ 大成功に終わった。モノスタトスの私も、はりきったのである。詳しくは落ち着いてまた書こうと思う。

本日NHKラジオ「ラジオビタミン」で私のCDから「見上げてごらん夜の星を」をかけていただいた。震災で被害を受けられた方々の一時の心休まるときになっていればと、祈る。

その震災の影響で、3月25日の新宿での私のコンサートが、本日の午前中に中止が決定した。残念でならない。しかし状況が状況なだけに、止むを得ないのである。

21日にはヴォイスパフォーマンスの発表会、そこではりきろうー。

東日本大震災の被害者のみなさんのために、私に、私たちに何ができるのか・・・。

震災直後の映像を見て胸が締め付けられる思いをしてきて、一週間。

誤解を恐れず言うが、当事者でない人たち(私も含めた)はこの1週間で、あの衝撃的映像から受けたショックは落ち着いてきているかもしれない。しかし避難生活を送られている当事者の方たちの疲労とストレスは、溜まる一方で、この一週間は本当につらい思いをされてきていると思う。その状況がいつ終わるか分からない。そんな現地の皆さんの苦しみと当事者でない私たちとの心の温度差が広がらないようにしなくてはならない。義援金や物資の支援・・・日本中のみんなの気持ちがうれしいのである。原発の事故現場で命がけの作業をされるみなさん、本当に感謝いたします。 そして震災の犠牲になったみなさん。本当に怖かったと思う。悲しみと言う表現では表しきれない思いが心に満ちたに違いない。 生きながらえたひとと、命を落とした人・・・ それでもみなが一つになれますように。家族が一つになれますように。必ず再会できますように。

私の出来ること、考え続けるのである。

曲がるパンフルートの構想は5年前くらいから、私の頭のなかにあった。写真ではわかりにくいかもしれないが、竹管を固定しているのは、紐のみである。だからこのパンフルートは、竹と紐と詰め物だけで出来ているので、非常に軽いのである。22管(G~G)で300グラムであった。 ちなみに私がコンサートで使っているS20管(G~E)は400グラムあった。  曲がることのメリットは?そもそも備前の風が直線的な竹の配列になっている大きな理由として、両面どちらからも吹けるようにしたことがあげられる。世界中のパンフルートの95%以上が右低音(ピアノと逆向き配列)になっているのではないだろうか。ルーマニアのパンフルートが伝統的に右低音になっているからだと思う。

私は「パンフルートを知らない」所から、作って演奏を始めた者なので、右低音でも左低音でも好きな方で吹けるようにしようと、直線的な配列のパンフルートを作ってきた。
しかしルーマニア式(?)、つまり世界中のパンフルートのほとんどが持つ、竹管の配列の「カーブ」には魅力を感じている。曲線の美しさと、演奏性能の高さは見逃せない。
特に、忙しく管を移動して演奏する曲の場合は、カーブした配列のパンフルートの方が楽に演奏できるのは間違いない。
ひとつのパンフルートで、「吹く向きを選べ、つまりは逆向きも演奏可能ということ」と「カーブの配列」、このふたつを叶えることが出来る。そんなパンフルートが作れるだろうか?
そしてその夢を形にした試作品が上記の写真である。つまり、上記のパンフルートは逆向きに曲げることも出来るのである。そしてカーブの度合いは自由に調整することが出来る。

うーん、自分で作っておきながら、びっくりである。グニャリと曲げられる楽器なのである。もしかして、こんなパンフルートは世界初かも?

しかし、まだまだ改良の余地はある。もう少しレベルアップしたうえで、夏ごろにでもラインナップに入れられたらよいのだが。

23日、山陽新聞社(岡山県の最大手地場新聞)本社1Fの「さん太ホール」で岡山韓国商工会議所の記念事業として、蓮池薫さんの講演会が行われた。オープニングアクトとして、日本の詩と蓮池さんが翻訳した韓国の詩をフリーアナウンサーの森田恵子さんが朗読、それに私のパンフルートと西村一穂さんのピアノで音楽を入れるというステージを披露した。「いのち」や「平和」をテーマにした詩を、森田さんが優しくもゆったりとした朗読で表現、そこに空気に漂うかのように私たちの音楽が共存していた。実に中身の濃い時間を過ごしたように思う。

普段の私のコンサートスタイルは、観客とのやり取りなど、トークがかなりの割合を占めているのであるが、今回は一言もしゃべらず、おまけに私はステージの中央近くに立ったため、森田さんの朗読中にも目立ってはいけないため、ほとんど動かず、気配を消していなければならない。今回演奏したすべての曲(韓国や日本の曲)が私にとっては新曲になるので、その緊張感もあるし・・・。終了後はどっと疲れたのであった。実に濃密な数十分であった。

蓮池さんにもごあいさつができ、私のCDをプレゼントさせていただいた。テレビなどで拝見した印象よりも大きなひとであった。そして講演内容をお聴きしていると、聡明でいてなおかつフランクな方だなと、強い印象を受けた。あらためて「何気ない日常」が送れることの大切さ、それを持続させる意義を強く感じるのである。

それにしても、今回のステージは、このままパッケージにして全国を回れるのではないか?・・・なんてつい思ってしまうのである。

さてさて、トップページではまだ発表してないが、私の出没予定が段々と決まってきている。ちょっとした速報風に。

3月25日の昼間、もしかすると東京の新宿でコンサートを行うかもしれない。

4月17日、今年も広島県の三倉岳で行われる「マチュピチュ・エン・ハポン」に出演。

4月23日には山口市で演奏。

5月4日ゴールデンウィーク中である。鳥取県の氷ノ山にある「響の森」という大人も子供も楽しめる(説明が難しいのでHPを見てください)施設で、パンフルートコンサートとパンフルート手作り体験教室を実施予定。これは今年の重大ニュースに入るかも。

5月14.15日倉敷市の芸文館前の広場で行われる「フィールド・オブ・クラフト」という全国のクラフト作家さんが出店やワークショップをされる大きな行事に、「パンフルート手作り体験ワークショップ」と「パンフルート・ストリート・パフォーマンス」を行うと予定中。

今週末の30日(日)には大阪弁天町のORC200で行われる、インドアの大きなフリーマーケットに出店予定である。

今年も全国の多くの人との出会いが、楽しみである。吹いて作って、作って吹いて・・・なのである。

遅ればせながら、2011年スタートである。ユニバーサルデザインオペラ「魔笛」の練習、23日の蓮池薫さんの講演会での朗読との共演での練習、ヴォイスパフォーマンスの練習、そして月末の大阪でのフリマ販売用のパンフルート作り、そしてそして・・・瀬戸内市内の幼稚園でのコンサートの練習、それは園児が発表会で歌った曲を、しかも幼稚園の先生のピアノ伴奏で演奏するのである。先日リハーサルに行って来た。これはこれは楽しい会になりそうである。そして14日には岡山市内の高田小学校で演奏&お話をさせていただいた。PTAに招かれた形で、保護者と児童、そして先生が全員集まった体育館で、1時間披露した。この小学校は春には、周りの2校の小学校といっしょになり、新たに「蛍明小学校」となるとのことで、高田小学校校歌が歌われる機会がもうなくなるだろうと思い、初経験ではあったが、訪れた学校の校歌を児童たちと歌うということをした。サプライズでいきなり「歌って!」といっても無理なので、キャンプファイヤーでよく歌った「山賊の歌」(掛け合いのキャンプソング)をみんなで歌った。きけば、子供たち誰もこの歌を知らないとのことであった。ジェネレーション・ギャップ!? 1番は普通に、2番は私の作った「面白替え歌」で、児童たちは楽しく歌ってくれた。そして校歌斉唱。  山間の小学校の体育館に響く、子供たちの校歌斉唱の声。いっしょに歌いながら、思わず心がジーンとなったのであった。一生の思い出になった。

今年もパンフルートと歌を通して、全国の人たちとの心のふれあいをどんどんと作っていきたいと思う。

早速に予定を入れた。1月30日(日)10:00〜17:00大阪市弁天町 ORC200のフリーマーケットに出店。ORC200オーク広場 2Fアトリウム パンフルートとCDの販売、デモ演奏や無料演奏体験も行います。(屋根のある会場です。雨天でもあります。)
来年はスケジュールの許す限り、フリマやイベントに出店・出場しようと思う。「もっと多くの皆さんにこの楽器の魅力を手にとって感じてほしい」からなのである。もちろん演奏活動も来年はしっかりやっていこうと思う。世の中、B級グルメが注目を集めているが、さしずめ私はB級ミュージシャンといったところかB級(グルメ)といった謙遜(さげすまれた?)の冠をかぶりながら、ここまで全国に旋風を巻き起こしたのは、やはり地道な(時には泥臭いほどの)PR活動が大きな要因である。最大の要因は全国のB級グルメが一同に集うようなイベント、そしてメディアの動きといえよう。私もB級ならば、地道に汗水たらすPR活動を、積極的に広範囲に(今年は東北進出を実現したい)やっていきたい。来年3月には、ユーチューブで世界的にブレイクされている「野菜笛」の演奏家の方との共演もある。全国の(世界の)ユニーク楽器演奏家が集合する行事が近々行われたりして・・・。

毎年恒例となった竹取の旅に行ってきた。11月23日、福岡の中洲にあるライブハウスNAMAZUにて28日の共演者、ハモンドオルガン奏者ハモンドナオキ(長直樹)氏の新ユニットによる、ソウルジャズのエキサイティングな演奏を堪能、そしてあいさつ、そして音あわせに打ち合わせ。私よりも一回り以上若いのであるが、物腰や言動、音楽に対する姿勢、音楽的グルーブ感覚・・・すべてにおいて、好感の持てる人物であった。

24日にはNHK大分放送局を訪問。コンサートの告知というわけではないのだが、私の作るパンフルートの竹は、現在はほとんど大分県の竹なのである。だから是非とも大分のみなさんに「へー、地元の竹でこんな楽器ができるんだ」ということを是非知ってほしいと思ってのNHK訪問である。そんな思いだけでアポ取りした私を、NHK大分放送局の制作の方は快く出迎えてくださったのである。

それにしても最近つくづく思うのが、ステージの内容や演奏家として、そして楽器製作者としては、一歩ずつでも確実に進化してきているのは感じてきているのであるが・・・ことに「自分のプロモーション活動」や「営業活動」については「あまりうまくないなー」「ピントがずれたやり方しているなー」と思うことが、最近多いのである。

大分県では4泊して、竹取を行ったのである。近年は杵築市の竹を(地主さんの許可をいただいて)よく取っている。おかげでたくさんの人との出会いが生まれている。面倒見がよくて、情の厚い美濃崎漁港の漁師家族(本当にお世話になっているのである)。波乱万丈の人生を送り、今は作詞を書き溜める、古民家に住む男性(今回は何泊かお世話になった)。その古民家でパンフルート・ミニコンサートもさせてもらった。年々私と杵築の関係が深く濃くなってきているようである。もちろん豊後水道の魚もいっぱい食べたのである。この時期の鱧(はも)は本当にうまかったのである。「うちわえび」の茹でたのも食べた。海老とシャコの両方のあじがする、シャコ大好き人間の私にとっては最高の味であった。

 28日は福岡市の雁ノ巣駅近くの「奈多利庵」というレストランでのコンサート。2ステージであったが、両方とも満員だったので、本当にうれしかった。1年前この近所の住宅でホームコンサートをさせてもらったのがきっかけで、今回のコンサートが実現したのである。1年前の主催者の主婦お二人が今回も企画してくださったのである。で、奈多利庵のオーナー(大将)も実は1年前、私がNHKの全国放送のテレビでミニ特集されたのを偶然見てくださっていたのである。そして1年前のコンサートが実現できた、そもそもの最初のきっかけは私のパンフルートを買ってくださった女性の家に、竹取のついでに納品訪問して、その日そのままミニコンサートをさせてもらったのが最初の始まりなのである。みなさんに「感謝」なのである!

 コンサートは2ステージとも充実した内容になった。2ステージとも前半は私のソロ、後半はハモンドナオキ氏のハモンドオルガンとの競演である。

とにもかくにもハモンドオルガンとの、いやいやあえて「ハモンドナオキ氏のハモンドオルガンとの競演は」2010年の私のビッグニュースであることは間違いない。久々に音楽的に「しびれる」感覚を覚えたのである。「またいっしょに演奏したいなー」「ハモンドオルガンとパンフルート、今井と長氏の演奏の演奏の、そしてステージトークの相性をいろんな人に聴いてほしいな」と、「プロモーションと営業の苦手な私」ではあるが、強く強く思ったのである。上記、長氏の名前にリンクを張るのでそこをクリックしていただきたい。長氏のブログにコンサートの様子が写真入で掲載されている。是非とも見ていただきたい。福岡で頑張る若手オルガニストの存在を是非ともみなさんに知っていただきたい。なのである。

1110日は広島で「パンフルート三昧」の半日を過ごした。世界的パンフルート奏者コーネル・パナ氏の広島コンサート&コンサート前のクリニックに参加させてもらったのである。パナ氏の演奏は4年連続で、神戸や高松などどこかで拝見しているが、その超絶技巧と称される演奏には、毎年舌を巻くはため息は出るはである。こんな演奏をするんだから、ストイックで、自分にも他人にもとても厳しく、もしかしたら排他的なくらいの性格のひとではないかと、ずっと想像していた。だが今回クリニックに参加して、パナ氏の人間性が、私の想像していたものとはまったく違っていたことに驚くと共に、ますます引きつけられてしまうのである。

 しかしクリニックでは、私の基本的演奏法や楽器自体にも鋭い指摘を受けて、自分の未熟さに落ち込んだのも事実であった。そこから元気を取り戻せたのは、広島のたくさんのパンフルート愛好者の皆さんのおかげであった。N先生やSさんやKさんをはじめみなさんのパンフルートに対する愛情を感じてしまったのである。そして私にとって憧れの人、雲の上の人、いつかはお会いしたいとパンフルートを吹き始めたころから思っていた、日本のパンフルート演奏のパイオニア、岩田英憲さんにご挨拶できたことは、まさに「感激」であった。

 なんだか一気にパンフルート仲間が増えた気がして、本当にうれしい一日だった。それから今回のコンサートはチャリティコンサートだったのだが、その関係者の皆さんの心意気というか、物腰にも感銘を受けたのであった。

 今回出会った皆さんとの縁を、大切にしていきたいものである。

13日は岡山市の隣、瀬戸内市にある音楽ホールでコンサートを行った。会場に集まったお客様の半分が、以前に私の演奏をご覧になったことがある方々で、「また聴きに来てくださった」そのことがうれしくて、エンジン全開でコンサートを行った。

 コンサート後半は、地元の邑久高校の女子高生のピアニスト(大学の音楽科の試験に直前に合格が決まり、めでたいのである!!)とともに、クラシックや童謡・唱歌など、会場全員での合唱もあり、盛り上がってコンサートを終えることができた。

 10日も13日も思い出に残る日となった。「音楽って演奏者と聞き手をつなぐ架け橋になったときに、そのすばらしさを感じられるんだな」ということをあらためて感じることができた二日間であった。

11月7日、鳥取県八頭郡若桜町若桜にある浄土真宗本願寺派の正栄寺(しょうえいじ)での演奏に伺った。この日は「親鸞聖人750回大遠忌 お待ち受け法要」が行われ、大勢の信者の方や地域の方たち、そして海外からの留学生の方たちの前での演奏になった。法要、祝辞法話と続き、その後に演奏となった。楽器編成は筝2面、バイオリン1、パンフルート1という4人編成である。こういった演奏会はこのお寺では初の試みのようにおっしゃっていた。筝の2人は「鳥取てまり会」の美人母娘、このお二人とはここ数年毎年この時期にいっしょに演奏させていただいている。11月17日が同じ八頭郡の八頭町にある清徳寺(せいとくじ)の秋季大祭で、今年もいっしょに演奏させていただくことになっている。着物姿で筝を弾く姿には、うっとりである。バイオリンは地元の若桜中学校で先生をされている方。正栄寺にお集まりの年配の方の中には「先生、孫がいつも世話になっております。」と挨拶される方もおり、厳かな法要であるのだが、和やかで素朴で、心温まる人の集まりに、居心地の良さをとても感じてしまった。

2面によるわらべ歌メドレー、バイオリンが入って童謡唱歌や民謡をアレンジした曲の演奏、そしてバイオリンソロ・・・バライティに富んでいる。そののちにパンフルートのソロ演奏、といっても半分はおしゃべりしていたような・・・パンフルート漫談のような。そして最後は全員での演奏で浄土真宗本願寺派の方たちが歌われる歌に音楽をつけた。その曲の作曲者を見てみると、中田喜直や古関裕而といった日本人の心に残る曲を作ってこられた大家の作曲だったのでびっくりした。1時間の演奏が楽しいうちにあっという間に終わったような気がする。

空き時間にはお寺の周りの町を散策した。お寺の裏には若桜鉄道の終点「若桜駅」駅があり、駅前には地元で一番大きい総合スーパーがありその駐車場の周りには何匹もの地域猫が日向ぼっこや集会をしているのである。なかには車の屋根の上に寝そべって、昼寝を決め込む大猫もいたり・・・とにかく趣きある昔ながらの街並みのあちこちで猫を見かける、猫と目が合う、若桜の町なのである。自他共に認める「無類の猫派」(地域猫派とでも言おうか)の私にとっては夢のような町である。若桜の駅には小さな蒸気機関車(本物です)が動いており、専用の観光レールを往復しており多くの見物人が集まっていた。時折鳴らされる蒸気機関車の汽笛が山間にある若桜の街に響き渡るのを聞くと、旅愁で胸がいっぱいになるのである。歴史的にも興味をかき立てられるスポットが町中に点在している。ここでは書ききれないので控えるが、とどのつまりは「また来たい」若桜の町なのである。帰り道に買った「弁天まんじゅう」のモッチリした食感とうまさも思い出である。

これはちょっとした事件である。久々の「風の音日記」記載であるが、R15のことを書こうと思う。
Rシリーズは備前の風の新しいシリーズで今年の夏から発売を始めた。管どうしの接触面を平らに削るという工程を省くことで、比較的短時間で作ることが出来るパンフルートのシリーズである。その15管もの(2オクターブ)がびっくりするような売れ方なのである。
コンサート会場でも売れ、インターネットでも全国から注文が入り、それにCDを買われたばかりのお客様からも追加注文が入ったりと、ここ2ヶ月で20本はR15の注文が入ったのではないか。
その最大の原因は価格にあると思われる。よく演奏される音域であり、初心者でも音を出しやすいGからGの2オクターブの「備前の風」が9450円、1万円弱で買えるというのが「お試し」心に火をつけるのかもしれない。おかげで、R15の注文がたまってきだしている。
このペースで注文が入ってしまうと、数年前の「注文が何十本もたまってしまった」あのパニック状態(大袈裟か)になってしまわないかと、少々心配にもなるが、ともかく心を込めて作って作って作りつづけるのである。来月から出張の連続になる。特に下旬には1週間の九州出張が待っている。福岡でのレストランコンサートと大分県での「竹取」がメインの出張になる。何人もの方に「ブログの日記が夏から途絶えているので、今井さんに何かあったのでしょうか?」と、心配のメールや連絡をいただいてしまった。「みなさま!今井は元気に竹を吹き、パンフルートを作り続けてます。」ご安心を!

 8月20日東京入り。高田馬場で20日夜のコンサートの共演者とリハーサル。

21・22日、三軒茶屋で行われた「三茶フェスティバル」に「備前の風」の楽器店を出店。21日夕方には、イベントステージで30分の演奏パフォーマンスを披露。そして21日の夜には同じく三軒茶屋でコンサートを行った。

 今回のスケジュールは、ざっとこんな感じである。何はともあれ今年の夏の暑さは、西日本も東日本も等しく激しいのである。東京のヒートアイランドで行われた「三茶フェスティバル」。民族楽器等のLOBOさんとブースを分け合って、私はパンフルート、LOBOさんはオカリナをデモンストレーション。興味をもったお客さんには演奏体験もしてもらった。楽器フェアでもない、地域の「一般的な」お祭りで私のパンフルートが売れるものなのか?疑問はあったが・・・ デモ演奏が功を奏してか、結果的にお二人の方が私のパンフルートの最新シリーズ「備前の風R」を購入してくださったのである。実はこの「R」シリーズは、まだHP上では公開していない「入門者向け」のパンフルートである。近々にHPで公開しようと思う。

 さて、LOBOさんにはオカリナ奏者の人脈が非常にひろく広がっている。出店中、何人ものオカリナ奏者の方が陣中見舞い、そして演奏していかれるので、ブースの宣伝に一役買ってくださったというところである。私たちの隣のテーブルには何種類もの民族系のパーカッションや口琴、そしてディジュリドゥなどの販売があり、私たちのコーナーだけが小さな楽器フェアといった感じであった。

21日の夜のコンサートについて書くことにしよう。まずはお越しくださったお客様。多くは関東方面の方で、私のCDやパンフルートを以前買ってくださった方、そしてそのお知り合いの方やそのお知り合いのお知り合いの方といった数珠繋ぎの人脈でお越しの皆さん。そしてLOBOさんの人脈からのお客様もいらしていた。ここでびっくりしたのは、岡山からのお客様(私の教室の生徒さん)。それから岡山の私のファンの方からメッセージと贈り物が届いていた。それからそれから、なんと九州の福岡から、数年前に購入した「備前の風20管」を携えて、お越しくださったお客様もいらしたのである。その方とは、即席のミニレッスンをさせてもらった。そして年末には福岡でコンサートをする可能性が大きいということも伝えておいた。お客様の顔ぶれでまずはびっくりである。(余談かもしれないが・・・岡山に帰ってみると、私を応援する会「ホスピタル・パンフルートの会」:〈HP参照〉の会員の方から、ご自宅でとれた桃をたくさん送っていただいていたのである。私を応援くださるみなさんからのプレゼント、食べ物や栄養ドリンクなどは、うれしさことのほかである。)みなさん、本当にありがとうございます。

さて、コンサートの内容は、3分の2が私のソロ。そして3分の1が3組の他楽器とのコラボ演奏といった内容であった。ソロ演奏では普段のコンサートどおり、童謡唱歌やわらべ歌に子守唄から懐メロといった、みなさんがよく知っている曲を中心に演奏した。演奏の合間に楽器の説明や自己紹介や演奏会でのこぼれ話など、トークにも花を咲かせたのである。ところが時間配分を間違ってしまったのか、演奏するつもりでいた「G線上のアリア」、サンサーンスの「白鳥」、「ユモレスク」「トルコ行進曲」「オブラディ・オブラダ」などのメドレーが出来なかった。いやいやこれは反省である。

後半のコラボは、まずオカリナ奏者の方と「美女と野獣」「浜辺の歌」を競演。無伴奏コンサートだったので、お互いが交互にハーモニーをつけたり、伴奏風に吹いたりで行った。オカリナとの相性がこんなに良いとは、ちょっとびっくりであった。二組目は「ティンホイッスル」奏者の方と。一般的な楽器店で目にするティンホイッスルは30cmほどの長さのかわいらしい笛であるが、今回の共演者の方はいろんな国のいろんなサイズのティンホイッスルをお持ちで、「こんなに大きくて低音のティンもあるんだ」などと勉強になってしまった。ティンホイッスルのイントロで世界的大ヒットになった曲「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」(映画「タイタニック」のテーマ曲と言ってもいいだろう。)を競演。そしてオカリナとティンホイッスルとパンフルートと私の歌で「荒城の月」も演奏した。海外発祥といえる3種類の笛と私の歌で表現する「荒城の月」。つくづく思ったが、笛の音色というのは、やさしさの中に切なさをいつも秘めているようで、趣があるのである。

さて、コラボの3組目は・・・今回のオオトリである。南米の民族楽器「ケーナ」の製作・演奏を長年行ってこられている、大木岩夫さんとの競演である。南米ペルーやボリビアなどの民族音楽「フォルクローレ」で旋律の中心を担う笛、それがケーナである。昨今は俳優の田中健さんや平泉成さんといったケーナプレーヤーや製作者がテレビなどに登場することもあって、日本での知名度はぐんぐんアップしている楽器ともいえる。そんな日本でのケーナ奏者の草分けでもある大木さんと競演できるなんて・・・パンフルートを作って6年目の青二才は、うれしさと緊張のミックスジュース状態なのであった。観客の皆さんが知っている曲を演奏しようと思い、「コンロルは飛んでいく」と「花祭り」をリクエストさせていただいた。本番では太鼓の方1名、そしてケーナやサンポーニャ(パンフルートと同じ原理で音が出る葦でできた笛)の演奏者の方2名も加わり、にぎやかに盛り上がったのである。

2時間のコンサートがあっという間に過ぎ去ってしまった。でも今回の東京出張では、昼も夜もたくさんの方に私のパンフルートの音を聴いてもらえた、そして知ってもらえた、そして新しい人脈がどんどん広がっていくのを実感することができた。それからもうひとつうれしかったのは、東京のコンサート会場に私のパンフルートを持っていらっしゃる方が、東京と岡山と福岡から来てくださったことである。製作者&演奏家の私にとってこんなにうれしい、そして感慨深い思いは初めてかもしれない。

今回出会った皆さん、それからこんな素敵な機会をすべてお一人でセッティングしてくださったLOBOさん、本当にみなさんありがとうございました。

備前の風を作り始めて初期のモデルを、私はコンサートのメインの楽器として使用している。もちろん最近では、「虹」の22管もちょくちょく使っているのであるが、やはりここ1番と言うところでは、上記の写真の20管を使うのである。つまり5年間、いつも私の傍らにあったパンフルートなのである。北は茨城県や東京から、南は大分まで、そしてNHKラジオの「ラジオビタミン」のスタジオでもこのパンフルートを吹いたのである。ファーストCDもセカンドCDもすべてこの笛の演奏だったと思う。

さー、そのパンフルートを5年目にしてはじめて解体することにした。主たる目的は、ひもの交換である。5年間の演奏の汗が固定用の紐に染み込んで、少々「しょっぱくなっているので」交換するのである。その解体したパーツが上記の写真である。5年間耐久テストのつもりで、わざと乱暴気味に扱ってきた。炎天酷暑の広島平和記念公園での屋外演奏や、手足がかじかむような寒さの中での演奏も経験してきた。この間何度かチューニングは修正したが、それ以外はほとんど何もしていない。それなのに紐を解いてびっくり、痛んでいるところはどこもなかったのである。しいて言えば、油抜きの竹の茶色い色の度合いが増して、存在感が増してきているところであろうか。

これからもよろしくなのである。

ここのところ新シリーズの開発にと、竹との格闘が続いている。竹の油抜きを大量に行うため、強火の前で長時間。そしてしっかり寝かせた竹から加工。組み立ては紐で強く縛る。汗まみれの竹粉まみれである。なんとまあ原始的なつくりの「備前の風」であることか。時間と手間がかかるため、何万円もの値段をつけているが、「なんとかゼロ三つで、2オクターブのパンフルートの音を楽しんでもらえないものか?」その思いを遂げたくて、試行錯誤が続いた。そしてその結果、「備前の風〜R」シリーズが完成したのである。見た目は今までの「備前の風」とまったく変わらないといってもいい。音色も同じである。では何が違うのか?

 さあこのRをひっさげてコンサート会場でしっかりPRしていこう。もっともっとパンフルートとみなさんの距離が近くなりますように。明日は新見市で演奏、来週は倉敷、そして神戸。そうそう今月の24日には倉敷の某会で、木村まさ子さんとまたいっしょに舞台に立てる。楽しみである!

 今月の27日で46歳になる。もう46だが・・・、まだまだ半人前である。まだまだこれからである。アクティブに行くのである。

商品バリエーションを持たせたい。以前からそう考えていた。備前の風はストレート・パンフルートなので、表裏両方から演奏可能である。そして持ち運びも(収納)も楽なのである。それが昨年、イエソンの特注モデル「左利きパンフルート」をゲットして、わかったことは、一般的なカーブしたパンフルートのほうが、長時間の演奏や速い曲を演奏するには楽であるということである。いつかは備前の風のカーブ配列バージョンを作りたいと思っていたのだが、備前の風の特徴である「固定には竹板を使う」という方式は残したいと思っていた。しかし竹板の湾曲加工(表反りと裏反りの両方)の実験になかなか踏み切れず、今日まで本格的なカーブ配列パンフルートは作ってこなかった。しかし今年から生産再開、そして楽器店との取引も行おうとしている、この節目に、いっちょ挑戦してみるかと、奮起一番、カーブパンフルートを作ってみた。その結果、記念すべき「備前の風〜虹〜」(22管)が完成したのである。近日中にこれを商品ラインナップに入れようと思う。それにともない、備前の風の価格改定も検討してみようと考えている。

つまり「備前の風」は従来のストレート配列と、左手に低音がくる(ルーマニア式では左利き用といわれているようである。ちなみに私はこのタイプを吹いている。)「虹」と、右手に低音がくる「虹」といったバリエーションが出来たことになる。

 そして実は今、1.5オクターブ程度で「安価な」パンフルートの製作にも挑戦しているところである。出来上がったらまたここで紹介したいと思う。